インタビュー

キヤノンはいかにして「EOS-1D X Mark III」をつくりあげたのか

開発者へのインタビューからAFや画づくり、機構設計を掘り下げ

新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、現段階ではまだ従来型の対面によるインタビューは難しいと判断されるため、実際にEOS-1D X Mark IIIの開発にあたられた技術者の方々にあらかじめ用意した質問事項に対して、担当箇所ごとにおもに書面にてお答え頂きました。その回答を軸にバーチャルインタビューとしてお届けします。

製品の企画コンセプトについて

――今回のEOS-1D X Mark IIIは、機能的に従来モデルから劇的に進化していると感じます。このモデルの狙いはどの辺りにあるのかというところからお聞かせください。

椎名 :EOS-1D X Mark IIIは「光学ファインダーカメラ」として静止画性能、動画性能ともに“究極”の性能を目指して企画しました。

スポーツイベントやモータースポーツなどで激しく動く被写体や、動物など動きを予測するのが難しい被写体を撮影するプロフォトグラファーが、厳しい撮影条件でも撮影できるよう、個別機能・総合力ともに今の時代に求めうる最高性能を目指し、高画質、高速性、動画性能、信頼性などのあらゆる面で進化させたカメラです。また、特に今回はAF性能、通信性能、画質の進化に重点を置いて開発しました。

商品企画を担当した椎名麻衣子氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB事業統括部門)

――個人的にはライブビュー撮影機能において、AF/AE追従で最高約20コマ/秒の連続撮影を実現し、ファインダー撮影時の最高約16コマ/秒を上回ったところに注目しています。スペック上はライブビュー撮影がファインダー撮影を上回った形になりますが、実際に被写体を補足して合焦し、撮影する能力はどちらが優れていますか?

椎名 :比較条件にもよりますので一概にはお答えできません。ただ、ファインダー撮影・ライブビュー撮影のどちらの場合も、輝度や色、形などの情報から被写体認識と自動追尾を行うEOS iTR(Intelligent Tracking and Recognition)AF Xにより、EOS-1D X Mark IIよりも高いAF追従性能を実現しています。

ファインダー撮影時は、ファインダーを覗きながら、タイムラグが少なく、またレスポンス良く撮影できます。ライブビュー撮影時は、映像表示範囲の横:約90%×縦:約100%という広範囲でオートフォーカスが可能です。ファインダー撮影、ライブビュー撮影それぞれの特徴がありますので、撮影スタイルや撮影シーンなどに合わせてお使いいただけるようにしています。

EOS-1D X Mark IIIの光学ファインダー構造
ボディの内部構造

――先日の開発発表でEOS R5の登場がアナウンスされていますが、あちらは約20コマ/秒で、しかも8K動画対応ということでミラーレス機の可能性が大きく拡がっていると感じさせられます。そうした将来のカメラ市場を展望した時、一眼レフ機(以下一眼レフと表記)のメリット、すなわち光学ファインダーとファインダー位相差AFシステムの優位点は今後も維持できるとお考えでしょうか?

椎名 :現時点では、厳しい撮影環境で撮影するプロフォトグラファーにとってファインダー表示の遅延がないことや、レスポンス、バッテリーの持ちなどの点で、光学ファインダーを搭載した一眼レフが有利であると考えています。

一方で、ミラーレス一眼におけるキヤノンの技術は大幅な進化を続けており、今後このような点での差は徐々に小さくなっていくと考えられます。勿論その過程では、EOS-1D X Mark IIIで搭載されたAF技術など、キヤノンがこれまで一眼レフで培ってきた技術を、ミラーレスカメラにも活かすことにより、ミラーレス機のさらなる撮影領域の拡大を図っていきたいと考えています。

EOS R5(CP+2020展示予定機)

――EOS-1D X Mark IIIの企画時に、今回のフラグシップ機はミラーレス機でいくとするプランはありましたか?

