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グッバイ・カルカッタ


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このページに掲載された画像はすべて内原恭彦氏により加工された作品です。(編集部)

はじめてのカルカッタ

 3年前の初夏に、はじめてインドのカルカッタに行った。当時滞在していたバンコクから飛行機で2、3時間という距離だったので、ちょっと足を伸ばしてみようと思ったのだ。バンコク市内のインド大使館でビザを申請し、旅行代理店で30日オープンの格安航空券を買い、紀伊国屋書店バンコク支店でガイドブックを買った。この辺がバンコクの便利なところで、思いつきで行動するぼくにはおあつらえ向きだ。

 インドに関してネットや書物からのちょっとした見聞しか持たぬぼくにも、インドの文化的、社会的、政治的な底知れぬ奥深さだけは承知していた。要するに「インドについて何にもわかっちゃいない」ということだけは自覚していた。ひとまずぼくは写真を撮りにいくわけだが、面白い写真が撮れるのかどうかもわからなかった。まあ、それはいつものことなので、特に気負いもなくネットでカルカッタの安宿を検索したら、それで準備は終わりだ。ただ、ビザが下りるのを待つ1週間の間に風邪を引いてしまい、治らないまま出発日を迎えた。

 カルカッタ郊外のダムダム空港に飛行機が着陸すると、機内のインド人乗客たちはいっせいに拍手した。黄色く塗られたインドの国産車アンバサダーのタクシーに乗って、カルカッタ市内の安宿街サダル・ストリートに向かう。サダル・ストリートは外国人バックパッカーの間では広く知られた安宿街で、ゲストハウスやリーズナブルなホテル、外国人向けの食堂やカフェが集まった一廓だ。とりあえずここに来れば寝泊りする場所は確保できる。



 ネットで見当をつけていたゲストハウスにチェックインしてから、陽の傾きかけた午後のカルカッタの街に出かけた。はじめてのインドの印象は、太陽の光が強いということだった。これまで見た中でもっとも強く透明な陽光だと感じた。太陽は1個しかないのだから、どの土地に行ってもそこを照らす太陽は同じはずである。にもかかわらず、どの土地の陽光も微妙に異なる気がする。それは要するに大気中の微粒子や、緯度による光線の入射角の違い、そして幾分の思い込みもあるだろう。とにかく、ぼくにとって異国のエキゾチックな風景よりも光そのもののほうが強く気持にうったえかけてくる。

 ただ、当然のことながら光そのものは写真には写らない。どうやったところで写真に写るのは光が照らし出した事物のみであって、結局のところそれ以外に写真で光をとらえる方法はないのかもしれないが、どこか「それは違う」と焦(じ)れるような気持がある。もっとも、そのような清澄な太陽の光は初日だけで、それ以後はどちらかというと曇りがちな日々が多かったこともあって、光よりも事物のほうに関心は移っていった。




道に迷う

 初日からさっそく道に迷ってしまい、日が沈んでからも何時間も帰路を探してカルカッタを歩き回る羽目になった。外国、特にアジア諸国はなかなか地図が手に入らない。日本のように国土地理院が全国を網羅する詳細な地形図を発行し、誰でも容易に入手することができるというのは、例外的なことなのかもしれない。地図が手に入らないのは軍事的な理由もあるのかもしれないし、一般庶民はそんなものを必要としないということもあるだろう。

 とにかく、まともな地図さえあればはじめての街でも恐れることなく一人で歩いていけるのだが、ガイドブックのひどく簡略化された間違いの多い地図だけを頼りに、暗い路上を歩くのは心細かった。と同時に、道に迷った時はいつでもそうなのだが、どこか甘美でなつかしいような気分も感じる。カルカッタの街の暗がりを歩きながら、小学生のころ学習塾から帰宅する夜道や、ナポリの旧市街のナトリウムライトに照らされた路地を思い出していた。

 カルカッタの街は夜のほうが人出が多いような気がする。昼の暑熱を避けてのことだろうが、日が沈んだあとの路地を、何をするでもなくブラブラとそぞろ歩きでもしているかのようだ。夜になっても子どもが多く、自転車を乗り回したり、買い食いをしたり、どこか縁日に集まる人たちのような雰囲気だ。日用品やお菓子を売る雑貨屋や、肉屋(これはイスラム教徒地区に多いが)や、ゼロックスコピーや長距離電話のサービスを行なう店、いちいち挙げるまでもなく他の大都市と同様に人々の生活に必要なあらゆるものが提供され活気に満ちている。



