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写真の星──村上仁一
[2008/05/15]

アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹
[2008/04/10]


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2006年

そこから立ち上がって気分がよくなるまで写真を撮りまくるんだ!



 座右の銘というと大げさだけど、ときどき頭に思い浮かべるフレーズがある。

 Get up off a that thing and shoot till you feel better!
 (そこから立ち上がって、気分がよくなるまで写真を撮りまくるんだ!)

 これは、ジェームス・ブラウンのヒット曲”GET UP OFF THAT THING"の歌詞のもじりである。オリジナルのフレーズにはshootじゃなくてdanceとかshakeという言葉が使われている。「そこから立ち上がって、気分がよくなるまで踊りまくるんだ!」という内容らしい。もちろんぼくには歌詞が聞き取れるわけじゃないのだけど。調子良く写真が撮れない時には、このフレーズをつぶやいてみることにしている。

 週末に一晩じゅう新宿歌舞伎町をウロウロしていたのだけど、ロクな写真が撮れなかった。どうやらぼくにとって歌舞伎町という街はてごわすぎる被写体であるらしく、満足できる写真が撮れた記憶があまりない。予備のバッテリーやMicrodriveをいくつも用意してきたというのに、このまま帰宅するのも残念だ。そのとき冒頭のフレーズを思い出した。テンションの下がったときこそ、無理やりにでも写真を撮りまくって気分を盛り上げるべきではないのか? 白みはじめた空を見上げると天気予報どおりどんよりと曇ってはいたものの、天気予報なんてあてにならない。今日はじっくりと気が済むまでしつこく写真を撮ってやろうと心にきめた。

 特にあてもなく折りたたみ自転車を地下鉄東西線の始発に持ち込んで、終点の西船橋まで行ってみた。そろそろ眠けをもよおしてくる刻限で、座席でうとうとするたびに手で支えている折りたたみ自転車がひっくり返りそうになった。船橋には何があるというわけでもないけれど、なんとなく気になる街のひとつで、年に1回くらいは写真を撮りにきている。小学生のころ船橋市に住んでいたこともあって、ある種のなつかしさも感じる。写真を撮る人は誰でもそうかもしれないが、ぼくにとって街や場所というのはそこで撮った写真と結びついて記憶されている。たとえ1枚でも気に入った写真を撮った場所というのは、それ以後も繰り返し訪れたくなるものではないだろうか。ぼくはとりあえず海のほうに向かって自転車を進めた。



 西船橋と船橋の間に「海神」(かいじん)という地名がある。くわしい由来は知らないが、字面からしてかつては海沿いの漁村だったのだろうと想像させられる。東京湾沿いの他の街と同様に船橋も埋め立てや造成が進み、海沿いの土地はほとんどが工場や倉庫によって占められ海岸線は遠ざかってしまった。それらの間を縫うようにして小さな川や運河が走り、水神を祀(まつ)る小さな祠やお堂が目に付く。それらの川はかつての海が埋め立てによって幅を狭められたものの痕跡らしい。

 周辺には古びた木造に赤さびたトタン板が打ちつけられた、よく漁村で目にするような建物が立ち並んでいる。川岸の低湿地に木製の支柱を打ち込んだ上に建てられたそれらの家並みも、櫛の歯が抜けるように少しづつ取り壊され、その後には不法占拠を警告する看板と立ち入り禁止の柵が設けられている。横浜市の生麦にもここと似たような雰囲気の河岸(かし)の集落があったのだが、鶴見川の護岸工事にともなって消滅してしまった。高層マンションの建築が進む海神も、いずれは漁村の痕跡はあとかたもなくなってしまうのだろう。こうした開発は情緒がないと言ってしまえばそれまでだが、新旧の建物が混在した風景は興味深くもある。



 船橋市の海沿いの地域は、何度来ても道に迷ってしまう。運河や高速道路や鉄道によって分断されていて、自転車では思うように進むことができないせいもある。さほど広くもない場所なのだけど、くまなくチェックすることができず見落としが多い。逆に言うと何度来ても新たな発見があると言えなくもない。まだ当分楽しむことができそうだ。