椎名 :ミラーレス機に対して、遅延のない光学ファインダーやレスポンス、バッテリーの持ち等は一眼レフが優れるため、EOS-1D X Mark IIIはプロフォトグラファー向けの信頼性を重要視する一眼レフとして企画しました。

――ライブビューモードの使い勝手が非常に良いので、光学ファインダーの代わりにEVFを採用したモデル、またはアクセサリーシューに取り付ける外付けEVFが欲しいと感じました。

椎名 :外付けEVFに対応するためには、新たに電子接点が必要となります。検討の結果、プロフォトグラファー向けの信頼性を重要視するカメラとして、今回は見送りました。

イメージセンサー・ローパスフィルター

――イメージセンサーの画素数が2,010万画素と据え置きになりましたが、もう少し増えても良かったと思います。この画素数になった理由は?

椎名 :プロフォトグラファーからの要望や意見を参考にして、高感度性能や連写性能、通信性能とのバランスを考慮し、この画素数としています。

有効2,010万画素のCMOSセンサー

――なるほど。画素数はもう十分なので使い勝手を良くしてくれ、という意見が多かったということですね。ところで、ライブビュー時に最高約20コマ/秒の高速連写が可能になっていますが、Mark IIの時と比べて何が向上したのですか?

三本杉 :CMOSセンサーの読み出し速度向上とともに、DIGIC Xの画像処理性能の向上が最高約20コマ/秒の高速連写の実現に大きく貢献しています。

センサーを担当した三本杉英昭氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター)

――関東地方の蛍光灯(50Hz)を電子シャッターで実写したところフリッカーの走査線が2本弱写りましたので、フル画面でのスキャンスピードは1/60秒前後かと思います。以前の機種からすればかなり高速になりましたね。

三本杉 :具体的な数値に関してはお答えできませんが、CMOSセンサーの読み出し速度の向上により、電子シャッターのスキャンスピードが高速化されています。それにより、従来製品よりも電子シャッター撮影時の歪みが低減され、より広い撮影領域で電子シャッターをご使用いただけると考えています。

――読み出しを早くするためのポイントを教えてください。読み出しにおいて何か技術的なブレークスルーはありましたか?

三本杉 :一般的にセンサーの読み出しを速くしようとすると、ノイズが大きくなるといった弊害が発生します。EOS-1D X Mark IIIの新開発CMOSセンサーは、低ノイズの読み出し回路を採用しており、読み出しの高速化と画質の両立に貢献しています。

――電子シャッター使用時にフラッシュが使えないのはなぜですか? 全速使えないのでしょうか?

三本杉 :技術的には可能ですが、カメラシステムの構成と仕様のバランスを考慮して、ストロボの使用を制限しています。全速で使用不可としています。

――メカシャッターの上限が1/8,000秒なので、晴天時にF1.2のレンズ使用時などシャッタースピードの上限がもう少しあればと思う場合があります。電子シャッターで高速側を補うことはできないのでしょうか?

三本杉 :電子シャッター撮影時は一般的に歪みが発生し、原理的にはシャッタースピードが高速なときにその影響が大きくなります。電子シャッターと高速シャッタースピードの整合性を考慮して、1/8,000秒を上限としました。さらなるシャッタースピードの高速化については、今後検討していきたいと考えています。

シャッターユニット

――電子シャッター時、0.5秒より遅いシャッタースピードが使えないのはなぜですか? スローシャッターでブレを抑えたい時こそ電子シャッターを使うのでは?

三本杉 :ノイズリダクションとの整合性を考慮し、長秒撮影時は電子シャッターをサポートしていません。EOS-1D X Mark IIIでは、最高約20コマ/秒の高速連写で被写体の一瞬を切り取ることを重視し、このような仕様になっております。

――最高約20コマ/秒の高速連写を優先するとなぜ、電子シャッターで長秒時のノイズリダクションに影響するのですか? もう少し詳しくお願いいたします。

三本杉 :長秒撮影後のノイズリダクション処理中は撮影ができないため、ライブビュー表示できずに被写体を追うことが困難となってしまいます。長秒時のノイズリダクションは、こういった連写時のユーザビリティに影響を与えてしまうと考えています。

――今回の目玉機能の一つとして新開発の16点分離式のローパスフィルターが採用されていますが、従来のローパスフィルターと比べて何が違うのですか?

