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写真の星──村上仁一
[2008/05/15]

アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹
[2008/04/10]


2007年

2006年

ウンフェーイッヒ──ふじいあゆみ



 ふじいあゆみさんとは、写真新世紀展の出展者同士として知り合った。ふじいさんはJuna21(ニコンが主催する公募展)でも受賞している。その時のコメントを以下に引用する。

 「私は写真を撮るというのを口実に彼に近づいた単なるエロがっぱです。彼を視る幸運にありつきたくて、そしてたまたまそうできているに過ぎません。芸術という思わせぶりな煙幕を用いて彼はもちろんその家族もろともこの不気味な恋の業火にひきずりこもうとしているのです」。

 自作についての非常に明解な説明だが、普通あんまり受賞コメントで「エロがっぱ」という言葉は使わないよな、と思った。それから時おりお会いしては作品を見せてもらったり、デジタルカメラやPCの購入の相談を受けたり、といった付き合いがある。「Webサイトを作りなよ」と、しつこくすすめた記憶もある。

 Webサイトを始める以前は、ふじいさんは主に中判カメラを使い、高校の女子バスケットボール部や、SMクラブ、障害者プロレス「ドッグレッグス」の一員であるレスラー一家などを長期間にわたって密着して撮影していた。それらの写真のすべてを展示なり作品集というまとまった形で見ていないせいもあって、魅力は感じるのだけどぼくには完全には理解できないもどかしい思いがあった。

 その後、ふじいさんのサイト「ウンフェーイッヒ」を見ると、「ああ、なるほど」とはじめて共感できる思いがした。デジタルカメラで撮られたそれらの写真には、色合いや画角や被写体の選択はもとより、更新頻度やWebサイトで表示するためにリサイズされた画像の寸法といったディテールを含めて、Webサイト上で写真を見せることに関する「テイスト」の部分で腑に落ちる気がしたからだ。

ふじいあゆみ「ウンフェーイッヒ」
http://d.hatena.ne.jp/afji/
1971年 東京生まれ
2000年 キャノン写真新世紀佳作、同展参加
2001年 青山ブックセンター六本木セレンディップギャラリー個展
2002年 新宿ニコンサロンjuna21展
2003年 新宿ニコンサロン個展
 キャノン写真新世紀佳作、同展参加
2004年 キャノン写真新世紀優秀賞、同展参加
※記事中の写真はすべてふじいあゆみ氏の作品です。


ウンフェーイッヒ ふじいあゆみ氏

──「ウンフェーイッヒ」というタイトルはどういう意味ですか?

 ドイツの精神病理学者の本の中で、“だめ”という言葉に振られていたルビです。「かれらはすぐに外見的にも途方に暮れて危なっかしくなる。そして、非常に根底的な意味で、だめ(ウンフェーイッヒ)な印象を与える」。

 暗い意味で付けたのではなく、この言葉の響きが印象的だったので、タイトルとして使いました。

──写真を始めきっかけや、これまでの経歴について。

 高一のとき写真部に入部。ニコンのFAが当時の愛用機でした。

 18歳のときにアパルトヘイト撤廃前の南アフリカのソウェト(黒人居住区)に1カ月ほど滞在して写真を撮りました。その後、写真は撮っていましたが、ほとんど発表する機会はありませんでした。

 20代後半頃からSMクラブなどを撮り始めました。同時期に撮り始めた障害者プロレス「ドッグレッグス」のレスラーであるゴッドファーザーJr.(リングネーム)とその一家には、何か大きなものを発見したように感じました。それを契機に少しづつ写真を発表するようになりました。

 2006年にMacintoshを購入し、2007年にデジタルカメラD100を使い始め、Webサイトで写真を発表するようになりました。



──南アフリカ滞在について。

 1989年当時はアパルトヘイト撤廃直前で、報道が活発になされていましたが、報道写真特有の劇的な写真とは違ったソウェトの日常的な光景を見てみたいという欲求が起こりました。ANC(南アフリカ民族会議)の東京事務所を訪ねて旅の相談をしたところ、そこで出会ったM氏の厚意で、ソウェトに住む彼の弟一家に滞在させてもらえることになりました。

