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あかるい夜──中東正之



 中東正之(なかひがし まさゆき)さんの「あかるい夜(あかるいよ)」および「あかるい夜 the diary」というふたつのブログは、おもに長時間露光で夜に撮られた写真とそれにまつわる話題が中心となっている。特に「あかるい夜 the diary」のほうは、「サヨナラ軍艦アパート」という中東さんの個展の準備期間から展示にいたる間の一種の“メーキング”となっている。

 そこではHDRI(ハイ・ダイナミックレンジ・イメージ)という、フィルムやイメージセンサーのラティテュードを凌駕する明暗の幅広い階調を表現する手法についてのくわしい説明が書かれているほか、シフトレンズを使った分割撮影によるタイリング、トイカメラをはじめとした撮影機材の改造、大判プリントを展示する方法や輸送方法といったノウハウが惜しげもなく記されている。

 これらの技術的な試みは独創的であって、よくあるホビーイストによるカメラ改造とはまったく異なっている。中東さんのブログを読むと、あくまでも完璧な写真を求めた結果、こうした実験的な試みをせざるをえなかったのだということがよくわかる。

中東正之「あかるい夜」
http://arcbody.cocolog-nifty.com/nakahigashi/
1962年 大阪府寝屋川市生まれ
 16歳から写真を始める
 大阪芸術大学卒
 大阪府茨木市在住
1999年 エプソンカラーイメージングコンテスト1999巡回展
2000年 エプソンカラーイメージングコンテスト2000巡回展
2002年 上野芳一写真賞/外苑スタジオ写真賞 受賞作品展
2002年 個展「NICE NIGHT FOR A WALK」銀座ニコンサロン
2005年 第30回JPS展(文部科学大臣賞)
2006年 個展「サヨナラ軍艦アパート」新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロンほか多数
※記事中の写真はすべて中東正之氏の作品です。


あかるい夜
中東正之

──HDRIについて簡単に説明してください。

 現実世界のダイナミックレンジ(明暗比)は広大で、一般的なカメラやモニターやプリンターの再現域では、到底およびません。HDRI(ハイ・ダイナミック・レンジ・イメージ)は、これを完全に再現しようとする試みです。

 HDR撮影は、デジタルカメラで同じ構図を段階露光し、ハイエストライトからディープシャドーまで白トビ・黒ツブレしていない複数枚の画像ファイルを得ておきます。それらの画像ファイルをPhotoshopなどの画像処理ソフトで1枚に合成します。それには2つのやり方があります。

 1つは伝統的な「露出コンポジット」で、段階露光したファイルをPhotoshopでレイヤーとして重ね、「適正」とおもわれるエリアを手作業で切り貼りして合成するという手法です。私は、これに倣ったやり方で「サヨナラ軍艦アパート」を撮りました。

 もうひとつは、「トーンマッピング手法」とも呼ばれる手法で、PhotomatixやPhotoshop CS2「HDRに統合」コマンドなど、自動処理でHDRIが作成できるソフトを用います。段階露光による複数枚のファイルをソフトに展開すると、統合処理が自動的になされますが、かならずしも最適な結果は得られません。現在、HDRIとして発表されている写真作品は、極端なトーンマッピング手法によるキワモノ的な絵が主流ですが、これが一般にHDR効果と誤解されていることが多いようです。

(内原註:あるいは、手作業による「露出コンポジット」で作成してはいるが、中東さんのように緻密な切り貼り作業を行なわず、レイヤーマスクを大雑把にエアブラシで塗ったような粗雑なHDRI作品も時おりネット上で目にする)



──なぜHDRIという手法を使うのでしょうか?

 私の場合、HDRIは、あくまでも人間の視覚に近い自然な絵を得るための手段です。デジタル撮影に移行した当初、銀塩にくらべて狭いダイナミックレンジを補うために、露出オートブラケットした2~3枚の写真を合成したことがきっかけでした。しかし、夜景のように明暗比が極端に高い場面には対応できないため、段階露光を行なう枚数を増やしていくうちに、図らずもHDRIを手がけるようになりました。

──HDRIによって気づかされたことは?

 HDRI画像を作成していると、思うがままに光を操る感覚の虜になりました。しかし、やがてHDRIにひそむ陥穽にいやおう無く気づかされました。あくまで人間の視覚に近い自然な絵を得るために使っているはずのHDRIという手法が、ときに過剰な効果を生み、できあがった作品について「だまし絵」的と評されることがあります。

 そこで、いったいなにが「過剰」で、どこが「だまし」だったのか考えているうちに、「人間の視覚」を再現するという行為の矛盾に気づきました。

 誰にも「視覚」自体を「見る」ことはできませんが、その事実は通常忘れられています。HDRIを作成する作業を通じて、少しでも「自然な視覚」に近い画像を得ようとする試み自体が、その矛盾を気づかせてくれます。つまり「自然な視覚」というものは原理的にありえないのですが、HDRIという手法によってそれに少しでも近づくことはできる。ただ、それがほんとうに「自然な視覚」であるかどうかは誰にも検証できないと思います。



──なぜ夜景を撮るのでしょうか?