桃木 :今回のLPF(ローパスフィルター)は従来品の単なる改良ではなく、「理想のLPF」を探索することから開発が始まりました。その際に着目したのは、確率分布であるガウス分布です。天才物理学者ガウス(カール・フリードリヒ ガウス)の名に由来するガウス分布は、数学的に完全性が高く、またガウス分布では、自然なボケを得ることができるため、直感的にLPFに使えるのではと予想しました。

詳しく検討することで、以下のことがわかりました。

[1]16点に分割することで、MTF(Modulation Transfer Function)がガウス分布になること
[2]ガウス分布では、高周波での折り返しがないこと
[3]16点では、縦横と斜め方向で、それぞれローパスフィルターの強さが変えられること

これらの特徴を用いて、色モアレを除去しながら、解像感を残すことが実現できました。

これは画像設計部門と共に、ローパスフィルターの使い方を詳細に検討した結果によるものです。また、高周波の解像情報が残ることで、最適化されたデジタルレンズオプティマイザの効果も重なり、解像感が高まっているのが特徴です。

LPFを担当した桃木和彦氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB光学統括部門 光学技術統括開発センター(当時))

――Webページにある模式図を見ますと一旦従来同様、水平と垂直方向に4分割した上で、さらに斜め45度方向に4分割しているように見えます。だいたいそんな構造なのでしょうか?

桃木 :分割の順序は具体的に申し上げられませんが、構造としてはその通りです。

LPF点像図。左が新LPF、右が従来のLPF
詳しい説明:GDローパスフィルターの特長

――模式図のスケールをお尋ねしますが、16個の点像が全て入るくらいが1画素のサイズなのですか?

桃木 :1画素と同じ程度のスケール感です。

――模式図にある3次元のMTF図の意味、読み方を教えてください。

桃木 :縦軸がMTFでコントラストを示しています。白黒のシマが完全に再現できるのが100%で、グレー1色に分離できなくなるのが0%です。横軸は空間周波数で、白黒のシマのピッチの逆数です。中心から各方向に対して遠ざかるほど、空間周波数が高くなります。

目指したMTFの形状はガウス分布です。一方、4点分離では、一端落ちたMTFが高周波で再び折り返しています。そこはローパスフィルターが効かず、偽解像となり、偽色やモアレの原因となります。

MTF三次元図。左が新16点分離方式、右が従来の4点分離方式
詳しい説明:GDローパスフィルターの特長

――記録方式の説明にHDR PQ HEIF(High Efficiency Image File)10bit記録というのが出てくるのですが、従来のJPEG記録と何が違うのか噛み砕いてご説明いただけますか?

藤田 :ディスプレイの進化などにより、映像分野で普及が進んでいるHDR(High Dynamic Range)ですが、今回キヤノンでは静止画においてもHDR撮影(以下説明を参照)ができるようにしました。

画質を担当した藤田篤史氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第二開発センター)

HDRのフォーマットには国際規格であるITU-R BT.2100準拠の、PQ(Perceptual Quantization)とHLG(Hybrid Log Gamma)の2方式がありますが、EOS-1D X Mark IIIの静止画におけるHDRでは人間の視覚特性に合わせた色や階調を表現する規格であるPQ方式を採用しています。PQ方式の採用により、広いダイナミックレンジのRAWデータを生かし、高い再現性をもった静止画の表現を実現します。

CanonのJPEGとHEIFの差
※ファイルサイズはあくまでも目安。ファイル容量は撮影条件によって異なる
項目JPEGHEIF
bit深度8bit10bit
色空間sRGB/Adobe RGBRec.ITU-R BT.2100(PQ)
圧縮JPEGHEVC
ファイルサイズ7.6MB7.6MB
記録画質L/M1/M2/SLのみ
サンプリングフォーマットYCbCr422YCbCr422

従来のSDR(Standard Dynamic Range)フォーマットでは、表示装置のピーク輝度100nit(cd/m²)と規定されているのに対し、PQ方式の出力レンジは、その100倍の10,000nitまで対応できるため、高輝度が表示可能なディスプレイであれば、デジタルカメラで得たダイナミックレンジを狭めることなく表示が可能です。

HDR撮影について

撮影時に明るさの設定を変えた複数枚(通常3枚)の写真を撮影し、それを合成するHDR機能は従来の一部機種で提供していました。しかし、これはSDRフォーマットで撮った写真の組み合わせを、出力デバイスにあわせて狭いダイナミックレンジの範囲に階調(色の濃淡や光の明るさ)を押し込むため、コントラスト低下などを招く場合がありました。

