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[2008/04/10]


2007年

2006年

Every Sunday──福居伸宏


「Every Sunday」
http://www.nobuhiro-fukui.com/
「Ubungsplatz」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/
1972年 徳島県鳴門市生まれ
現在 東京在住
2005年 個展 「Trans A.M.」現代HEIGHTS(東京)
2005年 グループ展 「Berlin - Tokyo Group Exhibition I」Joachim Gallery(ベルリン)
2005年 グループ展 「Expressions by young photographers in Germany」コニカミノルタプラザ(東京)
2006年 グループ展 「Sophie ERLUND & Nobuhiro FUKUI 」 Joachim Gallery(ベルリン)
2006年 グループ展 「とまれ、みよ」 gallery Archipelago(東京)
2006年 個展 「There There」Joachim Gallery(ベルリン)
※記事中の写真はすべて福居伸宏氏の作品です。


Every Sunday
福居伸宏氏

 ぼくは福居伸宏さんはWeb写真界隈の論客だと思っている。多忙な生業(雑誌編集)の合間を縫って更新される福居さんのブログ「Ubungsplatz」(ユーブングスプラッツ、ドイツ語で「練習場」の意味)では、メモとしてのURLのリンクやアフォリズムのような1行ネタに混じって、写真やアートに関する考察やジャーナリスティックな記述が多量になされている。

 写真やアートをやっていくうえで言葉と無縁ではいられないが、飲み屋で交わされるいわゆる「写真論」の類は、感情的で不毛な結果を招くだけだとして敬遠する人も多いかもしれない。そうした消耗戦的な「論争」は、近ごろではネット上のブログや掲示板に場所を移しているのは周知のことだろう。ネット上での言葉のやり取りなどわずらわしいばかりで一文の得にもならないばかりか、下手をすると吊るし上げられてとんでもない目にあうと考える作家がいてもおかしくない。

 ブログの「炎上」(匿名で大量のコメントが書き込まれ収拾がつかなくなること)などは言葉による暴力であって認めるわけにはいかないが、ブログやWebサイトを持たず、ネット上でいっさい発言しないというの、も対話の可能性に目を閉ざしている点で似たようなものだと思う。要は、言うべきことを感情を交えずできるだけ客観的な表現で書くしかなくて、福居さんのブログにはそういったスタンスを感じる。今回のインタビューでも、率直な話をしてくれた。

──いつからWebを始めましたか?

 Webサイトの開設は2005年の5月末です。それ以前は、mixiで写真を発表していました。ブログは2005年の12月からです。

──メインのサイトであるEvery Sundayと、はてなダイアリーのUbungsplatzをどのように使い分けていますか?

 Every Sundayのほうは現在取り組んでいる夜の写真の発表の場で、ブログのUbungsplatzは文字通り「練習場」です。ブログのほうでは、コンパクトカメラで撮った写真をアップしています。いろいろな事を試みるための場といった感じです。一時期、夜の写真を撮るとき以外はまったく写真を撮らなくなっていました。その後、Webで写真を発表されている方々のサイトを見ているうちに、自分ももっと撮らないとダメだなと思ったのが、ブログを始めたきっかけです。画家や音楽家が毎日のトレーニングを欠かさないのと同じで、写真のエクササイズという位置づけで毎日更新しています。

──写真を始めたきっかけは?

 東京の東側、江東区の森下界隈に住んでいることもあって、比較的近所にあった佐賀町の食糧ビル、現代美術の画廊がたくさん入っていた建物ですね、そこに1997年頃からちょくちょく通っていました。デパートの美術館や上野にある美術館の絵画展、よくあるホニャララ美術館名品展みたいな展覧会などしか見たことのなかった当時の僕にとっては、コンテンポラリーアート(現代美術)がとても刺激的で、どんどん魅了されていったんですね。


 その後、食糧ビルが取り壊しになって、2003年の1月だったと思いますが、隅田川を挟んで中央区側の新川に、小山登美夫ギャラリーやシュウゴ・アーツなどが移転しました。その永代橋のたもとのスペースに、写真ギャラリーとして有名なタカイシイギャラリーが移転してきて、写真を見る機会が自然と増えていきました。また、新宿のプレイスMにも足を運ぶようになって、併設されている蒼穹舎でいろいろな写真集を見るうちに、自分でも写真を撮ってみたいという気持ちが高まっていきました。

