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アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹
[2008/04/10]


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デジタル・クルンテープ



 この連載では基本的にその週に撮った写真を載せることにしているのだけど、今週は雨が降った上に風邪気味で、いまひとつぱっとした写真が撮れなかった。どうしようかと考えた末、数年前にタイ王国の首都バンコク市に滞在して撮った写真の中からセレクトしてみることにした。「クルンテープ」というのはバンコクの正式な名称である『クルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーユッタヤーマハーディロッカポップノッパラットラーチャターニーブリーロムウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーラピマーンアワターンサティットサッカタティヤウィッサヌカムプラシット』(wikipediaによる)という「寿限無」のような長ったらしい呼び名を略したもので「天使の都」を意味することはご存知の人も多いだろう。『デジタル・クルンテープ』という言葉は「デジタルカメラで撮ったバンコク」といったくらいの意味である。

 撮り下ろしではなくて手持ちの写真からセレクトするというのは手抜きのように思われるかもしれないけど、実はセレクトするだけでも写真を撮るのと同じくらい疲れた。総容量130GB、枚数にして約13,000枚のRAWファイルに目を通すには1日ではまるで足りない。RawShooter(RAW現像ソフト)で数百枚のRAWファイルが入ったフォルダを開き、全画面表示でブラウズしながら、気になった写真はトーンを調整して現像する。それだけのことなのだが、自分が撮った写真を見返していると様々な記憶がよみがえり、思いにふけったり気になったことを検索して調べたり昔のメールを読み返したりと、わき道にそれてしまい埒(らち)があかない。結局130GBの半分にも目を通せなかった。


バンコクの街角のいたるところにATMがあり、各種クレジットカードやシティバンクのキャッシュカードでタイバーツを引きおろすことができる。旅行者にとってはとても便利だろう。この写真の写っているタイ農民銀行はタイ第一の銀行らしい。右下のロゴはタイ農村の伝統的な作物を意匠化している。その名とは裏腹にタイ農民銀行の本店はスターウォーズに登場しそうなくらいぶっとんだモダンな建物である

運河のそばで昼寝をする子どもたち。かつては「東洋のベニス」と呼ばれていたほど、バンコクは無数の運河が走る街だったが、自動車による交通が主流になるにつれそのほとんどは埋められ道路として使用されるようになった。都心部に残る数少ない運河は、船を使った水上バスのような輸送が見直されている


 2003年に3カ月半ほどバンコクに滞在して写真を撮った。特に目的はなく、ただ1カ所に腰をすえて気が済むまでひたすら写真を撮りたかったのだ。1年ほど滞在するつもりだったのだけど、結局3カ月ほどでバンコクには飽きてしまい、日本に帰国した。タイ語がまったくしゃべれないぼくでは、どうしても撮るモノは限定されてしまう。

 バンコクではアパートを借りて住んでいた。日本人長期滞在者なら誰でもその名を知っているアパートだ。ホテルよりも格安で快適である。

 室内の電話回線をPCの内蔵モデムにつないでダイアルアップでインターネットに接続していた。タイではダイアルアップ接続用のプリペイドカードが売られているので、それを買ってきてプロバイダーのアクセスポイントの電話番号とパスワードを入力すれば決められた時間までインターネットを使用することができる。当時の転送速度は体感では64Kbpsほどで非常に遅かったが、ぼくは毎日のように自分のホームページにその日撮った写真をアップロードしていた。HTMLと数枚の写真をサーバにFTP(転送)するのに5分以上かかる。それでもコーヒーでも飲みながら待っていれば済むわけで、それほどストレスを感じはしなかった。日本もブロードバンド接続が普及するほんの数年前までは似たような回線状況だった。

 タイの都市部では(おそらくは農村部でも)いたるところにネットカフェが営業しており、チャットやオンラインゲームをする客でにぎわっていた。ネットカフェは専用線を引いているので、おおむねADSL並の転送速度が出ているようだ。


世界的に人気の韓国製オンラインゲームが描かれた日除け。このゲームはとにかくどこに行っても目立つ。ゲームやマンガやアニメといったいわゆるヲタクカルチャーは完全に子どもの心を捉えている。タイで作られたマンガやアニメというのはあまり知らないのだけど見てみたいと思う

 ぼくはあまり環境の変化を好まないので、外国にあっても日本の生活様式を持ち込みたかった。これはもう性格としか言いようがないので仕方がない。ネット環境はぼくにとって欠かせない生活の一要素なのだけど、それに関してはバンコク滞在中はさほど不便は感じなかった。「外国の文化や風物と直接ふれあうことによって、われとわが身に根源的な変容をこうむる」というのではなく、カメラのレンズ越しに距離をおいてのぞき見るにとどめ、その写真をネットによって標本のように提示するというのがぼくがバンコク滞在中に行なっていたことであるように思う。


民家の土間で小間物を売っているようなよろずやで男の子がPCを操作していた。ゲームをやっているのかビデオCDを見ているのか?