さらに動く被写体への適用も困難でした。それに対して、HDR PQ方式の撮影では撮影時に得られた広いダイナミックレンジの元データをHDR対応フォーマットで保存することで、RAWデータが持つ豊富な情報の多くを生かした、従来よりも格段に臨場感がある静止画の表現を可能としています。

SDR方式とHDR-PQ方式のダイナミックレンジ比較図

そこで、EOS-1D X Mark IIIでは静止画記録のフォーマットにおいて、従来の「JPEG」に加えて「HEIF」を採用しました。JPEGの8bit(256階調)に対し、HEIFでは10bit(1,024階調)以上の画像データを格納でき、色域が非常に大きい規格であるRec.2020にも対応します。また、画像の圧縮にHEVC(H.265)コーデックを使用することで、同じ画質のJPEGに比べ、より高い圧縮効率で画像を保存できます。

入力のダイナミックレンジを拡大する機能である複数枚撮影して合成する従来のHDRに対して、HDR PQは入力から出力まで広いダイナミックレンジを生かすため、1枚撮影であっても肉眼で見た情景に限りなく近いリアルな静止画を、HDRディスプレイ上で表示することができるようになりました。

――HEIF画像を正しく観察するには、ITU-R BT.2100 PQ規格対応のOS、ソフトウェアならびにディスプレイなどのハードウエアが必要なのでしょうか?

藤田 :HDR対応のHDMI 2.0a/bケーブルで、HDR10などのHDR規格に対応したディスプレイやTVとEOS-1D X Mark IIIを接続することで、HEIF画像を正しく鑑賞することができます。

また、PC環境であれば、Windows 10 Version 1803以降、ビデオカード(NVIDIA GeForce GTX 10シリーズ、AMD Polaris アーキテクチャーなど[推奨ビデオメモリー4GB以上])の環境において、Digital Photo Professional 4.12以降で開くことで、HEIF画像を正しく鑑賞することができます。

――スマートフォンやmacOS版のDPPでの対応状況も教えていただけますか?

藤田 :現状、HDRPQ表示には対応しておりません。スマートフォンやmacOS版のDPPではHDRPQ表示に似た印象となるように変換されてSDRで表示されます。

――EOS-1D X Mark IIIのモニターはITU-R BT.2100 PQ規格対応なのでしょうか?

藤田 :残念ながらEOS-1D X Mark IIIの液晶モニターは、ITU-R BT.2100 PQ規格に対応していません。

――HEIF画像を従来のSDR環境で見た場合どうなりますか?

藤田 :EOS-1D X Mark IIIの液晶モニター含め、SDR環境で見た場合は、再生時のモニターにアシスト表示が適用され、HDRディスプレイで見たときの印象に近似した表示になります。

――C-RAWというファイル形式が採用されていますが、従来のRAW、M-RAW、S-RAWとどう違いますか?

藤田 :C-RAWは、RAWに対してファイルサイズが小さくなっています。M-RAW, S-RAWも、RAWよりもファイルサイズが小さいという特徴はC-RAWと同じですが、M-RAW, S-RAWは画素数がRAWよりも少ないのに対して、C-RAWはRAWと同じです。また、C-RAWでは、M-RAW, S-RAWではできなかったカメラ内RAW現像ができたり、デジタルレンズオプティマイザを使えるといったメリットもあります。

――画像処理では流行りの明瞭度が追加されました。ただ、ピクチャースタイルのパラメータ内を探しても見当たらず、撮影メニューにあったので戸惑いました。ピクチャースタイルのパラメーターに組み込むのは難しかったのでしょうか?

藤田 :今回は新たに搭載した「明瞭度」という画質調整の機能をユーザーに知ってもらうため、メニューに搭載する形が良いと判断しました。いただいたご意見も含め、今後の市場の反応を見ながら、最適な形態を検討していきたいと思います。

明瞭度の設定画面

ファインダー撮影機能

――新開発のファインダー位相差AF用・High-res AFセンサーの画像を見て驚いたのですが、従来のラインセンサーがいくつも並んだものから、撮像素子などと同様のエリアセンサーに進化していますね。AFセンサー前に従来のようなセパレーターレンズはあるのでしょうか?