 そんなこんなで、その年のゴールデンウィーク前にデジタル一眼レフを購入しました。写真を始めたと言えるかどうかはわかりませんが、積極的に撮るようになったのはそれからです。本当に写真を始めたと言えるのは、翌年2004年の1月に金村修ワークショップの門を叩いてからだと思います。



──使用機材について教えてください。

 写真ではなく写真機についての話がどうも苦手なんですね。それはある部分では大事なことだと思いますが、機材について語ることが「写真を見ること」を規定してしまうのは不本意なので、あまり機材については語りたくはないんです。かの松江泰治さんも、どんな機材を使っているか聞かれて「ヒミツ」と答えていることですし。カメラ1台レンズ1本、1,670万画素のデジタルカメラを使っている、という程度の話にしておきましょう。ブログのほうのスナップは16:9サイズで撮れるコンパクトカメラです。フィルムカメラでは、両手で足りるほどの数しか写真を撮ったことがないです。

──写真をどのように学んできましたか?

 僕は写真の専門教育を受けていません。だから、上達するには、とにかく枚数を撮らないといけない、機材の操作に慣れないといけない、と思って、マニュアルフォーカス(マニュアル露出は1日で断念……)で毎日100~300枚程度の写真を撮ってました。そうこうするうちに内原さんもそれ以上の枚数を撮っていると聞いて驚きました(内原註:正確には当時は平均すると200 枚程度だったが……)。それがきっかけで、内原さんのサイトやWebで写真を発表している方々のサイトをちょくちょく見るようになりました。

 また、撮ることと並行して、森山大道さんの著作や中平卓馬さんの「決闘写真論」、「中平卓馬の写真論」などを読み進めていきました。当時は、中平さんや森山さんを真似たような写真を撮ったり、山内道雄さん、倉田精二さん、豊原康久さんなどに影響されて、街頭でスナップ写真を撮ったりしていました。

 その後、しばらくして金村修さんの「I CAN TELL」(写真と言葉が混在する一風変わった写真集)を読んだのが大きな転機になりました。あと、「photographers' gallery press no.2」の金村修さんと尾仲浩二さんの対談を読んだのも、大きいかもしれません。中平卓馬さんのカラー写真や写真論もかなり刺激的でしたが、金村さんの写真と言葉にも、それと同じか、それ以上のインパクトがあって、自分の写真の見方・考え方がどんどん解体されていくような感覚があったんですね。金村修ワークショップのサイトにアップされている記事にひと通り目を通して、翌年の1月には金村修ワークショップに参加しました。


 金村ワークショップはやはり厳しかったですね、写真への愛に溢れた厳しさというか。毎回参加者がプリントを持参して、その写真を金村さんが講評するというスタイルなんですが、デジタルで撮った写真を持って行ったのが僕が初めてということで、ワークショップではちょっと浮いていたと思います。ワークショップには当初から夜の写真を持って行ってたんですが、その甘い部分を徹底して指摘されました。

 金村さんは、とにかくコメントが鋭くて、話題も豊富でした。言葉数は多くないんですが、そのひと言ひと言に重みがあるというか、情報量が多いというか。だから、その言葉を咀嚼するためには、参加者が主体的に考えて、実際に実践してみないとダメなんですね。最近になっても「金村さんのあの言葉は、このことを言ってたんだ」って気付くことがありますし。

 今でも覚えているのは、金村さんに「キミは中平卓馬の夜(プロヴォークの頃)でやっていきたいのか? 高梨豊の夜(「都の貌」)でやっていきたいのか?」と質問されたことです。後者を選んで試行錯誤するうちに今のスタイルに到達したという感じです。いずれにしても、金村修ワークショップに行っていなかったら、今の自分はなかったと思います。どちらが良い悪いではないですが、金村さんの存在がなければ、おそらく趣味で写真を楽しむ人どまりだったんじゃないでしょうか。



──どれくらいのペースで写真を撮っていますか?

