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夜光再訪━川崎



 ある晩の終電も間近となった時刻に、ふと思いたって川崎に出かけた。

乗客もまばらなJR南武線に折りたたみ自転車を持ち込み、アルコールとアンモニアの匂いがただよう車内に腰をおろした。東京近郊の鉄道路線でもとりわけひなびた雰囲気のある南武線は、深夜の川崎に向かうにはふさわしい交通手段かもしれない。JR川崎駅に着いた時は午前0時を過ぎていた。

 川崎に来るのは1年ぶりである。かつて横浜市に住んでいた一時期は、毎晩のように自転車に乗って川崎に出かけ写真を撮っていた。引っ越したせいもあるが1年以上も川崎に行っていないことに気づいて自分でも意外に思った。ぼくにとって川崎は夏の夜の印象が強い。自分が撮った川崎の写真をPCで見ていると、その大半は夏に撮られたもので撮影したときの蒸し暑さまで思い出されてきた。この季節になると気持がそわそわして夜の町に出かけたくなる。川崎に行きたくなったのはそういった季節のせいもあるのかもしれない。



 駅前で折りたたみ自転車を組み立てて、さてどっちに行こうかと考えた。川崎市はけっこう広い。ぼくが主に”攻め”ている川崎区だけでも撮影ポイントは散らばっている。人気の無い「堀の内」(風俗街)を通り抜け競輪場の横を海のほうに向かって走りながらときおり自転車を停めて、路上の小さな青い家やジニア(ヒャクニチソウ)の植え込みを撮ったりした。川崎区はおそらくかつては埋立地であった新開地である。整然と区画が定められ道路は直交する。江戸川区や江東区のような海沿いの地域と似た雰囲気だ。住宅や小さな町工場などが立ち並ぶそのような路地を走っていると、いきなり異様なモノが目に入った。ランボルギーニ・カウンタックである。無造作に駐車スペースに停められていて驚いた。なんでこんなものがここにあるのかわからないが、スーパーカーブーム世代としては、気が済むまでじっくりと何カットも撮影した。

 この夜は、ランボルギーニ・カウンタックを見たことで一気にテンションが上がり、自転車を「夜光」に向けて走らせた。川崎市川崎区夜光という場所については多くの人がご存知だろう。石油化学工場や金属精錬工場が24時間操業し燃焼塔では可燃性ガスが燃やされ夜もなお明るい。夜光の風景がリドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」にインスピレーションを与えたというエピソードはほんとうだろうか? ここに載せている写真の炎は差し渡し十数メートル以上はありそうな巨大なものだった。燃焼塔の炎は日によってその火勢がずいぶん異なる。それにしてもこの写真を撮った時は見たこともないほど激しい勢いで燃えさかっており、炎が吹き上がる時はその熱を全身に感じるほどだった。この写真を撮ったのは2年前のことだが、以来何度通ってもこれくらい巨大な炎を目にしたことはない。この夜の燃焼塔はちょろちょろと申しわけ程度の火勢だった。



 夜光から橋で運河を越えた場所にこの「アート」っぽい車が停まっている。ルーフには仏像やターミネーターから「美女と野獣」のビースト、ミュータント・ニンジャ・タートルなどが接着剤で貼り付けられている。クリックして大き目の画像で詳細をぜひご覧いただきたい。この車は2,3年前からこの場所に置かれているのだが、年々すこしづつ装飾が増えていっているようだ。きっと誰かがこの中で暮らしているのだがその姿を見たことはない。以前は車内にイヌが飼われていて不審者に向かってはげしく吠え立てるので落ち着いて写真など撮れなかったのだが、今回はイヌの姿はなかった。車のボディに新たにペイントがされているのに気づいた。

 千鳥公園には川崎港海底トンネルへの入り口があって沖合いの埋立地東扇島へと通じている。自動車専用道路であるためトンネルの入り口のスピーカーからは「川崎港海底トンネルは、自転車、徒歩では通行できません」というアナウンスが数秒間隔でヘビーローテーションされている。以前はあきらかにプロのナレーターではない、おそらく関係部署の女子職員か誰かが吹き込んだらしい素人っぽい口調のアナウンスだったのが、職業的な洗練されたアナウンスに変更されていた。千鳥公園というのは昼間でも人気のない荒れた雰囲気の場所である。深夜はいっそう不気味なのだが、その殺伐とした雰囲気にそぐわないどこかのんびりとした口調のアナウンスをぼくはひそかに愛聴していたので、変更は残念だ。いったいどんな人が吹き込んだのだろう? と想像をたくましくするほどではなかったが、深夜に撮影を終えて疲れて自転車で帰る時などに、このアナウンスを聞くとほのぼのとした気分になったものだ。