 カルカッタはトラム(路面電車)が発達している。これはと思うような小さな路地の中にも軌道が引かれ、1両あるいは2両編成の年季の入った車体を手描きでペイントされた広告が彩っている。トラムの軌道をたどって歩いていくうちに見覚えのある中央停留所に出て、なんとかゲストハウスまで帰り着くことができた。

 カルカッタにはノートPCを持って行った。写真のバックアップとWebの更新のためである。サダル・ストリートには当時も何カ所もネットカフェがあり、インターネット接続には特に不自由はなかった。もっとも回線の速度は速くはないし、ハードウェアやOSも古く、快適とは言い難かったが。部屋とすらいえないような狭っくるしい“ブース”には、さまざまな国からやってきた旅人たちが、メールを書いたり旅の情報を検索していた。ミネラルウォーターを抱えて、USBメモリーからFTP(ファイル転送)ソフトを立ち上げて、自分のWebページを更新しているような酔狂な人間はぼくだけだったが、今なら旅先からBlogを更新するバックパッカーも珍しくはないだろうと想像する。



街を覆いつくすようなポスターと貼り紙

 カルカッタの街中には、ExcelやWordはもとよりC++(プログラミング言語)や3D studio MAX(3次元コンピュータグラフィックスソフト)にいたる、ソフトウェアを教える教室の広告が貼られていた。もっともそうした貼り紙の隣にヒンズー教の神々を描いた護符が貼られていたりもするのだが。



 カルカッタの街でもっともぼくが魅せられたのは、街中に貼られたポスターや貼り紙の類だった。通りに面したほとんどの壁面がポスターによって覆いつくされている。しかもフラットな壁面だけにとどまらず、建物の外壁のでっぱりやくぼみや軒のような場所でも、お構いなしに貼っている。あげくの果てに、路上の電柱や配電盤や電話交換機のボックスをも梱包するかのようにぐるりとポスターがくるんでしまっている。しかも、それらの貼り紙の上に次々と重ねるようにして新しい貼り紙やポスターが貼られて、分厚い地層かパイ皮のようにレイヤーを形成してしまっている。部分的にそれがはがされて、まるで大竹伸朗(画家)のコラージュ作品のようだ。ポスター類ははがしやすいようにあえて弱い糊で貼られているようでもある。

 ぼくたちにはただ乱雑かつ無秩序に貼られているようにしか見えないが、ポスターを貼る壁面に対してはなんらかの代価が支払われているはずで、それは期間や貼り紙の面積に応じたものだろう。期限が来ると容赦なく新たな貼り紙が上から貼り重ねられたり剥がされたりした結果、あのような混沌としつつもエネルギーに満ちたイメージが作られたのだと想像する。それは宣伝や告知といった実利的な目的のための行為が、偶然生み出したものであって、まちがってもアートを作ろうとしたわけではない。それでもぼくはカルカッタの街を覆いつくすかのようなポスターや貼り紙に強烈にアートを感じた。



路上生活者

 カルカッタは路上に住む人たちや物乞いが多く、旅行者がしつこく金をせびられるトラブルがあるという話を聞いたことがある。実際には、ぼくはほとんどそのような目にはあわなかった。かつてのカルカッタは路上生活者が道ばたにあふれるようであったが、彼らは当局によってカルカッタの路上から他所(一説によると砂漠地帯)へ移されたのだという噂もある。

 もちろんぼくはそれらの噂の真偽はわからないが、確かに以前より路上生活者は減っているのだろうと思う。カルカッタの目抜き通りと言えるような街路には物乞いはほとんどいない。ただ、裏通りというか特定の場所は、歩道や空き地にビニールや材木などで掘っ立て小屋を作って、その中で人々が暮らしている。あるいはそうした掘っ立て小屋すら持たず、路上の毛布だけを敷いてそこで寝ている人たちもいる。気温が温暖だから雨季以外なら、屋根や壁がなくてもとりあえず生き延びていくことは可能である。