 夜の写真は週に2日程度のペースですが、最近は全然撮れてなくて、かなり焦ってます。コンパクトカメラの写真は毎日10~20枚程度でしょうか。もっと撮るべきなんですが、生業のほうがほとんどデスクワークになってしまったため、あまり撮れてません。職場との行き帰りの途中に撮ることが多いですね。あとは休日の移動中とかです。撮るためにぶらぶら歩くということはやってません。今は、その限られた状況をあえて自分に課して、どんなものが撮れるのかということを試しているところです。

──撮影方法について話してください。

 撮影時刻は基本的に午前0時から午前3時までの間です。太陽から最も遠い時間帯、1日のうちでいちばん暗い(と思われている)時間帯に撮影しています。絞り込んでパンフォーカスです。場所にもよりますが、露光時間は1分から1分30秒程度のことが多いです。色温度はケルビン値を固定しています。RAWデータの現像時に、自然な状態に微調整します。写真によっては、プリント用に焼き込みと覆い焼きの処理をすることもあります。

 移動は自転車。ロケハンはしません。なるべく曇っていて明るい夜に撮影に出るようにしています。撮影場所は東京23区内です。あと大阪市内でも2度撮影しています。都内23区をくまなくまわるのと並行して、今後は、大阪、横浜、名古屋など、国内の政令指定都市に撮影範囲を拡大していきたいと思います。また、いずれはベルリンなど海外の都市でも夜の風景を撮りたいと思っています。

──撮影する場所について、どういう基準で選んでいますか?

 言葉では認識できないものを、あるいは、言葉があることでかえって認識されないものを、言葉とは違ったかたちで浮かび上がらせることができるのが写真の強みのひとつだと思っています。なので、撮影時はとにかく考えないようにしています。言葉が忍び寄ってきますから。それに加えて、あらかじめ「あらまほしきイメージ」などを持たないようにしています。特定のコードに依存したり、たんなるフェテイッシュな戯れに堕してしまいがちだからです。

 移動しながら、光がよくまわっていて逆光じゃない場所、そして地名表示板や看板など記号的要素がフレームに入らない場所を見つけたら、自転車を降りてざっとファインダーをのぞいてみてから、ほぼ無条件に三脚を立てて機械的に撮るようにしています。三脚の高さはカメラが自分の目の位置にくる高さと決めています。あれこれ考えずになるべく早くフレーミングします。条件がそろわず撮れないときはあきらめます。

 この方法だと、ほとんど枚数が撮れない日も出てきますが(最近は少しずつ実力がついてきたのかコンスタントに撮れてます)、それはそれで仕方ありません。金村式の考え方ですが、撮れることよりも、撮れないこと、失敗することのほうが、写真を実践していくうえで大切です。方法としてはスナップ写真に近いものだと思います。


 写真は撮影後に選びます。場所や場所の意味というよりも、空間が感じられるようなカット、そこに写っているモノがモノとして立ち上がってくるようなカットを選びます。特定の文脈に拘束されるものは、たいていボツになります。なるべくフレームの中だけで完結しないカットが理想です。こちらから「この写真はこう見ろ」と押し付けるものではなく、なるべく多様な見方ができるもの、見るたびに見え方が変わったり新しい発見があるような見飽きない写真を選ぶようにしています。

 Webにアップするものは、展覧会で使うか使わないか微妙なカットです。あるいは、何かひっかかりがあって、その理由が自分でもわからないものです。何度も見直して自分で客観的に検討するために、Webにアップするようにしています。無条件で展覧会で使いそうなカットは、それとは別に寝かせておきます。

──夜景のシリーズとブログにおけるスナップにおける被写体の違いについて教えてください。

 そもそも「被写体」という言葉は曖昧なのであまり使いたくありません。「被写体」という言葉が使用されるケースの多くは、その「被写体」を撮影した写真がもたらす効果と効用があらかじめ前提とされてしまっているように思うからです。

 夜の写真も、ブログのスナップ写真も、それほど変わりない意識で撮っています。なので、写っているものは違っても、質的には相通じるものがあるのではないでしょうか。「自分の写真」というものが、あるていど確立すれば(もちろんそれは常に変化していくものだと思いますが)、何を撮っても「自分の写真」になるのかもしれませんね。



──写真と美術の関係についてどう考えていますか。

 基本的に写真と美術を分ける必要はないと思っています。写真作家であれば、いやおうなく美術というジャンルに含まれるのではないでしょうか。中平卓馬さんが、写真はクリエイション(創作)ではなく記録だということをおっしゃっていて、その影響力は未だに大きいのですが、「記録する=選び取る」ことによって生み出された写真の数々は、やはりどうしても鑑賞者に「何らかの感覚」をもたらさずにはおかないんですね。

 この「何らかの感覚」というものが重要で、それが世界なり人間なり社会なり認識なり概念なり歴史なりetc.etc.etc.への問いかけになっていれば、それは十分に現代の表現=現代美術だといえると思うんです。要はこの問いかけが、見てくれではなく本質的な部分で、いかに深く鋭く持続性のあるものであり、何らかの拡張や組み替えや可視化といった「新しい関係の生成」につながるかどうかだと思います。写真表現がもつ批評性の有無とは、そういうことだと思います。

