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香港街道映照──kumaboh



 香港での生活がそろそろ10年近くになる、ハンドルネームkumabohさんのサイト「香港街道映照」を知ったのは偶然だった。香港の一郭に今なお存在する、外国人はおろか居住許可証を持たない香港人も立ち入りできない沙頭角という“禁區”について書かれたkumabohさんのブログ( http://d.hatena.ne.jp/kumaboh/20051031 )を知り、そこから本家の写真サイトである「香港街道映照」を発見したのだった。

 「香港街道映照」のおもなコンテンツの、香港に存在する4,000本近い街路すべてを写真に記録するという、明解であると同時に途轍もないアイデアには心ひかれた。ぼく自身もひとつの都市を丸ごと写真に撮ることはできないだろうかと夢想することがあるのだが、それはあくまで夢想にとどまり「そんなことはとてもできっこない」とただちにあきらめてしまっていた。すべての道に名前がついているという香港(あるいは中国文化圏)特有の“インデックス性”に着目して、それらを網羅するように着実に実行していくkumabohさんの写真は、コンセプチュアルな面白さがあると思う。




kumaboh(ハンドルネーム)

香港街道映照
http://homepage.mac.com/cubiccomet/hkg/
 
学生時代に一年間香港に留学した後、1999年より香港で仕事をし、暮らしている。

※記事中の写真はすべてkumaboh氏の作品です。


香港街道映照

──「香港街道映照」というサイトのタイトルは、どういう意味ですか?

 「香港街道」だけでもよかったのですが、この4文字だけですと、あまりに一般的すぎてかえって意味がわからない。あるいは、「香港の街道についての百科事典的サイトと思って訪れたら、ただ写真が並んでいるだけでがっかり」ということもあるかと考え、「映照」という2文字を付けくわえました。

 この中国語の熟語は、「照り映える」や「(互いに)照応する」という意味です。あえて日本語に訳せば「(太陽のもとで)照り映える香港の道」とでもなるでしょうか。ふたつ目の意味からは、わたしという者と香港の道の数々が対峙し、そこから何か産まれないか、という期待も含まれているかもしれません。

 ただ、これらは質問していただいたが故に考えたことで実際には「取って付けたオマケの2文字」が実情に合っています。

──「香港街道映照」を始められた経緯について教えてください。

 世界中の他の「都市」と同様に、香港も変動の激しい都市です。極端に言えば、昨日まであったビルや道が忽然と消えたかと思うと、ある日、全く見知らぬ光景が現出してしまっていたりする。

 香港に住む、あるいは香港に暮らさせてもらっている者として、「香港のために」、この変動の断面を何らかの形で記録に留められないだろうか? これが動機です。そのために以前からの趣味である写真で記録しようと思いました。風景写真やストリートスナップでも「都市の記録」は可能でしょうけれど、どうせなら、何かライフワークになるようなものをやってみよう、と。

 そこで選んだテーマが道です。香港は(かつての宗主国・英国の影響や中国社会本来のシステムによって)路地を除いて、全ての道に名前が付いています。そして、その道に付されている番号が「住所」となります(日本の何丁目何番地というシステムとは根本的に異なる)。

 ですので、道というものがある意味で、人々の生活の基盤になっている。人は、何々道から何々路を経由し、何々街の何番まで出かけ、そして帰ってくる。そういう毎日を送っている。

 しかも、その道は何千本とありますので、「ライフワーク」に相応しいかもしれない。また、その数の多さから、それぞれを定点観測して「歴史」を記録するということは難しく、むしろ、はしから手当たり次第に道の写真を撮る──ある道のある瞬間、まさに断面であろう、と考えた次第です。


──香港にある3,803本の街路のうち、どれくらいを撮影できましたか?

 2004年にサイトを開設した時、香港の代表的な地図帳のインデックスで数えた数字がこれでした。2007年5月現在で、部分的にしか撮れていないものも含めて465本。ここのところかなりペースが落ちてきており、ようやく1割を超えたというテイタラクです。

 わたしのペースが落ちてきているところにもってきて、香港の道は増殖を続けている、という手ごわい現実があります。香港のウォーターフロントでは、いつも盛んに埋め立て作業が進められていて、それが一段落するとそこに新しい道が作られ、命名されていきます。

 そういう意味では、香港の道を記録し続ける作業は永遠のたたかいになります。



──写真とのかかわりについて教えてください。

 小学生時代から、父のカメラで月の写真などを撮っていた記憶がありますが、明確に「いつから」というのは、よく覚えていません。香港での留学生活の中でも、町のスナップ写真は撮っていました。それらは全く自己流であり、正式に撮影を学んだことはありません。

 ただ、学んだというのとは違いますが、日本の写真雑誌の何種かは、日本を離れてからも読み続けてはいました。また、香港や欧米で発刊されている写真雑誌にも、たまに目を通していました。

