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写真の星──村上仁一
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チャンプルー都市・横浜



 「チャンプルー」というのは、さまざまな食材を混ぜ合わせて炒めた沖縄の郷土料理である。「チャンプルー」は琉球語で「混ぜこぜにした」という意味で、東南アジア、中国、アメリカ、日本の風物が混在する沖縄の文化を「チャンプルー文化」と呼ぶこともある。

 なぜ横浜に「チャンプルー都市」という造語をくっつけたかというと、横浜もさまざまな文化や風物が混在する街であると思うからだ。幕末に開港して以来、横浜は常に外国の文化が流れ込む窓口だった。外来の風物の例としては中華街や米軍施設があげられるだろう。実際にカメラを持って歩き回ると、横浜周辺は互いに相反するような風景が集まった場所であると実感する。例をあげるならば、極度に人工的な「みなとみらい」のショッピングモールと本牧の丘の斜面にある古びた町並みや、小洒落たカフェやショップの並ぶ元町と寿町のドヤ街など、まったく異質な風景が隣り合って存在している。大都市は多かれ少なかれ多様性をはらんでいるものだが、たとえば東京などは開発の速度が速すぎ古いものが消し去られた結果、時間的な差異は目立たない。横浜はさすがに東京ほど奔馬のごとき開発は行なわれていないため、場所によっては戦後間もない時代の町並みすら残っている。

 ぼくは数年前に横浜市に住んでいたので横浜の写真はよく撮っていたのだけど、一口に横浜と言ってもその市域は広く、すべてを撮りつくしたとはとても言えない。今でも時々湘南新宿ラインに乗って横浜に出かけて写真を撮る。「良い写真」が撮れるかどうかはともかくとして、横浜の街をふらふらするだけで都市を散策する喜びを感じることができる。極端に言うと横浜というのはいくつかの特色のある都市をコンパクトに1カ所にまとめたバラエティに富んだテーマパークやカタログのようにすら感じる。もちろんそれは写真を撮りに訪れたよそ者の勝手な感想に過ぎないのだが。横浜に古くから住んでいる人たちは、リアルな生活に根ざした視点で横浜を見ているのだろうが、ぼくのように足早に(あるいは自転車に乗って)通り過ぎ写真を撮っては立ち去っていく人間にとって、次々に雑誌のページをめくっていくように横浜を見ることもできるだろう。






 JR関内駅を降りるとすぐに、全国的に広く知られた商店街「イセザキモール」が続いている。駅周辺はにぎわっているのだが、商店街を歩いていくと次第に閑散としてきて、時代と隔絶したような洋品店や小間物屋などが目に付くようになる。地元の人たちがリラックスした装いで歩いたり、ベンチに腰をおろしてくつろいだりしている。買い物にやってきたというよりはただブラブラしているといった感じの人のほうが多い。

 ネット上の地域掲示板で「さびれたイセザキモールをなんとかしよう」といった趣旨のスレッドを見たことがあるが、たしかに商売繁盛しているとは言えないかもしれない。それでもぼくは横浜に来るとかならずイセザキモールを何往復かしてしまう。イセザキモールの1本裏の通りは風俗街となっておりこちらは活況のようだ。

 伊勢佐木町の隣にある福富町や長者町はキャバクラや飲食店が集まる繁華街だが、歌舞伎町などとは少々雰囲気が異なる。一言で言うと「バタ臭い」感じだ。日活映画やクレイジーケンバンドの世界観だろうか……。キャバクラというよりもキャバレーといった言葉のほうが似合いそうな、時代がかったどこかゴージャスな外観の店が見られる。夜の歌舞伎町は煌々と輝く照明の下をホストの大群が埋め尽くすといった、ある意味近未来的な異観を呈しているのだけど、福富町の夜はもっと薄暗く、昔ながらの盛り場といった感じで新宿ほどぶっ飛んではいない。まあ、ぼくはそういう盛り場を通り過ぎながら写真を撮っているだけなので実情は知る由もないが。今はどうかわからないけど、数年前に夜の福富町を歩くと聞こえてくるのは外国語ばかりだったのが印象的である。中国語、韓国語、スペイン語、東南アジア諸国の言葉を話す人たちが、それぞれに夜の盛り場で働いていた。今さらながら「ここは一体どこなんだ?」と思わされた。

 長者町のあたりには、タイレストランや東南アジアからの輸入食料雑貨店が集まっている。ちょっとしたタイ人街のようになっているようだ。そうした店の上階にはアジアサット(放送衛星)を受信するための巨大なパラボラアンテナが立てられていたり、窓から大音量のタイポップスやカラオケが鳴り響いていることもあり、タイ人たちが暮らしていることがうかがえる。






 中華街や元町商店街の先には山下埠頭の入り口があり、そこから先は海沿いにずっと港湾の風景が続いている。山下公園のそばに横浜港のシンボルとしての「横浜マリンタワー」が立っている。冒頭のコザクラインコの写真は、かつて「横浜マリンタワー」の中にあった「バードピア」という鳥類園で撮ったものである。「バードピア」はマリンタワーの2フロアを利用して来園者と鳥が直接触れ合うことのできる施設だった。意外と珍しい鳥がいたり、どこか空中庭園のようなおもむきもあってとても楽しめる場所だったのだけど、昨年に閉園したそうだ。あの鳥たちはどこに行ったのかちょっと気になる。

 本牧埠頭は深夜でもコンテナの上げ下ろし作業が続けられており、夜空をオレンジ色に染めている。岸壁には多数のダルマ船が繋留されている。横浜の市街地を流れる川にもかつてはダルマ船がいくつか繋留されていて、それらのひとつは改装されて小劇場になっていたと聞く。「横浜ボートシアター」というその水上に浮かぶ劇場は今はもうなくなってしまったと思っていたのだけど、検索すると再開の準備を進めていることがわかった。一度訪れてみたい。

 一度使われていないダルマ船の中に入ったことがあるが、ものすごい湿気と温度と塩分で5分と我慢できなかった。横浜市内の河川にはダルマ船を改装して住居として住んでいる人や、簡易宿泊所になっているところもある。

 海沿いの高速道路の高架下に廃品回収業者が住んでいる。大量の家電や日用品が何十mにもわたって積み上げられ、ぬいぐるみや人形などが飾られている。こうした業者の常だがここでも多くのネコが放し飼いにされていて繁殖しているらしく、あたりはいつも仔猫がチョロチョロしている。ほほえましいのだが、歩道には回収して解体した家電の部品や破片が散乱しているので自転車での通行はパンクしないように注意が必要だ。

 横浜の中心部から少し離れた磯子区は、ぼくにとってお気に入りの場所である。海沿いには港湾施設や精油所や工場が並んでいるが、国道16号線を越えた高台には細い道路が曲線を描いて入り組んだ古い町が広がっている。数十年前の子どものころ住んでいた町を思いおこさせるどこかなつかしい町だ。高台の上は米軍住宅地となっていて別世界なのだけど。磯子周辺は写真を撮るには面白いのでちょくちょく行きたいのだけど、とにかく坂道が多く道にも迷いやすいのでなかなか「攻める」ことができない。ぼくにとって横浜未踏の地である。国道16号線沿いのJR磯子駅とJR根岸駅の中間あたりに「浜マーケット」という名前の小さなアーケード商店街がある。戦後の闇市が形を変えながら今も残っているものらしい。一間ほどの通路の脇に食料品店や花屋などが隙間なく並んでいる。買い物客で混雑して人が通りすぎるのもやっとだがとても活気がある。





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内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/10/05 01:32
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