山本 :従来機種と同じようなセパレーターレンズはあります。ファインダー位相差AFの光学系は、EOS-1D X Mark IIとほぼ同じです。AFセンサーは、ラインセンサーからエリアセンサーに大幅進化しました。画素の微細化によって、細かい模様の被写体にも、より高精度にピントが合うようになりました。

ファインダーAFを担当した山本英明氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター)

山本 :また、従来苦手であった低コントラストな被写体でも、高解像センサーによってコントラストが出るため精度が向上しています。さらに、多くの画素情報を用いて高度な画像処理を行うため、さまざまな模様の被写体に対してピント精度が向上しています。

AFセンサーユニット
High-res AFセンサー

――像面位相差方式にすれば測距範囲をもっと大きくできるのでは?

山本 :ファインダー撮影時の位相差AFでは、High-res AFセンサーに光を導くために、サブミラーが必要であり、使用できる光束範囲が制限されます。そのため、撮像面の位相差AFよりも測距範囲が狭くなります。

――全点F8対応というのは、エリアセンサー化でF値に応じてセンサー間隔を自由に設定できるからでしょうか?

山本 :全点F8測距は、EOS-1D X Mark IIですでに対応しています。F5.6測距用の光学系には、撮影レンズがF8であってもある程度の光が入射しています。そこで、その光を最大限活用して測距するよう演算を工夫しています。センサーが使用する領域を自由に設定できるという点はその通りです。この利点を活かして、カメラ個体ごとに最適な領域で測距しています。それにより、より広い範囲での測距が可能となり、例えば左右のF4-F5.6クロス測距対応点数が、EOS-1D X Mark IIより大幅に増えています。

――F2.8は対応しているのでしょうか?

山本 :中央測距点がF2.8測距に対応しています。EOS-1D X Mark IIでは、中央付近の5点がF2.8測距に対応していたので、対応点数は5点から1点に減りました。これは画素の微細化によって、F5.6対応の全点が従来のF2.8対応測距点並みの敏感度で測距できるためです。そこで、F2.8対応測距点数を減らし、全体としてバランスを取った設計としています。

――EOS iTR(Intelligent Tracking and Recognition)AF Xとは?

山本 :AE専用センサーや映像エンジンにより、輝度や色、形などの情報から被写体認識と自動追尾を行う機能です。

――頭部検出とは、従来の顔認識などと何が違うのですか?

山本 :ディープラーニング技術を採用し、従来の顔検出では難しかった後ろ向きの頭や、サングラスをかけた顔なども検出可能になっています。

――人物だけでなく例えば自動車レースやモトクロスとか鉄道など、周囲の風景の中に動体があるような状況で、被写体が動体であることを認識して自動選択及び追従はできますか?

山本 :はい、できます。自動選択AFでは、動体の検知情報だけでなくさまざまな情報に基づき、総合的な判断で主被写体を自動選択します。

――自動選択AF時にAF開始点設定をすると、最初に指定した被写体を自動追尾できますが、この精度というか食いつきが以前の機種に比べて格段に性能向上しているように感じました。何が進化したのですか?

山本 :EOS-1D X Mark IIに対して頭部検出が追加されたことや、ファインダーAFではHigh-res AFセンサーによるハード面の進化と、追尾時のアルゴリズムを改良することによるソフトウェア面の進化の双方によって、性能が向上したと考えています。また、一度捕捉した被写体を安定して追尾し続けられるよう、追尾アルゴリズムを進化させています。また、特に人物を追尾する場合には、頭部検出によって安定して被写体を捕捉し続けることが可能となっています。

ライブビュー撮影機能

――ライブビュー撮影での進化点を教えてください。

椎名 :EOS Rで搭載している瞳AFや、領域拡大AFやゾーンAF、ラージゾーンAFがAF方式として選択できるようになりました。さらに、最高約20コマ/秒の連写でAE/AF追従を実現したほか、電子シャッターでの連続撮影対応や、横約90%×縦約100%という広範囲でのAFも可能になっています。また、ファインダー撮影と同様に頭部検出可能なことに加えて、奥行き情報もモニタリングしており、AFエリア分割数の細密化と合わせ、ダイナミックに動く被写体に対しても優れた追尾性能と合焦精度を発揮します。

――AF/AE追従で約20コマ/秒を可能にした技術的ポイントは?

