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ライカのドイツ本社に「ライカミュージアム」がオープン

通常非公開の資料室を見学 ミュージアムショップも楽しい

新エリア「ライツパークIII」に建ったライカミュージアム。

ライカカメラ本社が所在するドイツ・ウェッツラーの「ライツパーク」が2018年6月に拡張され、新たな建物が増えた。新しい建物はライカミュージアムとも呼ばれ、写真作品を展示するギャラリーと、過去の製品や資料を保管しているスペースがある。

ライカミュージアム

建物2階のスペースには、シンプルながら要点を押さえたライカの歴代製品の展示がある。ライカ試作機のレプリカや代表的な機種とともに、これまであまり目にしたことがないような工場風景や、ライカの発案者オスカー・バルナックが撮った写真なども展示されていた。

Webサイトによると、ライカミュージアムでは予約制のガイド付きツアー(大人1名6ユーロ)も実施しているようだ。
フロアの半分はギャラリーになっている。企画展「Eyes wide open! ライカフォトグラフィーの100年」が2018年10月末まで開催中。
オープニングイベントに出席したトーマス・ヘプカーさん。自身の作品の前で。
ハービー・山口さんの作品も展示されている。
歴代のライカをたっぷり見たい場合は、向かいの敷地にあるライカカメラ本社の1階で見られる。
双眼鏡も並んでいる。
ライカの試作機(いずれもレプリカ)。右は1914年の「Ur-Leica」、左は1923年の工場試作機「Null-Serie」(日本では"ヌル・ライカ"とも)。

ライカ誕生当時の社長だったエルンスト・ライツ二世は、ドイツが経済危機にあった1924年に自社の雇用を守るべく、オスカー・バルナックの発案した小型カメラをリスク覚悟で製品化した。バルナックは元々カール・ツァイスの機械工だった経歴があり、35mmフィルムを使うスチルカメラのアイデアは、エルンスト・ライツ社に転職したのちに「ライカ」として花開いた。

オスカー・バルナック自身がいろいろな撮影に挑戦しており、撮影結果は現在の基準で見ても好ましいと言える。
バルナックの試写で有名なアイゼンマルクト広場は、ウェッツラー旧市街に行けば今でも同じように撮れる(筆者撮影)。
エルンスト・ライツ時代の記録写真。これはライカのシャッター駆動系に使われるベアリングにボールを入れているところ。

そうして展示を楽しんでいると、とある壁の写真に穴が開けられていることに気付く。

壁に大きな写真。1930年代と見られるライカ組立工場の様子。中央と左下に穴が見える。
その穴から中を覗くと……。

通常非公開の資料室へ

2014年にライカカメラ社がライツパークへ移転し、それまで使っていたゾルムスの工場を畳んだ。その際に出てきた様々な資料やプロトタイプ、モックアップなどを保管するために、ライカカメラ社はアーカイブ担当部署を新たに設けた。

アーカイブ部門が管理する資料室は、「カメラ機材」「紙資料」「ライカアカデミー関連」の大きく3つに分かれている。セキュリティの観点から写真を撮影できたのは一部のみだったが、大事に整理整頓されている様子が伝わるかと思う。ライカファン向けにはこちらも是非ガイドツアーを実施してほしいが、現時点では未定とのこと。

世に出た全てのライカは、それぞれのシリアルナンバーに対して「いつ誰が検品したか」「どこへ出荷したか」などの情報が残っているという。
オスカー・バルナックの社員ID。出生地、入社日、退職日(バルナックは1936年没)といった項目がある。
左は1937年のヒンデンブルク号爆発炎上事故現場から出てきたライカ。右はアポロ11号で宇宙へ行った双眼鏡(省スペース化のために片眼側だけ使った)。NASAの厳重なナンバリングが特徴的。
エリザベス女王のために作られたライカM6の試作機と、完成品の写真。
ライカM for (RED)のプロトタイプ。ジョニー・アイブ(アップル)とマーク・ニューソンという、ともに大英帝国勲章を授与された有名デザイナーが手がけたチャリティー用モデル。180万5,000ドルで落札され、その1台だけが世に出た。
ホットシューも取り去ってしまう大胆なデザイン。

続けて歴代製品を収蔵する部屋に移動したが、こちらは撮影禁止。収納するカメラに合わせて作られたケースに年代ごとの機種がまとめられ、背丈よりも高い棚が部屋中に整然と並ぶ。統一されたケースには黒い発泡スチロールのような素材の仕切りが入り、各カメラにフィットするようにくり抜かれていた。一例として中を見せてもらえたケースには、バルナックライカのボディが8台並んでいた。

年代順で一番古いケースには「0-serie, Leica I」とメモが貼られていた。工場試作機、いわゆる“ヌル・ライカ”の実機があるということだろう。全体での保管台数は相当なものと見え、誤って閉じ込められてもカメラを眺めていれば1週間ぐらいは退屈しそうにない部屋だった。

紙資料を主に管理する部屋では、棚に機種ごと・年代ごとのファイルが並ぶ。歴代モデルの企画書や仕様書が収められたファイルのほかに、過去のプレスリリース、ライカに関する写真集や書籍もあった。先ほど外の覗き穴から見えたのは、この部屋の一部分だった。

紙資料の部屋は、棚に整然と資料が並ぶ。
過去の様々なモデルに関する資料。限定品など。
過去のプレスリリースが集められている。
引き出しから登場したのは、ライカA型の機構図。「映画フィルム用スリットシャッターカメラ」と書いてある。
その上に並んでいたのは、マンフレッド・マインツァー氏の「ライカR8」デザイン原画。
ライカカメラ現社屋の鍬入れを行ったスコップ(右端)など、さまざまなアイテムが並ぶ棚。
写真集やライカ関連書籍が並ぶ棚。
日本のライカファンにはお馴染みの本も。
ウェッツラー旧市街のライカストアでオーナーを務めるLars Netopilさんの「MUSEUM LEICA」(右)は、ライカミュージアムの収蔵品を集めた写真集。ライカ銀座店でも販売している。左の「RARE LEICA」は市場に出たレアモノがテーマだが、MUSEUM LEICAに載っているのはプロトタイプなど一般の目に触れない品ばかりなので、あらゆるライカ本を読み尽くしてしまった人向け。

お楽しみのミュージアムショップ

博物館にはグッズが付きもの。ライカミュージアムにもミュージアムショップが併設されており、ここでしか買えないという新アイテムが並ぶ。プロデュースしたのはフランクフルトにあるライカストアで、同店から来ていたスタッフがいくつかのアイテムを紹介してくれた。ちなみに、フランクフルトのライカストアは広いギャラリーや写真集専門のフロアなどもあり充実しているので、ドイツで時間があればそちらにも立ち寄ることをオススメしたい。

1階のミュージアムショップ。
昔の広告デザインを使ったスカーフ。
バルナックライカ型のカフスボタン。
ルーペ。ライカのボディと同じ真鍮を使ったものと、アルミ製のものがある。
写真集も並ぶ。

本誌:鈴木誠