──好きな写真家、関心のある写真家を教えてください。

 「この人の作品なら、どれでも好き」という意味で、ファンとなっている写真家はいません。いま関心があるという意味では、以前に「Web写真界隈」でも紹介された「はる・なつ・あき・ふゆ」の河本順子さんの、「光に対する感覚」に、とても興味を覚えています。

 「好きな写真家」に話を戻しますと、荒唐無稽な言い方になりますが、それは“自分”かもしれません。自分の眼で目撃し、それを記録しておきたいという衝動に駆られたものを、写真として記録してくれている人間がいる。そしてその記録されたものを、いつでも何度でも見ることができる。

 これはもちろん写真の“良し悪し”、“レベル”とは全く異なる地平の話です。「香港街道」のサイトを始めた「香港の道の風景を歴史に留めたい」という大袈裟な動機の裏には、写真に対するわたしのこうしたスタンス(自分が暮らす土地の「記録衝動に駆られるもの」を保存しておきたい)があったかもしれません。

──現在使われているもの、過去に使われてきたものなど、カメラやレンズといった写真の機材について教えてください。

 現在メインに使っているのは、ニコンのD200に、AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6 G (IF)を付けたものです。最近は、これに加えてリコーのGR DIGITALや富士フイルムのFinePix F31fdというコンパクトデジカメも使うようになりました。その前は、内原さんも愛用されていた D100。さらにその前は、同じくニコンのCOOLPIX 5000です。フィルム時代はCONTAXの一眼やそのコンパクト・カメラを使っていました。



──どのように写真を撮っていますか?

 基本的には週末に撮っています。その頻度は本業の仕事量に左右されまして、最近は月に1日か2日という寂しい状況です。

 「香港街道」用の写真を撮る時と、他の撮影(街のスナップ)では、一眼レフを右肩にぶら下げて、というスタイルは同じであるものの、心構えというか、緊張感といいますか、かなり異なるものがあります。

 「香港街道」の撮影では、その道に存在している全て――道を歩いている人物も含めて――を写してしまいたい、という意気込みで道を歩きながら写真を撮ります。歩みを進めるうちに、撮りたいと思う撮影者と、撮られたくないという信号を放つ被写体(人間である場合が多いわけですが)との間に、緊張をはらんだ空気が流れ始めます。それはかなり密度の高い空気で、道全体を覆ってしまうようにも感じられます。

 香港では、街中を一眼レフをぶら下げて歩いている人間は、メディア関係者ではないのか? と、とられることが多いように思われます(ちなみに、香港で一眼レフや中判カメラで写真を撮っている人は、いわゆる「ネイチャー」を撮っている人が多いように思われます)。人口およそ700万人の都市に、中国語や英語の、そして無料紙などを加えると、20近くの新聞が渦巻いているという状況があるものですから。メディアのカメラに、黙って写真を撮られて快く思う人は、そう多くはないでしょう。

 そうした「空気」の中を一眼レフを構えつつ進み続けると、まず精神的に消耗し、足も重くなってきます。でも、この歩みは続けていかなくてはならない、と自分に使命感のようなものを課しているのかもしれません。

 こうしたことから、街に繰り出しても、とりあえず一眼レフはバッグの中で待機してもらって、手にはコンパクト・カメラを、という“普通の人”のスタイルで道を歩き続ける試みを、とも考えています。機材を変えると写る光景も変わるかも? という期待もあります。



──香港のデジタル写真事情について教えてください。

 香港で、ブロードバンドという言葉、およびサービスが普及し出したのは、日本よりも早いように記憶しています。もっとも現在では、たとえば「光」の普及などを見ると、先端部分のアベレージでは日本のほうが先を行っているように思われますが、一方で、HSDPA(高速無線通信の一種)は日本に先駆けて始まるなど、ネット環境全般としては、日本に比べて遜色がないと言ってよいでしょう。

 また、デジタル写真の機材という意味では、日本の新機種もわずかなタイムラグで発売されるなど、周辺機器も含め、アマチュアが趣味で写真を撮るという意味では、かなり恵まれた環境にあると思います。もっとも当然のことながら、日本の製品の価格は日本でのそれよりも高くなるのが苦しいところですが。

 また、大手カメラメーカーなら、そのほとんどが香港にサービスセンターを出しており、よほど複雑なトラブルでない限り、香港で対処してくれます。アマチュアがデジカメで写真を撮り、それをネット上で公開したり、他地域にネット経由で大量に送ったり、という部分では、香港という都市は不自由を感じることは少ないと言えるでしょう。

──香港でのデジタル写真の盛り上がりはありますか?