三本杉 :最高約20コマ/秒で静止画の読み出しと画像処理を行いながら、AF/AEを同時に行うには非常に大きなデータ量の処理が必要となります。新開発のCMOSセンサーの高速読み出しとDIGIC Xの処理能力の向上により、そのような大きなデータ量の処理に対応することができるようになり、AF/AE追従で最高約20コマ/秒が可能となりました。

――高速連続撮影(約20コマ/秒)時のシャッター方式はメカシャッターでしょうか?

三本杉 :ライブビュー撮影時に最高約20コマ/秒で撮影することができます。シャッター方式は、メカシャッター、電子先幕、電子シャッターから選ぶことができます。

――連続撮影(中速)時は通常約10コマ/秒ですが、メカシャッターの場合は約8コマ/秒になると書いてあります。この理由は?

三上 :メカシャッターと電子先幕では、シャッターの駆動仕様が異なるためです。

メカを担当した三上夏氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB製品開発センター)

――メカシャッター時、最高約20コマ/秒の連続撮影が可能なのに、どうして10コマ/秒はできないのですか?

三上 :連続撮影速度が下がっても被写体を追いやすくするため、高速連続撮影時と連続撮影(中速)時では、表示方法を変えています。つまり同じメカシャッターでも撮影制御が異なります。連続撮影(中速)時は、制御の都合により、最高約8コマ/秒の仕様になっています。

――ライブビューAFのエリアも従来から大幅に進化して、領域拡大やゾーンAFなどにも対応し、ファインダー撮影時と遜色ない機能になっていますね。AF機能をファインダー撮影と共通化した狙いは?

長谷川 :電子シャッター撮影や動画など、プロ用一眼レフカメラであってもライブビュー撮影の機会が増えているためです。

ライブビューAFを担当した長谷川玲治氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第一開発センター)

――自動選択AFと顔+追尾優先AFの名称も統一しないのでしょうか?

椎名 :従来からのユーザーに混乱を与えないようにするとともに、ライブビュー撮影時は、顔検知、瞳AFなどの特長があることから、この名称としています。

――サーボAF時に開始点の設定をした時、被写体への食いつきが従来から格段に向上していると感じられました。これはファインダーAF時の被写体認識アルゴリズムと同様の技術が用いられているのでしょうか?

長谷川 :ファインダー撮影、ライブビュー撮影で、AF光学系やセンサーの違いはありますが、ともに同じ画像認識技術を用いています。

――ライブビューAF時の低輝度対応が-6EVと人間の目で見えないほど暗い場面でもAF可能だそうですが、これは像面位相差AF方式で実現しているのでしょうか?イメージセンサーの感度向上だけでは賄えない範囲かと思います。どんな工夫をしているのでしょうか?

長谷川 :低輝度EV-6は、EOS Rですでに対応しています。デュアルピクセル CMOS AFは、全画素をAFに使用することができ、低輝度に有利です。その上でさらに、センサーの感度向上、AF信号の処理、撮像シーケンスなどの性能を総合的に積み上げることで、EV-6を実現しています。

EOS R

メカ機構

――メカ機構の中で注目されるのは、ファインダー撮影時に約16コマ/秒の高速連写を実現したメカニズムです。メカ機構の進化点を教えてください。

三上 :新しいリンク機構の搭載により、メインミラーの動きに対するサブミラーの遅延を限りなく少なくしています。これにより、両ミラーの制御性が向上し、必要な角度に短時間で静止させることが可能になりました。また、モーターも従来使用していたものから改良しています。

ミラーボックス部

――コマ速はそんなに簡単に上げられるものなのでしょうか?

三上 :最高約14コマ/秒から16コマ/秒への進化は非常に大変でした。おそらく最高約16コマ/秒から先の進化はさらに困難なものになると思います。

――一眼レフ方式のコマ速はこれが限界ですか? どこまで上げられる?