 よく問われるので、「昼は仕事があります。土日は遊びに忙しい。まともに写真を取る時間は夜しかありません」と答えるようにしています。

 ほかの理由は、数を撮らず、独りで、じっくりと1カ所にとどまるペースが性格に合っていること、月光や人工光に照らされた風景を、暗順応した視覚で見ると「異化」して見えるということが挙げられます。また、郊外などで闇が支配する空間を歩いていると、やがて当初の孤独感や恐怖心は失せ、なにかここちよい「単独感」を感じます。こうなると、以前は明け方まで撮っていることもありました。

 また、後述しますが、好きな映画の世界観の影響も大きいと思います。

──フィルムからデジタルに移行した経緯について。

 そもそも、高校生のときに、中古のペンタックスSPを買ってもらったのがきっかけで、写真を始めました。それで、所属していた美術部に加え、写真部もかけもちするようになったんです。そんなころ、月刊カメラマンという雑誌に高梨豊さんの撮影スタイルが掲載されまして、坊主頭の氏が、広角レンズ付きのM型ライカの外部ファインダー越しに街を窺う姿なのですが、これがすごくカッコよかった。それで、憧れたんです。ライカに(笑)

 それ以来、ライカはもちろんニコンやハッセルなど順調に病気を進行させていきました。ただし、写真なんかろくに撮っていませんでした。それが、あるとき、ちゃんと写真を撮ろうと一念発起して、後戻りできないようにライカRボディ2台と交換レンズを3本、新品で揃えたんです。動機はよろしいが、やることが偽りですね。なぜ後戻りできないかは、コレクターならご存知ですが、買うと高いが売ると安いカメラの代表格だったわけです。でも結局、何度も後戻りしながら今日に至るわけですが。

 デジタルに関しては、1997年頃、自作PC/AT互換機に35mmフィルムスキャナー、インクジェットプリンターをそろえてデジタルプリントを始めています。当初は、扱い方もわからずたいへん苦労しました。その後、ブローニーを読み込めるフィルムスキャナーや大型プリンターを導入して機材を更新しつつも、撮影はずっと銀塩フィルムカメラでした。

 デジタルカメラは、お遊び程度にしか使っていませんでしたが、一昨年、発売されたばかりのキヤノンEOS5Dで夜景を試し撮りしてみたら、結果が非常によかった。それで、解体の迫った下寺住宅の撮影に使ったんです。



──フィルムからデジタルに移行したのはなぜですか?

 わりと早い段階でデジタル暗室を導入したので、デジタルには抵抗はなく、いつかは撮影もデジタルに移行したいと考えていました。理想はハッセルのバックタイプでしたが、価格や屋外での運用の点で現実的ではありませんでした。正直なところ、銀塩フィルムが供給され続け、コスト的に見合うかぎり、これを使うのが妥当と考えていました。

 それでも、35mmタイプのデジタル一眼レフに移行した理由は、フィルムスキャンの面倒さに嫌気がさしたことにつきます。もちろん、HDRIに加えて、シフトレンズで左右2枚を分割して撮影して画素数を倍増するタイリング合成を施すことで、予想以上のクオリティを得ることができ、デジタルの優位性に確信を得たことが大きいのですが、結局面倒さがつきまとうことになってしまっているのも事実です。

 デジタルに移行したもうひとつのきっかけは、写真と関係ないかもしれませんが、2004年大阪のなんばHatchで23年ぶりに「テクノの神様」クラフトワークのライブを見たことです。このときは泣けましてね、何せビール飲みながら10mほど先に「神様」を拝めるのですから。噂には聞いていましたが、昔とはくらべものにならない圧倒的なクオリティのサウンドでありながら、彼らが前にする機材は、黒いVAIOノートのみ。2002年からライブ機材は100%デジタル化され、コンパクト化されていたんです。かつての、スタジオ機材をまるごと移動したかのような大がかりなステージにくらべ、今回のシンプルさがクールで衝撃的でした。

 そして、何杯目かのビールの酔いにまかせて「神様」に誓ったことは、「今後パソコンはラップトップしか買わない、カメラはデジタルしか買わない」というものでした(笑いながらもマジな話)。

──長時間露光において、フィルムとデジタルの違いは?