 これはもう、圧倒的に盛り上がっています。一般市民に限らず、カメラ屋さんの話によると、広告業界もデジタル移行がほぼ完了しているとのこと。街中のDPE屋さんでも、デジカメのメモリーカードを持っていけば、その場でプリントしてくれることも普通になりました。そして日本と同様、携帯電話もカメラ付が当たり前になっています。



──ホームページをはじめられたきっかけは? たとえば日本の知人や家族の方とのコミュニケーションのために作られたということはあるのでしょうか?

 ホームページそのものと、日本の知人・家族との交流というのは、直接的な関係はありません。「知人とのコミュニケーション」という意味では、「知人」のメインはその昔の“パソコン通信”時代からの仲間になりますが、彼・彼女たちとはインターネットの時代になっても、さまざまなルートでの交流がありますので。

 余談ですが、香港から日本への国際通話は、安い会社では日本円で1分間10円を切ることも珍しくなく、ネットを使えない家族との連絡も、ハードルは極めて低くなっています。

 むしろ、わたしにとってネットは、写真そのものとのつながりが密接だと思います。「香港街道」や他のサイトで写真を公開するということがなければ、写真自体も、撮る頻度や量はかなりの程度ダウンしていたことでしょう。

 ですので、ネットがなければ、香港の写真を撮る=香港という街を深く見つめる、という行為自体が、今とはかなり異なるものになっていたのではないでしょうか。

──香港の人と、写真を間においた交流などはありますか?

 写真を介した交流というのは、ネット上でのコメントのやり取り程度でしょうか。しかし、「機材」をきっかけに知り合うことになった、ということならあります。それは、香港の狭さ(面積は東京都の約半分)によるもので、香港のネット・オークションの物品の受け渡しが、郵送ではなく、直接会って手渡し、ということが一般的だからです。わたしが売り手になるにせよ買い手になるにせよ、その受け渡しの場で、写真について(いや、「カメラ」について、が多いかも?)何か語り合う、ということなら時々あります。

──香港で暮らすことが写真に与える影響はありますか?

 わたしが日常的に写真を撮るようになったのは香港においてなので、わたしの写真は香港無しでは成り立たなかったと思います。

 香港で暮らすようになる前、中国本土で生活していた時期があります。その時も写真を撮ってはいました。しかし、単なる被写体との緊張感の他に、体制的なプレッシャーがありました。外国人立ち入り地域ではない普通の街角でスナップ写真を撮っていて、公安にフィルム(デジカメが一般的になる前のことです)を没収されたこともあります。

 ですので、中国本土の暮らしが続いていたら、写真を撮ることが少なくなっていたか、あるいは、そうした体制をすり抜ける撮影手法を身に付けていたかもしれません(笑)。もっとも、現在の中国のストリートでは、そうした体制的プレッシャーは、かなり弱まってきていますが。



──写真を撮る上で、香港に感じる魅力とは?

 一言でいうと「街における“意図されたデザイン”と“意図せざる殺風景”の絶妙なアンバランス」の魅力となりますでしょうか。

 街における“意図されたデザイン”とは、いわゆる都市計画のことではなく、個々の建築物と、その微細なデザインのことです。具体的に言うと、中国的だったりコロニアル・スタイルであったりする建築物や、窓枠や壁の模様の組み合わせといったディテールなど、いずれにしても作者が「どうだい、クールだろ?」という自負を持って作ったものです。そのようにデザインされたものが香港には溢れています。

 意図されたデザインは格好の被写体になります。が、少し視点を変えて見るとそうした意図されたデザインが古いものから新しいものまでぎっしりと脈絡無く並んでいる光景が見えてきます。この脈絡の無さはカオスというよりも、むしろ「殺風景」と感じられます。東南アジアや南アジアの他の都市ともまた違った香港の「殺風景」さは、カオスが持つエネルギーは希薄であるものの、「意図されたデザイン」に起因する、きわめて危なっかしい「バランスの取れてなさ」というダイナミックな空気を放っているように思います。わたしはそうした不安定さに惹かれています。

 わたしが感じる、こうした「殺風景」さは、摩天楼が建ち並ぶ香港の市街地だけのものではありません。

 観光客はあまり訪れないであろうと思われる「新界」という地域があります。「新界」は九龍半島北部に広がる田園地帯ですが、ここが日本で言うところの「ベッドタウン」になりつつあります。

 中国本土では文化大革命の影響などによって廃れてしまった風習や行事が、古くからの中国的建造物や村落とともに、「新界」では今も生きています。そうした伝統的な風景と、進出(浸蝕)し続ける団地や高級マンション群の組み合わせもまた”意図せざる殺風景”と言えるでしょう。

 将来的には、この“意図せざる殺風景”が“意図されたデザイン”を抹消し尽くしてしまう恐れは充分にあります。

 絶妙なアンバランスは、ひょっとすると21世紀初頭で消え去る運命にあるのかもしれません。だからこそ、わたしは今、それらにレンズを向けているのだと思います。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/05/24 01:45
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