 写真と美術ということでいえば、既存の美術の文脈を意識するあまり、すでに現代美術として認知されている写真のクリシェ(紋切り型)をいかに取り入れていくか、ということに血道を上げている方もいるように思います。しかし、いずれはそんな努力も過去の笑い話になってしまう時が来るのではないでしょうか。写真の世界が成熟するにともなって、いわゆる「現代美術風な写真」ではなくとも、現代の写真表現である「現代写真」がそのまま現代美術として通用する日もそう遠くないでしょう。

──ネット上の写真ジャーナリズムの可能性についてはどうでしょうか。編集者でもある福居さんは写真雑誌をやる気はありませんか?

 情報性という意味では、かなり充実してきていると思いますが、批評性という意味では、これからだと思います。しかし、関西を中心とする視覚文化の研究者や学生の方々が、活発にブログを更新しています。そうした方々は、旧来の写真的文脈のみに規定されることなく、非常に幅広い観点から写真を含む視覚映像文化を研究されています。前川修さん、佐藤守弘さん、小林美香さんなどを筆頭に、写真批評の分野で活躍する人がどんどん増えていけば、Webでも紙媒体でも状況は変わっていくのではないでしょうか。

 カメラ雑誌ではない写真雑誌というものはやはり写真ジャーナリズムにとって必要でしょうね。大いに興味はありますが、それが商業ベースで成立するのかどうかは微妙です。硬派な写真雑誌となると、現状では前述の「photographers' gallery press」が年1回発行されているぐらいでしょうか。「Camara Austria」や「Aperture」のような雑誌が日本にもあってもいいと思うんですが。


──ブログは言葉とイメージを混在させるのが簡単なメディアだと思うのですが、その功罪も含めて言葉と写真の関係についてどう思いますか?

 僕の場合、ブログを訪ねてくる人が、僕の写真も言葉も、見ないなら見ない、読まないなら読まない、でOKだと思っています。それを見てもらえるよう、読んでもらえるよう、無理にブログの内容を作っていこうとは思っていません。だから僕のブログの場合、写真と文字の結びつきは希薄なのではないでしょうか。

 写真と言葉の関係とその功罪ということであれば、新聞や雑誌といった媒体のもつ問題点と同じではないでしょうか。Webは、文字も写真もリアルタイムで変更可能だというのが異なる点だと思いますが。あと、これはいろいろな問題があって難しいことだと思いますが、橋口譲二さんの「17歳」、「Father」、「Couple」のような試みにWeb的な要素をプラスして何らかの展開ができれば、写真と言葉を使った新しい表現が生まれるかもしれません。あとは都築響一さんが展開している試みをひとひねりしてみるとかでしょうか。



──ネット上での他人との交流というのはありますか?

 ほとんどありませんね。掲示板文化とかネット文化みたいなものは、どちらかというと苦手なんです。連絡ツールとしてmixiが便利なんで、簡単なメールのやりとりはそちらを使ってますが。ネットで知り合った人で実際にいちばんよく会うのは、画家でイラストレーターの小野英樹さんですね。たまに展覧会を見に行ったり、画集や写真集などを持ち寄ってファミレスで長話をしたりとかして、いろいろと意見を交換しています。

──ブログの更新頻度について。

 毎日写真をアップするようにしています。あと、その日アップした写真と傾向が似ていたり、共通する部分のある写真にリンクを張るようにしています。それ以外の文字要素は、あらかじめ考えておいたものをアップすることが多いです。朝昼夜と細々とアップすることもありますが、ブログに費やす時間は1日平均90分程度といったところでしょうか。

「記憶の位相 - Aspects of Memory」
糸井潤 黒田康夫 小島佳典 福居伸宏 湊雅博

会場:UP FIELD GALLERY(東京・水道橋)
http://www.upfield-gallery.jp/
会期:4月6日(金)~22日(日) 会期中無休
開場時間:12~19時
オープニングパーティ:6日 19時~ 無料
アーティストトーク:14日 16時~ ※参加費500円(ワンドリンク付)

【お詫びと訂正】記事初出時、福居伸宏氏のサイトへのリンクが抜けておりました。また、グループ展の名称と橋口譲二さんのお名前を誤っておりました。お詫びして訂正させていただきます。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/04/05 00:46
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