 私の場合、フィルムもデジタルデータ化して扱うので、デジタルカメラとの違いはあまり感じません。ただし、レタッチ耐性や色味の自然さを問われる場面になると、フィルムから得られるデータには、格別の深みと安定感があります。

 フィルムの長時間露光には、相反則不軌特性や色かぶりという問題がありますが、そのダイナミックレンジ(ラティテュード)は、想像以上に広いものです。ポジならばそのシャドー部、ネガならばそのハイライト部に圧縮された状態で潜む諧調を、スキャニング時にうまく伸張してやれば、HDRIもかくやというイメージを得ることができます。

 デジタルカメラでの長時間露光は、かつてはセンサーの熱ノイズに埋もれてしまうという問題がありました。現在では、低ノイズ化がすすみ、よほどの長時間露光でない限りこの問題はなくなりましたが、カメラ内でのノイズ処理(NR)機能をオンにしておく必要はあります。ところが、たとえば露光時間が10分間であると、露光終了後、同じく10分間のNRプロセッシングがはじまり、次の撮影はできるのですが、都合20分間プレビューができません。これでは、フィルムカメラを使っているのと大差ないことになってしまいます。また、ダイナミックレンジも比較的狭く、とくに白トビした部分からは、諧調を得ることができません。



──写真を撮るための機材あるいは道具についてどのように考えていますか?

 その昔は、機材のことなど考えずに写真に没頭したい人なら、高価でもニコンやハッセルやリンホフなどプロ機材一式を揃えれば、長年にわたってそれで事足りましたから、ある意味楽だったと思います。またプリミティブな機材ゆえ、その操作法の取得が写真の基本を学ぶことにもなりました。

 歴史の長いフィルムカメラには、キャパのニコンS、ブレッソンのライカM3、アーバスのマミヤC33など、特定の写真家のイメージが付与された機材が存在します。また、見向きもしなかったカメラが、実は好きな写真家の愛機だと知ると、一気に興味がわいてきます。実際、そのカメラを使用してシンクロニティを感じられるかどうかは知りませんが、写真に向かわせる動機として、ひとつの方法でしょう。

 フィルム時代の、とくにプリミティブな機材が、いつまでも古くならないという事実にくらべ、現在のデジタルカメラの陳腐化の速さには、いかんともしがたいものがあります。カメラは、パソコンや家電品と同等となってしまいました。しかし、今後のフィルム供給を考えると、「銀塩とデジタルはどちらが優れているか」などという二元的な論議を戦わせている暇はもはやなく、頑な人もやがてデジタルシフトという時代の流れには抗えないでしょう。しかし、あこがれの写真家がどんなデジタル機材に持ち替え、どんなソフトを使い、どんなフィニッシュを見せるか、私たちは以前にも増して興味がそそられます。


──中東さんは、中国製のトイカメラHOLGAを改造し、バルブ撮影ができるようにしたり、HOLGAのレンズをデジタル一眼レフで使えるように改造したりしています。また、三脚に固定するための部品を自作し、そうした改造のために自宅に旋盤まで所有しているそうですが、そうした改造についてお話しください。

 子どもの頃からオモチャをバラバラにしてしまうクチだったので、カメラも例外ではありませんでした。それがいまになっても続いています。改造するのには、高解像度を得るためのタイリング撮影やパノラマ撮影などのために、機材を機能化する必要がある場合と、もうひとつは、いかに「写らない」ようにするかのためです。ではなぜ、わざわざ「写らない」ようにするのでしょうか。

 デジタル時代になって、隅々までシャープで収差のない描写が求められようになりました。これは、誰でもパソコンの大型液晶で拡大表示するようになったからです。しかし一方、「写りすぎる」デジタルへの反発からか、ピントの悪い、コントラストの低い、周辺光量が落ちる、オールドレンズ、ロシアカメラやトイカメラ、ポラロイド、ピンホールなど、ゆるい描写の「写らない」機材の人気が絶えないのも事実です。私自身も、5年ほど前からHOLGAの描写に魅せられ、作品撮りに使ってきましたが、デジタルに移行後は、持ち出すことはなくなってしまいました。

 そこで、たとえば、エプソンR-D1というライカMマウントのデジタルカメラに改造して取り付けたのは、ビレッジ・ヴァンガードで買ってきたハリネズミカメラの、豆粒みたいな小さなレンズ。これはもとより110判ですから、イメージサークルが足りず、強烈な周辺光量落ちが楽しめました。

 また、キヤノンEOS-1Ds MarkIIには、使わなくなったHOLGAのレンズを分解して取り付けました。HOLGAのレンズは、ブローニー判のサイズがないと味がでないので、タイリング撮影で大きなセンサーサイズが得られるよう、上下11mmシフトさせる機能を付けてあります。