三上 :「何コマ/秒が限界」とは明言できませんが、最高約16コマ/秒よりさらに速くすることは可能であると考えています。

――今回は特にシャッターが20コマ/秒に対応ということで、同時に作動耐久が従来の40万回クリアから50万回クリアに増えています。何を改善したのでしょうか?

川浪 :シャッター羽根走行時のエネルギーを吸収するブレーキの材質を変更したことや、チャージ系の構造をシンプルにして可動部を少なくすることにより実現しました。

シャッターユニット

――ライブビュー時、メカシャッター、電子先幕シャッター、電子シャッターでそれぞれシャッター幕の動きはどう変化しますか?

川浪 :撮影前のライビュー状態は、先幕だけを走行させて、撮像センサーを露出させた状態です。

その状態からメカシャッターで撮影する際は、初めに後幕を走行させて、次に先幕と後幕を走行前の位置に戻します。その後、先幕と後幕とで一定の隙間を開けながら走行させて、撮像センサーを露光させます。電子先幕シャッターで撮影する際は、先幕は開いたままで、撮像センサーのリセット動作とそれに一定の隙間を開けながら追従するように後幕を走行させることで撮像センサーを露光させます。電子シャッターで撮影する際は、先幕と後幕は走行しません。

シャッターユニットを担当した川浪淳氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター)

――他社機では電子シャッターのスキャンスピード向上でコマ速を上げていますが、キヤノンではメカシャッターの性能向上でひずみを最小限に抑えているのはすごいですね。

川浪 :ありがとうございます。

――メカシャッターの幕速はストロボ同調が1/250秒以下なので1/250秒ほどと思われますが、この場合も厳密にはローリング歪みがあるのではないですか?

川浪 :一般論ですが、撮像センサーに対して、シャッターは上から下に先幕と後幕とで一定の隙間をあけながら走行させて、露光させます。つまり、動いている被写体だと、撮像センサーの上と下とでは、露光した時間が違うので撮影画像は、上と下でずれた(移動した)絵となります。したがって、厳密には歪みが生じます。

参考:フォーカルプレーンシャッターのしくみについて

カメラのしくみって?(Webページ「キヤノンサイエンスラボ・キッズ」より)

――コマ速がライブビュー撮影では最高約20コマ/秒なのに、ファインダー撮影では最高約16コマ/秒になっているのは、ミラーの上下動に加えてAF/AEのための時間が必要だからですか?

三上 :概ねその通りです。ミラーの上下動、AF/AEのための演算やレンズの駆動、露光などさまざまな要素により、最高約16コマ/秒を実現しています。

仕様・通信機能

――今回は待望のCFexpressカードのダブルスロットということですが、どんなところにメリットがありますか?

椎名 :高度な即時性・即応性が必要なプロフォトグラファー向けカメラとしてシステム全体が高速化する中、記録メディアにはボトルネックとならない高い性能が求められます。CFexpressは、Read/Write性能が理論値で最高2,000MB/s(Type B)に達する次世代の高速記録メディアです。このCFexpressの採用により、RAW+JPEG連写やRAW動画記録、画像転送といったユースケースにおいて、これまでにない快速・快適なパフォーマンスを達成しています。

CFexpressによる記録性能について検証した記事はこちら

【徹底検証】EOS-1D X Mark III×Cobalt 325GBの限界に挑む

――有線LANや無線LANの通信速度が高速化しているようですが、従来モデルと比べてどれくらい早くなっていますか?

:前機種に対して、同じ条件で測定すると大幅な高速化を達成しています。しかしながら、お客様の使用機器によって通信速度が大きく変わるため、数値は公表していません。

LAN端子部

――FTPサーバーはWindowsパソコンに限られるのでしょうか?

:Windows10のInternet Information Servicesは、弊社で動作保証しています。ただし、他のFTPサーバーが使えないという訳ではありません。動作保証していないため、使用説明書に記載していません。

通信を担当した林健一郎氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター)

――FTPサーバーの設置はローカルネットワークに限られますか? 実際にはどういう使い方を想定していますか?

