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写真にとって「構成」とは何か?



 写真について話していると、「構成」という言葉がよく出てくる。「構成がどうした」とか「構成的な写真」だとか「構成をもっとちゃんとしないと……」という言い方を耳にする。

 ぼく自身も「構成」という言葉を割とよく使うのだが、他人と話してる時に「構成」という言葉の意味がいまひとつ通じあっていない、という居心地の悪さを感じることがある。「構成」という言葉の意味やニュアンスが人によって異なっているせいもあるし、ぼく自身が「構成」という言葉について厳密な定義を知らぬままなんとなく使ってしまっているところもある。

 そもそも写真について言葉で語ることは難しいのだが、写真について言葉を交わす機会は多い。学校で、ワークショップで、ギャラリーで、そして近ごろではブログのコメントやトラックバックなどで……。写真における「構成」という言葉をもう少し明確にしておきたいと思った。

 とは言っても、ぼくは「構成」という言葉を定義するつもりではない。「構成」という言葉を辞書で引いても、写真における「構成」の説明にはならないように、言葉を言葉で論じたり定義したりしても、実際の写真の理解についてはあまり役にも立たないのだ。写真を撮る人間にしかできないようなアプローチで「構成」について考えてみたいと思う。



 「構成」という言葉は人によってそれぞれ微妙に異なった意味合いで使われている。言葉には複数の意味があるのだから、それをむりやりひとつに統一する必要はないが、もう少しその辺を整理してみたい。試しに「構成」という言葉を和英辞典で引いてみた。すると、以下の3つの名詞が示されていた。

 composition
 construciton
 organization

 これらの単語はどれも「構成」の訳語だから「構成」という意味を持っているが、それぞれ「構成」とは異なった意味も持っている。これらの単語を今度は逆に英和辞典で引いてみると、さらに多くの訳語が示される。みなさんもオンライン辞書などで試してほしい。

 辞書を引くことでかえってわけがわからなってしまうが、ここは思い切ってばっさりとぼくなりに訳してみると、compositionは、絵画や写真においては「構図」、「画面構成」の意味で使われているのが通常であると思うので、「構図」となる。

 constructionは、「工事」、「建築」、「組み立てる」というニュアンスが強いと思う。写真について使うなら「組み立て」とでも訳すべきか。

 organizationは、特に生物における有機的な「組織」という意味が最初に思い浮かぶ。だから「組織」と訳してみる。

 composition(構図)
 construction(組み立て)
 organization(組織)

 とりあえず、「構成」に関連する3つの言葉を提示してみたのだが、ここまでは基本的には辞書を引いた結果であって、大きく間違ってはいないはずだ。



 これら3つの言葉を足がかりに、写真における「構成」について考えてみたいと思う。「構成」という言葉は多義的で、人によって違った意味やニュアンスで使っていると書いたが、その用法は大きく3つに分類することが可能で、「構図としての構成」(composition)、「組み立てとしての構成」(construction)、「組織としての構成」(organization)に対応するのではないか、というのがぼくの考えだ。個々の言葉を定義することが目的ではないが、「構成」には3種類ある、というようなことを示したい。

 まず、「構図としての構成」(composition)は、文字通り、1枚の写真における構図を意味している。つまり、写真において構図は「構成」である。構図だけが写真の「構成」ではないが、構図を「構成」だと考えると、いろいろ見えてくることがある。たとえば構図はフレーミングと混同されているが、フレーミングは構図を作る手段であって、構図そのものではない。構図とは簡単に説明すると、画面を分割する仕方、である。compositionという言葉には「成分」「混合物」という意味合いがあるが、構図における「成分」とは、分割された画面の一要素と言える。写真の画面はどの部分も原則的に等価だから、どのような線を引くことも可能だし、どう分割してもよい。ただ、まったくランダムに線を引いて分割したところで、それは構図ではないことは明白だ。画面内の色や形のパターンに人間は構図を見てとって、心理的あるいは経験的に画面をある領域に分類してしまう。

 ただし、写真における構図は平面的な画面の分割だけによるのではなく、奥行きのある三次元的な空間の分割にも基づくだろうし、動きのある被写体が暗示する構図もあるだろう。たとえ撮影者が構図を構成する意図がなかったとしても、写された写真には結果的に構図が見てとれることもありうる。不定形なものを写したり、さらにはまったくイメージが判別できないような写真も珍しくはないが、それもまた「オールオーバー」(全面を覆うもの。総模様の……)という構図に分類されてしまう。四角形のフレームを持つ以上、構図のない写真というのはありえないのではないか、とぼくは思う。そう考えると、写真とは原理的に「構成」的であり、「構成」の度合いや良否を評価されたり問題にされることは避けられない。



 次に、「組み立てとしての構成」(construction)は、おそらく「構成」の訳語としてはもっとも一般的に使われる言葉だと思われる。美術史の用語としての「構成主義」はconstructivismである。constructionismではないところが興味深いが、ジャンルとしての「構成主義」と、ここで論じている「構成」とは直接は関係がない。compositionがひとつの画面を分割していくような見方だとすると、constructionは複数の画面を組み合わせてひとつの構造物を作っていくというようなニュアンスを感じる。

 写真に関連して具体的に述べると、「組み立てとしての構成」というのは、展示や作品集といった複数の写真をまとめる行為のことである。展示においては、プリントの大きさ、壁面の大きさ、展示する位置、作品の並び順などが検討され、作品集においては、本の寸法、写真の並び順、ページにおけるレイアウトや余白のとり方、などが問題にされる。それらに先立って、まず写真のセレクションがなされるが、それらすべての行為が「組み立てとしての構成」である。写真による作品を作る上で、こうした作業とはとても重要であるとされている。と、同時に写真をやる以上誰にとっても避けられないことでもある。たとえ、いっさい発表を行わず、誰にも写真を見せなかったとしても、少なくとも写真を撮った本人は自分の写真を見返すだろうし、それはすでに「構成」のきざしと言うことができる。