 路上生活者が多い一廓を歩いていると、ごくまれに子どもの集団がしつこく金をせびりながらついて来たり、そでを引っ張ったりということはあった。カルカッタはかつてインド・パキスタン戦争のおりに当時の東パキスタン(現在のバングラデシュ)から大量の難民が流れ込み、現在も数多く暮らしているという。もしかしたら、そうした難民が路上生活者として暮らしているのだろうか。バンコクにも路上生活者はいるが、彼らの多くは地方から出稼ぎにやってきて、住むところが無いのでとりあえず高速道路の下で寝ているといった感じで、あまり悲惨さは感じない。彼らはそのうち掘っ立て小屋を建て、それがスラムを形成し、それがやがて普通の住宅街になるという具合に段階を踏んでステップアップすることも多いらしい。

 カルカッタの路上生活者の生活の実態はぼくにはわからないが、はたから見ている限り都市の余分なモノとして疎外されている印象を受けた。それでも気候的に死に直結しないだけ、日本よりはマシだと思うが。



カルカッタからの帰国

 30日オープンの航空券を持っているので、とりあえずカルカッタをうろついて写真を撮って、気が向けばどこか他のインドの都市に移動しようかなどと考えていたが、結局のところ2週間足らずでまたバンコクに舞い戻ってしまった。

 風邪をひいて体調が良くなかったせいもあるが、体力・気力的にぼくにはカルカッタは少々きつかった。ぼくはタフな旅行者ではまったくないし、そうなろうとしたこともない。自分に可能な範囲で快適に過ごしたいと思っているのだけど、カルカッタは少しだけぼくの許容範囲を超えていたというわけだ。エアコンの無いゲストハウスではとても夜寝られないので、多少料金の高い格安ホテルに移り住み、水道水があまりにもひどい味なので歯をみがくときもミネラルウォーターを使い、サダル・ストリートの古本屋で日本の文庫本を買ってカフェで退屈しのぎに読んだりもしたが、どうにも居心地が良くない。

 なによりも昼間の暑さと埃(ほこり)がこたえた。路上を歩き回って写真を撮っていると一息つきたくなるが、エアコンの効いたコンビニもカフェも当然ない。疲れ果てて道端に座り込んでミネラルウォーターを飲んでいると、ヒマなインド人が寄ってきてなんやかや話しかけてくる。「日本人か?」、「カラテ知ってるか?」、「そのカメラはいくらだ?」、「何を撮っているんだ?」という質問に慣れない言葉で返事をするのは億劫だった。「何を撮っているんだ?」という万国共通の愚問にはほんとうにうんざりする。「何って、写真を撮っているんですよ」という定番の切り替えしもインド人には通用しないだろう。ぼくがもっと社交的ならそういうヒマ人と友だちになって彼らの日常を撮らせてもらうのもいいかもしれないが、とうてい無理だ。



 もちろんカルカッタにも良いところは多々あった。何を食べてもたいてい美味しかった。地元の人間相手の食堂に入ると、メニューはすべてカレーだった。カルカッタはベンガル湾に面していて魚が豊富だ。薄いアルミの皿にボソボソしたインディカ米が盛られ、そこにほとんど汁気の無いカレーで煮込んだ魚やエビが乗っかっている。それ以外に付け合せも何もない。水はテーブルの上の水差しからプラスチックのコップに勝手に注いで飲む。日本のインド料理屋ではお目にかかったことのないような見てくれと味だが、実に美味しかった。今思い出しても、また食べに行きたいと思うくらいだ。市場で売られている何種類ものマンゴーは絶品だった。新鮮でみずみずしく香気にあふれている。口と手をベトベトにしながら散々むさぼり食ったが、手を洗わないとカメラが扱えないので困った。

 運良く犯罪や詐欺にも出会わなかったし、人々は少々しつこいが大半は善良であるとしか思えなかった。なによりもカルカッタで写真を撮ることは、常に刺激的で楽しかった。今、当時の写真を見返して感じるのは、ぜんぜん撮り足りてない、撮り尽くしていないという気持だ。しかしそれはカルカッタを去るときも感じていた気持だった。ぜんぜん撮り足りてない。今回はちょっと様子見でやってきたが、またいつかカルカッタやインドを撮りに来よう。グッバイ・カルカッタ、そんな気分だった。




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内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/12/14 01:46
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