:サーバーの設置場所は、ローカルネットワークには限りません。近年、カメラのFTP転送機能は、ローカル/パブリックといった環境を問わず使用されるようになってきています。EOS-1D X Mark IIIは、スポーツイベントなどで活躍する報道カメラマンをターゲットユーザーとして想定しています。

近年スポーツイベントでは、撮影カメラマンが撮影画像をイベント会場からネットワーク越しの自社サーバーへFTP転送し、サーバー側に控えている編集者が転送画像に応じた内容を記事に反映するというワークフローが一般的になっています。そのような使い方を想定して、EOS-1D X Mark IIIは、画像転送速度、ネットワークへの親和性、および通信セキュリティ向上を図っており、EOS-1D X Mark IIに対して大幅なスペックアップを実現しています。

――Wi-Fi機能を内蔵した一方で、WFT-E9Bという新開発の専用無線LANアダプターもありますが、これはどう使い分けるのですか?

:より転送速度の高速化と通信距離を求められるお客様に向けて開発しました。内蔵Wi-Fiは、2.4GHzにのみ対応しています。また、アンテナがカメラに内蔵されているため、長距離転送を対象としていません。カメラと近い距離でスマートデバイスを使った、カメラ内の画像閲覧やリモート撮影操作といった使い方を想定しています。

一方、WFT-E9Bは、2.4GHz/5GHzに対応しています。さらに小型ボディにアンテナを2つ配置することで、通信の高速化と長距離転送を実現しました。これにより、画像の高速転送や広いフィールドでの撮影を可能としています。WFT-E9Bを使用することで、内蔵Wi-Fiではカバーできない撮影スタイルを可能にします。

WFT-E9(EOS-1D X Mark IIIにとりつけた状態)

――image.canonとの連携は可能でしょうか?

椎名 :EOS-1D X Mark IIIは、image.canonの撮影時画像自動送信、および手動選択でのアップロードには対応しておりません。image.canonをお使い頂く場合には、パソコンにEOS-1D X Mark IIIの画像を取り込んでいただき、パソコンからimage.canonにアップロードしていただく必要があります。

また、image.canonではないのですが、EOS-1D X Mark IIIは、Digital Photo Professional経由でクラウド上での画像処理ができるようになりました。EOS-1D X Mark IIIで撮影した静止画を、よりノイズを低減し解像度も向上することができますので、お試しいただきたい機能です。

image.canon

――最後にまだ言い足りない部分やアピールしておきたい機能や特徴、苦労した点などのエピソードなどございましたらお願い致します。

開発者一同 :EOS-1D X Mark IIIでは、ライブビュー撮影においても、プロユースを想定したさまざまなシーンを撮影し、プロが使えるライブビューAFに仕上げました。また、基本的な画像処理についても大きく進化しています。センサー性能の向上とノイズリダクション進化により、常用最高ISO感度ISO 102400を達成し、EOS-1D X Mark IIと同じ20Mでありながら、画像処理アルゴリズムの進化により、低感度での解像感も向上しています。また、Canon Log対応やRAW動画など、動画機能も大幅に強化しました。

ボディ外装の分解図

EOS-1D X Mark III+EF400mm F2.8L IS III USM

インタビューにて対応いただいた方々

繰り返しとはなりますが、本インタビューは新型コロナウィルスの感染拡大防止に向けた情勢に鑑みて、政府・行政・各社の様々な取り組みが実施される中で、おもに書面による回答協力をいただくことで構成しています。メーカーおよび企画開発担当の方々には多大な協力をいただきました。記して感謝申し上げます。

上段:左から椎名麻衣子氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB事業統括部門/商品企画担当)、三上夏氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB製品開発センター/メカ担当)、長谷川玲治氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第一開発センター/ライブビューAF担当)
中段左から藤田篤史氏(イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第二開発センター/画質担当)、三本杉英昭氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター/センサー担当)、山本英明氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター/ファインダーAF担当)
下段左から川浪淳氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター/シャッターユニット担当)、林健一郎氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 ICB統括第三開発センター/通信担当)、桃木和彦氏(主任研究員/イメージコミュニケーション事業本部 ICB光学統括部門 光学技術統括開発センター[当時]/LPF担当)

杉本利彦

千葉大学工学部画像工学科卒業。初期は写真作家としてモノクロファインプリントに傾倒。現在は写真家としての活動のほか、カメラ雑誌・書籍等でカメラ関連の記事を執筆している。カメラグランプリ2019選考委員。