 川崎港に面した千鳥公園は、釣り人や付近の工場や埠頭で働く人くらいしか訪れない人気のない公園である。この公園には以前は木っ端で組み立てられたノラネコのシェルター(ネコが風雨を避けられるような小屋)がいくつか置かれ、誰かがネコのエサを定期的に与えていた。そのためにかなりの数のネコが繁殖しており、深夜には街灯の明りの下何匹ものネコが思い思いの場所に座ったりうずくまって集会の様相を呈していた。今回はネコもシェルターも見あたらなかったので、保健所に駆除されてしまったのかもしれない。その代わりに公衆トイレにイヌがいた。雑種の中型犬がタイルに腹ばいになって涼を取っていた。三脚を立てて写真を撮ってもチラッとこちらをうかがいはするものの吠えもしないしおびえた様子もない。おそらく捨てられたイヌだろう。千鳥公園には数人の路上生活者もいるようなので、彼らが世話をしているのかもしれない。



 この近辺の埠頭にはクズ鉄やスクラップを野積みした場所がある。埠頭内は関係者以外立ち入り禁止になっているのだが、以前はその警告も目立たず釣り人も勝手に埠頭内に立ち入っていたので、ぼくも無断で入って写真を撮っていたのだが、今ではフェンスが張りめぐらされ監視カメラが設置され頻繁に警備の車がパトロールしている。もうとても入れそうにない。この写真は以前に撮ったものである。



 末広運河の奥まったところに無数の船が係留されている。いわゆるダルマ船と呼ばれる艀舟にクレーンやさまざまな重機がとりつけられたものや「警戒船」と大書された船や小型の船舶が海面を覆いつくす様がすさまじい。それらの船がいったい何の作業に使われるものかよくわからないのだけど、これだけ密集していると係留された場所から移動することなど不可能ではないかと思わされる。ところが、何度かこの運河に通いつめていると意外なほど頻繁にそれらの船は移動していることに気づかされる。まるでパズルのようだ。

 暗がりのダルマ船上に三脚を立てて長時間露光で撮影してみたが、難しかった。この場所を撮るのは難しくまだちゃんとした作品は作れていない。ダルマ船自体が海に浮かんでいるので常にかすかに揺れているせいだ。夜間撮影やスティッチング(パノラマ撮影された複数のカットをつなぎ合わせて一枚の写真を完成させる手法)などは不可能に近い。また頻繁に船の位置が変わるためお気に入りの構図を見いだし難いということもある。



 1年ぶりに夜光を訪れて印象深かったのはその独特の光である。この日は曇り空ということもあって、低く垂れこめた雲に地上の光が反射してぼんやりと色づいていた。夜光では一晩中多くの照明が灯され、作業が行われている。操車場ではスタジアムのように巨大な水銀灯で照らされ、道路はナトリウムライトやタングステンライトや蛍光灯などさまざまな光に満ちている。工場も多数のライトが灯され、何よりも燃焼塔の炎の光がゆらめき輝いている。それら全ての光が混ぜ合わされ変化しつつ空の色を独特の色に染め上げている。厳密にコントロールされた写真を撮ろうとするなら、これくらい条件の悪い光源もないだろうが、ぼく自身はこの光にはワクワクと気持がかきたてられる。

 写真には関係ないかもしれないけど、夜光の“音”も気になる。一晩中操業している工場が低いうなるような音を上げつづけている。けっして大きい音ではなく、むしろ夜の工場地帯は静かといっていいくらいなのだけど、他の街とは違った音響空間であると感じる。どこか遠くのほうから巨大な金属がぶつかりあうような音がかすかに響いてきたり、言葉の内容は聞き取れないけれど拡声器で何事かを伝える人の声が聞こえてくる。ごくまれにブザーやアラームが短く鳴ってまた沈黙する。運河ではピチャピチャと波の音が立つ。写真には音は写らないけれど、写真を撮る人の気持にはずいぶんと音は働きかけているのではないかという気がする。

 夜光にかぎらず夜の街を写真を撮りながら歩いていると、この光は写真には写らないなあ、と思うことがある。こう言ってしまうと、写真家としては敗北の言葉なのかもしれないけど、写真に写らないものはいっぱいある。具体的に言うなら、奥行きを持った3次元の空間や、音響や、変化しつづける光や色調などがあげられるだろう。でも、ぼくは写真に写らないものはがんばって写さなくてもいいんじゃないか、と思わなくもない。人影のない夜光の路上を自転車に乗ってうろつくだけでも、ある満足を感じる。

 時々思うのだけど、夜光の“ぐっとくる場所”を写真に記録するのではなく、誰かを連れて来て案内しながら「どう? ここ、いいでしょ?」という風に示して歩いてみたい。眼で見るだけで記録しない作品というのも可能性としてはありうるんじゃないか、と思うのだ。




内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/07/20 00:50
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