 翌1990年までANCは合法化されておらず、M氏は南アフリカに入国することができなかったと記憶しています。南アフリカから東京に帰ってきてM氏に会って、撮った写真をすべて見せ、欲しいと言われたものはその場で手渡しました。

 当時は、政治的にも社会的にも穏やかな状況ではなかったのですが、一家の生活はすこぶる淡々としていました。ソウェトでの生活は、洗濯や買い出しを手伝ったり日本食を作れとねだられたり、といった日常的なものである一方、昨日案内してくれた青年が今日は現れず、考え方の違う黒人同士の闘争に巻き込まれて亡くなっていた、ということがありました。

 私が泊めてもらったのはごく一般的な家屋だったのですが、近所には薄暗く穴蔵のような住居も少なくなくて、同じソウェトの中でも生活レベルはさまざまなのだと驚きました。

 滞在中、夜中にふいに目が覚めて部屋を出た際、やはりトイレへ起きて来たとみえる恰幅の良い家主の奥さんが全裸でリビングを横切るので最初は驚きましたが、どうも普段から寝るときは彼女は全裸であるようでした。子ども部屋には、なぜか女性のヌードグラビアがランダムに壁に貼ってあったりする事も愉快でした。

 とりわけ記憶に強く残っているのは、その一家のアルバムです。海水浴場での写真や結婚前の夫婦のそれぞれの写真など、ありきたりの記念写真なのですが、そのどれもが非常に美しいのです。コンパクトカメラで撮ったそれらの写真は色彩も、写っている光景もすばらしいと思いました。そのアルバムは夢中で複写しましたが、それ以後、普通の家庭の普通の家族写真やアルバムなどには非常な関心を持っています。



──SMクラブの撮影について。

 本屋で手に取った本に書かれていた「器官なき身体」という言葉を見て、思い込みのはげしい私は即座に「これはSMのことだ」と思ってしまいました。そこでSMスナイパーという雑誌を買ってみたのですが、その中の広告に写っていた一人のSM嬢にひきつけられ、どうしても逢ってみたくなり、そのSMクラブを訪れ、そのまま、しばらくそこで働かせてもらうことにしました。彼女は誌上で見たときはどうしても日本人には見えませんでしたが実際逢ってみると正真正銘の日本人でした。そこで、彼女を中心に、いろいろな物や人を思いつくまま撮っていましたが、皆、快く撮らせてくれました。

──ゴッドファーザー一家について。

 障害者プロレス「ドッグレッグス」( http://homepage3.nifty.com/doglegs )を初めて観た時、まず眼に入ったのは「ゴッドファーザー」というレスラーの一人息子で、当時13歳の「ゴッドファーザーJr.」でした。健常者であるゴッドファーザーJr.は、その日は軽々と相手に逆海老固めを決められて敗れました。プロレスには打たれ強さや受け身の妙技に見所があると思うのですが、彼はそういった意味でも魅力的でした。


 興行を終えてからロビーに出ていたゴッドファーザーJr.を見つけるや、すぐに写真を撮りたいと申し入れ、数日後に自宅で、本人と母親である「ゴッドマザー」(彼女も一時リングに立っていました)に改めて撮影を申し入れていました。今考えると、一家の寛容さには頭が下がるのですが「本人がいいなら」と、その日から写真を撮り始めることができたのでした。

 ゴッドファーザーJr.はガールフレンドと過ごす時間も撮影を許可してくれ、私は隣駅の屋外プールへ向う二人を自転車で追いつつ撮り、プールでは監視員の警告も聞き流しプールサイドから陶然と撮影を続けました。プールでの撮影の帰り、心臓が高く鳴っているのを感じました。

 以後、数年間にわたってゴッドファーザー一家を撮らせてもらいました。途中、食事を作る介護者がインドへ長期旅行に出るとかで、2~3カ月のあいだ週に数回、夕食を作りに行っていたこともありました。ゴッドマザーを除く2人はひどく好き嫌いが多く、閉口しました。

──複数のテーマ(主題)で撮られているようですが、それらに共通する点は何でしょうか?