 バンコクでやっていたのは、朝起きて街に出かけて市場の屋台やコンビニで朝食をとり、ペットボトルの水を買ったらあとはひたすら路上を歩き回って写真を撮るという、要するにぼくが東京で行なっていることの繰り返しだった。写真を撮る行動パターンが同じであるほうが、東京とバンコクという場所の違いが際立つということはあるかもしれない。が、自分の写真を見返してみると2国の違いというよりは同じくアジアに位置する国同士の似た部分が目につくような気もする。

 バンコクの気候は暑熱には違いないが、真夏の東京と大差はなく馴れることは可能である。むしろ排気ガスや歩道の不整備のほうが歩行者には過酷だ。だいたいバンコク市民は徒歩で出かけようなどとはほとんど考えないようだった。貧富を問わず、自家用車やバス、タクシーといった乗り物を利用するのが一般的である。自転車すらほとんど見かけない。チャオプラヤ川の砂州の上に築かれたバンコク市は、地下水のくみ上げによって地盤沈下が問題となっている。歩道に敷いたコンクリートブロックはその下の地面が沈下するせいであちこちが陥没している。歩道があるだけでもマシで、歩行者用の信号など無いしあっても無視されるので当てにならない。日ざしが照りつける下、カメラを持って市内を歩いて写真を撮っている酔狂な人間はぼく以外にほとんど見かけなかった。


バンコクの街角ごとに“モトサイ”と呼ばれるバイクタクシーの運転手の溜まり場がある。大通りから路地の奥の住宅街までのわずか数百mほどの距離をお客を乗せて運ぶ。もちろん交渉しだいでどこにでも乗せて行ってくれるはずではある。ユニフォームのような共通のデザインのベストを身に着けている。元締めに金を払ってこのベストを借り受けて客を取っている。いつも暇そうに王冠を使った将棋をやったり寝転がったりしている。どうも小遣い稼ぎほどにしかならないようだ

バンコクでは音楽を演奏する物乞いは数多く見かけるが、この写真のようなフォークシンガー風のミュージシャンはあまり見かけない。かつてのタイではカラワンという民主化を求めるバンドが活動していたのだけど、今ではあまり目につかない。このミュージシャンの脇には水田と池の描かれた絵が立てかけられている。高度に資本主義化された大都市バンコクで虚飾の生活を追わずに生れ故郷へ帰れとでも歌っているのだろうか? タイ人の若い男性ではこれくらいの長髪も珍しい。長髪はたいてい芸術家のしるしである

 さすがに昼間の撮影は体力的に3時間が限界だった。スターバックスで冷たい飲み物を飲みながらソファでリラックスするのがもっともリフレッシュできた。およそ「バンコク的」な風景とは無縁なスターバックスで、気持のバランスを取る必要があったのだろう。東京ではスタバなんてほとんど入ることもないのだけど……。

 日が沈んでからアパートの近くのレストランで夕飯をとる。バンコクといえば無数の屋台が有名だが、屋台は美味しいところと不味いところの差が大きい。美味しい屋台は口コミで評判となり、金持ちがメルセデスベンツで乗りつけてクイッティオ(ソバ)を食べにくるらしいが、不味いところは倉庫で何年も寝かされた古古米のような最低ランクの米を適当に炊飯したものが、さらに冷えてボソボソになっていたりして、たとえ料金が50円ほどであっても食べたいとは思わない。

 基本的に屋台の飯はちょっと小腹が空いたときにさらっと食べるもので、クイッティオ屋はクイッティオだけ、カオマンガイ(鶏飯)屋はカオマンガイだけしか扱っていない。かといって大衆食堂はメニューもないので、口頭で作れるものを尋ねて注文するというのはぼくにはしんどい。というわけで、英語のメニューも置いてあるけれど観光客相手ではないというようなレストランが一番手軽に美味しいものが食べられるのだ。バンコク滞在中にはいろいろとトラブルや辛いこともあったけど、唯一食事に関しては天国だったと断言できる。もともとタイ料理は好きなのだけど、初めて見聞する無数の料理をたらふく食べて200~300円なのだから。

 コンビニでチャーン(象)ビールを買って帰り、アパートの部屋で撮った写真をチェックしてWebサイトにアップして寝てしまうか、あるいは「夜の部」と称して、シャワーを浴びてからもう一度夜のバンコクの街に三脚持参で出かけることもあった。曇りや雨の日もけっこうあるので、昼間は思うように写真が撮れないこともあるのだ。