 海神のさびれた漁村のようなおもむきとは裏腹に、少し離れたところにある現在の船橋漁港はとても活気があった。ぼくには実情はわからないが、東京湾内の漁港というのは一体稼動しているのかどうかわからないほど沈滞した雰囲気のところも多い。それは地方でも同様で、漁獲高や値動きによって左右される水産業というのは、つねに活況というわけにはいかないのかも知れない。



 日がのぼるにつれて快晴とは言えないまでも天気がよくなってきた。この日ぼくはD70に6GBのMicrodriveを入れていた。圧縮RAWファイルで撮影すると約1,100枚ほど撮影可能ということになる。ぼくは普段は1日に200〜300枚程度撮影する。この日はすでに500枚近く撮影していた。昨夜は一睡もしていないので疲れて眠かったが、徹夜明けに特有の高揚した気分も感じていた。少なくともぼくの場合写真を撮りまくれば気分がよくなるということは実証されたようだ。もしかしたら今日はこのテンションのまま6GB全部使い切ることになるかもしれないと思った。ただ、やけに喉が渇くのでひんぱんに水を買ってはがぶ飲みした。三脚の入ったショルダーバッグをかかえて昨夜から何時間も自転車に乗っているので、そろそろ空腹になってきた。どこかに港町ならではのおいしい食事ができるところはないだろうか。写真を撮りながら飯屋を探した。




 船橋漁港の対岸に今年の4月にオープンしたイケア(IKEA)の建物が目に入った。オープン時には多くの来店者が殺到して話題になったようだが、ぼくは何の関心も持たなかった。映画「ファイトクラブ」の主人公である若きヤッピー(これは死語だろうか?)が自室をイケアの家具で揃え、「イケア・ボーイ」というあだ名をつけられていたのだが、このエピソードからぼくはイケアというのは北欧の高級家具ブランドだと勘違いしていたのだ。実際には安価な家具や生活雑貨全般を扱う店であることを友人から教えてもらった。

 その友人の家でイケアのオープニング騒動をテレビで見ていると、そいつが「ロンドンのイケアではホットドッグとコーラのセットが200円くらいだ」と言い出した。けっしてリッチではない彼は数年前にロンドン滞在していた時、イケアに通いつめてホットドッグを食っていたのだという。家具屋なのにカフェやレストランがある、それが必要なくらい広大で多くの客が訪れるんだということだった。「コップも100円くらいだよ。フォークは50円くらいかな」と彼は言った。コップもフォークもぼくには必要ないが100円のホットドッグというのが妙に気になった。



 4時間も店内を歩いて回ったせいで腹が減ったので、待望のホットドッグとコーラを食べてから、自転車に乗ってふたたび撮影に出かけた。小学生のころ住んでいた団地に行ってみようと思った。船橋駅の北側は水田が広がりいまだに農村のおもむきを残している。台地を川が削り取ったアップダウンのはげしい地形の連続を自転車で走り抜けるのはかなり苦しかった。もうそろそろ体力的には限界に近づいてきていた。数十年ぶりに訪れる団地の周辺は、意外なほど変化が少なかった。開発が進むどころか印象としては過疎がすすんでいるようにすら見えた。団地内は人気に乏しく商店街はほとんど店を閉め通りから眺める住居は空家が目立った。日ごろ、ぼくが興味を持って撮影する過疎化した団地そのものの姿だったのだけど、自分がかつて住んでいた団地のさびれた様子は気分が索漠とするだけでまったく写真を撮る気にはなれなかった。

 帰宅する前に団地内を一周していると植え込みに大きな黒い蝶がとまっていた。カメラを近づけてフラッシュを焚いたが逃げない。そっと手を伸ばして邪魔な葉をどけても、かすかに羽を動かすだけで飛び立とうともしない。すでに弱って飛び立つ力もないのだと気づいた。なんだか、さびれた団地と蝶の姿を重ねあわせて見てしまいそうになったが、それはちょっと感傷的すぎるかもしれないと思い直した。




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内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/09/14 01:11
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