 ほんとうは、複数の場所を自由に行き来しながら同時に撮れたらいいのですが、状況的にも私の性格的にも同時に撮ることはできません。

 これらの主題に共通する点があるとしたら、一種のファナティックさへの関心ということはあるかもしれません。たとえば私が長期間密着して撮った女子バスケット部員たちは、早朝、放課後、週末、夏休み、と全ての時間をバスケの練習にあてています。恋愛は禁止。必要ならプロテインを飲んで体型を変えることも厭いません。

 SMクラブで撮影を許可してもらったある初老の男性客は、少なくとも1週間に1度はそこへ訪れ、身を清めてから全裸に手製の鞍(家族に隠れて革用の針を用い手縫いしたという)を装着し、3万円を支払い、1時間半だけ半人半馬になります。それを、もう20年近く繰り返しているのです。

 これらの人たちは方向性こそ異なりますが、極端さにおいて共通しています。



──使用機材について。

 以前は中判カメラ(フジ6×9、マミヤRB)を主に使っていました。絞りは開放で、一時は、もしリバーサルフィルムだったら白飛びしてしまうくらいの露出で撮っていました。手持ちで撮ることが多かったので、速いシャッターを切りたかったということもありますが、飽和したような絵柄を良しとしていました。

 最近はニコンD100を使っています。使用しているレンズはシグマの28-200mmです。望遠端を使うことも多いので、カムコーダーという首から吊り胸部で支えるタイプの一脚を使っています。が、さほど効果はなく、手持ちのほうがぶれないことも多いです。現像はSILKYPIXで、WebサイトにアップするためのリサイズはPhotoshop CS2を使っています。

──デジタルカメラについて。

 以前からデジタル画像特有の質感に関心を持っていました。撮ってすぐに見る事ができたり、撮ったその日にWebサイト上で発表できること、デジタル写真集のような媒体にも興味があったのです。実際に使い始めてみると、想像以上に面白いと感じました。

──Webサイトについて。

 私自身が写真と接するときは写真集が多いし、本の形態は好きです。写真集やWebサイトは、自分の好きな場所でいつでも見れる点がいいと思います。大きく引き延ばして展示するということにはあまり興味がわきません。

 技術的な面もふくめてWebサイトについては完全に理解しないままにやってしまっているところはあります。Webサイトは毎日更新されるのが望ましいと思っているので、自分もそうありたいとは思っています。ただ、Webサイトに載せる写真を絞り込むのには苦心しています。

──人を撮ることについて。

 誰かを撮るときは、普段の人との関わり方とはまったく違うと思います。写真を撮る対象には、まず何らかの強い憧れを抱いています。そのことが自分にとって必要不可欠であるように思います。撮影を通じてその憧れを強めていくのですが、長期間撮らせてもらった相手とは、場合によってはぎくしゃくしてしまうこともあります。

 最近はD100につけた28-200mmのズームレンズで、公園や路上を行き交う人達を、ごく近くから撮らせてもらっています。

 満員電車や、交差点や、職場やさまざまな場所で生じる「近いのに遠い、遠いが近いといった」人間関係や人間同士の距離感に関心があります。変わったものが撮りたいわけではないのですが、何となく通勤路とかで見かけたものを思いつくまま撮ることは避けたいです。私は、写真は表面だけで奥行きはいらないと思っています。写真を撮るときに、情緒や感傷と全く無縁ではいられません。が、できあがった写真には、そういう自分の陳腐な感受性や物語みたいなものから自由であってほしいと思っています。




URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/06/14 09:09
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