 バンコクの街はアジアの大都市の中でも治安はいいほうだと思う。もしかしたら昨今の東京などよりも安全かもしれない。ぼく自身は三脚とカメラを持って一晩中盛り場から路地裏のスラムなどを撮り歩いたが、危険を感じたことはなかった。もちろん個人が犯罪に巻き込まれる可能性はバンコクに限らずいつどこでもありうるわけで、油断しないことは必要だろう。


お供え物を作っている工房のそばにちょっと不気味な人形があった。タイの民家や店舗や会社や路上にはプームと呼ばれる祠(ほこら)が据えられている。仏教とヒンズー教と精霊信仰がまじりあったような民間信仰の対象となっており、こうした人形や食べ物や線香が供えられている。日本で言ったら昔の道祖神やお地蔵さんのような感じだろうか。プームのデザインは非常に興味深くぼくの心に訴えかけてくるものがある。プームに飾られるプラスチック製の人形もすばらしい。お土産にいくつか買って帰ったことはあるのだけど、本格的に輸入してみたいとすら思う

バンコクの路上の野良犬はたまに地域の住人(特にやんちゃなバイクタクシーのドライバーなど)からマジックでメガネのような落書きをされていることがある。落書きが薄れてきたらごていねいに書き直されていることもある

 それよりも夜の撮影で悩まされたのは野良犬の群れである。バンコクの街は非常に野良犬が多い。繁華な大通りだろうが住宅街だろうがとにかく路上のいたるところ数十mごとに犬が這いつくばって涼を取っている。それらの犬は近所の住民の誰かしらがエサを与えているので完全な野良犬というわけではないが、首輪や鑑札をつけている犬は皆無で無論各種予防注射などもされていない。

 そうした半野良犬たちが夜になると群れをなして路上を徘徊する。人気のない街を三脚を持った見慣れない人間が通りかかると犬たちは狂ったように吼えさかり歯をむき出しにして威嚇する。それも十匹ほどの群れが遠巻きに取り囲んで耳が痛くなるほどやかましく吼えかかるのだ。イライラして三脚を振り回したり石を投げつけたり蹴ろうとしてもその都度さっと身をひるがえし距離を置き、そのすきに後ろに回りこんだ他の犬がふくらはぎに鼻づらがあたるほどのところまで近づいてプレッシャーをかける。ほんとうに犬というのは捕食動物だと実感した。

 結局のところバンコク滞在中に犬に噛まれたことはなかったし、犬も超えてはいけない一線があると心得ていたかのようだった。それでも犬に吼えまくられると、落ち着いて写真を撮るどころか歩行することすらままならない。町内ごとに犬のテリトリーがあるようで、ひとつのブロックを通り過ぎると犬の群れはそれ以上は追いかけてこない。その代わり次のテリトリーに属する新たな犬の群れが吠えかかってくるわけだ。まったくバンコクの野良犬にはうんざりした。撮影したい場所で犬に囲まれてあきらめて退散することもあったし、それにも負けずに三脚を立てて長時間露光撮影を完遂したこともあった。まことに夜の撮影は犬との戦いだった。


戦勝記念塔(アヌサワリー)付近の食堂。夜になると歩道や広場などにテーブルを並べたオープンエアな食堂が仕事帰りのサラリーマンやOLでにぎわう。日本の居酒屋のようなノリである。場所によって名物は異なるのだろうが、もっとも人気があるのは焼き魚とご飯とお酒、または鍋物のようである

 たった3か月半といっても、毎日路上で写真を撮っているとそれなりにバンコクという街に体が馴染んだように感じる。言うまでもなくぼくに撮ることができたのはバンコクという街の一断面にすぎない。どうしても写真に撮れないものもあるとは思うけど、もう少し準備をしてからもう一度バンコクに写真を撮りに行きたいと思う。


ぼくが住んでいたアパートの近くの屋台街。高速道路の下が何kmにもわたって露店や屋台街となっている。同じ場所が朝、昼、夜で違った露店となり、朝は朝食を出す屋台や食材を売る露店で昼飯時は屋台、夜になるとネオンやテレビやカラオケが設置されたオープンエアな居酒屋となって深夜すぎまでにぎわう

高級デパートが建ち並ぶバンコク中心部の裏道を通り抜けるとこのようなスラムがひっそりと息づいている。スラムといってもここはかなり時代を経ており路地は舗装され電気や水道も通り、少しづつ住宅が改築されている。付近にはスラムを取り壊して多層階の集合住宅に建てかえたところもあった。スラムの住民は地方から職を求めて移り住んで来た人たちであり、選挙の票田となっているようだ。経済や政治の変動によって翻弄されがちな場所なのかもしれない

中華街の近くのフリーマーケット(蚤の市)。ありとあらゆるモノが売られている。その名も泥棒市。この写真に写っているのは自動車用品を売っている一家のようだ


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  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/10/26 01:22
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