──中東さんが撮りたくなるものとはどういうものでしょうか。ブログには「ややこしいもの」が撮りたい、と書かれていましたが、そのことについて。

 映画の世界観に影響を受け、それを追い求めることがあります。特に好きなのは「ブレードランナー」(リドリー・スコット監督、1982年公開)です。この映画は、東南アジアを思わせる21世紀初頭のロスアンゼルスが舞台のSF作品ですが、きちんとフィルム・ノワールの定石が用いられています。酸性雨が降りしきり、スモッグに覆われて昼でも夜のように暗い空、怪しげな日本語が溢れる猥雑な都市の描写は、それまでの未来観を覆す、リアリティのあるものでした。それもそのはずで、リドリー・スコット監督は、日本の都市のイメージをそこに投影させていたようです。

 「ややこしい」とは、関西では、複雑で面倒な状況を意味するだけでなく、コワい、キタナい、裏があるといった、大きな声ではいえない、近寄りがたい場所や人物を意味するわけです。でも、ほんとうに「ややこしいもの」は、写真には撮れませんから、撮っているのは、「ややこしそうなもの」ですね。一見まともにカメラを向けられそうにない被写体なんですけれど、軍艦アパートも、最初見たときはそんな印象でした。内原さんの写真も、相当に「ややこしそうなもの」を撮っているように見えます。そういうところを撮る私の動機は、まあ、おなじく関西弁の「いちびり(調子に乗ってはしゃぐ、ふざけるの意味)」みたいなものでしょうね、じつは、なんの大義もありませんから。

──大阪近辺を主に撮られていると思いますが、大阪という街への特別な思いはありますか?

 リドリー・スコット監督は、後に日本を舞台にした映画「ブラックレイン」で、「ブレードランナー」の世界観そのままに大阪の街を描き、日本のブレードランナーファンを狂喜させました。以後、地元大阪を、「ブレラン的都市」と呼んでいます。


──「あかるい夜」と「あかるい夜 the diary」の二つのブログに分かれているのはなぜですか?

 2005年の10月に開始した、ココログ「あかるい夜(あかるいよ)」は、スクエアに切り取った夜のイメージにやや感傷的なテキストを添えるスタイルでしたが、やがて窮屈さを感じるようになっていきました。そんな頃、「サヨナラ軍艦アパート」の個展が決まり、展示までの経緯を書きとめようと2006年5月から新たに始めたブログが「あかるい夜the diary」でした。

 「あかるい夜the diary」には、カメラネタや改造ネタを盛り込み、作例写真も貼ることにしました。よくある趣味のカメラブログですね。個展後も“リハビリ”として続けています。現在はこちらのほうがメインとなっていますが、ダイアリーなのに気が向いたら更新という感じです。

──下寺住宅を撮影したこと、それらの写真による個展「サヨナラ軍艦アパート」はいろいろな意味で中東さんにとってはエポックメイキングな出来事ではなかったのでしょうか?

 下寺住宅の解体は知っていましたが、機材のデジタル移行という契機があったからこそ、そこに向かわせたと思います。夜間のタイリング&HDR撮影、そして自宅での連日のパソコン作業という、一種の苦行のような体験でしたが、フィルム時代を完全に凌駕するクオリティには満足しています。また、撮影開始から個展での発表まで1年に収まったという事実は、私のような歩みの遅い者にとっては画期的なことでした。



──かなりの広角レンズを使われている意図は?

 いや、できることなら、人間の視覚のように、強調されすぎない適度なパースペクティブ(遠近感)のままに、180度を超えるような超ワイドで、広いダイナミックレンジの世界が展開するカメラシステムを手に入れたい。しかし、それは不可能なようです。

 人間の視覚は、意識が向いた瞬間に、ごく限られた範囲に焦点を合わせ注視することを1/10秒単位で繰り返し、それらを脳内でつなぎあわせている。言い換えれば、デビット・ホックニーのコラージュのように、標準レンズを用いて多視点(多焦点)的に撮り、パノラマ写真を作成しているようなものです。

 つまり人間の視覚は、根本的にひとつの消失点をもつ遠近法とは異なったものであると言えます。ただ、視覚について意識したとたん、パースペクティブがあるかのように脳が認識してしまう。同時に、虹彩による瞬時の光量調整がなされているはずですから、まさにHDRIのような合成すらなされていると思うんです。

 広角レンズは、もともと透視図法上の原理とカメラオブスキュラや古典カメラの狭い画角での体感でしか得ることができなかった遠近法(パースペクティブ)という概念を、はじめて高画角に拡大して、正確に人間に提示したツールです。そこでは、人間の視覚がやってのけている上述のような操作を一切排除して見せ、その矛盾を誰にでも知らしめます。そこに興味を感じます。




URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/06/21 00:49
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