 たとえば、写真をセレクションする上で、取捨選択あるいは分類という風に考えるのではなく、「建築」や「工事」や「組み立て」という風に考えるとどうだろうか。つまり「構成」するという意識を明確に持つことで、作業がやりやすくなったり、もしかしたらよりよい結果が得られるのではないかと思う。



 最後に、「組織としての構成」(organization)というのは、はっきり言ってぼくの思いつきに近い。compositionとconstrucitonに関しては、写真における構成の説明としてオーソドックスなものであり、さほど的を外してはいないと思うが、写真における「構成」についてはもっと別の考え方もあるのではないか、という思いをorganizationに込めている。

 organizationというのは生物の組織というニュアンスがあるが、それは成長するものであり、内分泌系や神経系といったシステムによって組織の要素間で緊密にコミュニケーションを行ない、全体としてひとつの統一を保っている。つまり「組織としての構成」というのは、ひと言で言うとダイナミック(動的)な「構成」ということである。

 もっと具体的に言うとWebをイメージしている。たとえば展覧会というのはオープニングからクロージングまで日程が決まっており、その間は同じ作品が決められた順序で並べられ変化しない。一方でWebにおいては、毎日更新することもできるし、原理的にはいつでも作品を入れ替えることが可能だ。何よりも重要なポイントは、Webというのはリアルタイムで作成されているものなので、見る人からのコメントやトラックバックによって作者自身も日々変化し影響を受け、そのことが写真にも反映していくということである。



 Webというのは、これで完成ということはなく、常に未完成であり続け、今日の1枚が明日の写真に反映するというフィードバックをそれ自体においてはらんでいる。写真をWebで発表している人は、みなそれぞれ違ったやり方をとっているが、ぼく自身は自分のWebサイトをひんぱんに見返しているし、自分が過去に撮った写真を見たりそれについて考えることが、現在の写真を撮るためのひとつの条件ともなっている。すなわち、過去に撮られた写真も現在の写真も未来に撮るであろう写真も、Webにおいてはひとつの組織として関連しあっている。「構成」という言葉のニュアンスからは馴染みのないことかもしれないけど、やはりWebならではの「構成」すなわちorganizationというものがあるように思えてならない。

 ただ、写真家が作品を発表していく上で、自分や他人やその他さまざまな事柄から影響を受け、成長していくというのは、別にWebを介さなくとも当然あり得るだろう。Webはそうしたプロセスが具体的な成果物としてはっきりと見てとることができるという意味で特筆しておきたい。

 さらには、Flickr( http://www.flickr.com )のような、ネット上でタグ(メタデータとしてのキーワード)を付けられた写真を共有するサービスは、「組織としての構成」のより徹底したあり方を示している。Flickrでは、公開した写真に対して誰もが自由にタグを付することができる。1枚の写真にさまざまな属性、たとえば被写体、色調、撮影したカメラ、場所、ジャンル、などをタグ付けすると、そのタグによって分類したり検索したりすることができる。しかも個人の作品という枠内に限定されず、Flickrに参加している公開ユーザーの数え切れない写真の中の1枚としてそれが可能である。

 つまり、自分が撮った1枚の写真を、作者本人はアートとしてタグを付けたとしても、ある人から見るとそれはユーモア写真として見なされるかもしれず、ある人からは特定のカメラの作例として見なされる可能性があるということになる。個人が構成的な意志をもって念入りにセレクションした作品も、Flickrにアップロードしてしまったら、そういった「構成」はいったん破棄され、さまざまなタグを付されて分類された上で閲覧されることになる。しかし、こうしたFlickrのシステムは、これまでにない新たな「構成」のあり方であると考えることもできる。



 ぼくが「構成」ということを気にし始めたのは、やはり写真に関する会話の中でよく使われる言葉であるということが発端だった。「構成」とは何か、ということを自分なりに考えていくうちに、どうやら写真において「構成」というのは重要なことらしいということに次第に気づいてきた。さらには写真の展示や写真集を作るうちに、「構成」するという意識を抜きには何も作れないという事態に直面しもした。つまり「構成」は作品を作る上で必要不可欠であり、それを意識的に行なうことで完成度を高めることができるという、一般的な結論に達したわけである。

 だが、ある時期からぼくは、本当に「構成」は必要なのだろうか、という疑問を感じ始めた。きっちりと「構成」された作品は、たしかに完成度が高く、他人も理解しやすく評価されることも多い。要するに「作品ぽい」。だが、ぼく自身は「完成」や「作品」なんかクソ食らえという気持が常にどこかにある。そういったことに全精力をかたむける気にはあまりなれないのだ。かといって、「構成」を無視してメチャクチャに写真を撮って、それをぶっきらぼうに投げ出したとしても、それで「構成」を破棄したことにはならない。写真において「構成」が抜きがたく存在しているからこそ、成り立つポーズにすぎないからだ。



 すぐれた写真家の作品集や写真展を見ると、そこには例外なく緊密な「構成」を見てとることができる。それを見て「いいなあ」とは思うが、とても自分はこうはやれないと思う。しかし「構成」抜きでは、お粗末で弱々しく客観性に欠けた作品にしかならないだろう。それは不完全に構成されたものにすぎないからだ。

 結局のところ、そう簡単に「構成」を排した作品など作れるわけもないし、具体的にどうすればいいのかもわからない。ただ、ひとまずは徹底的に構成的な意志にもとづいて作品を作ることを通して、「構成」ならざる作品というものを考え続けたいとは思っている。



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  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/02/22 10:32
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