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第7回 田村俊介
「Web写真界隈の人たちがイラクに行ったら
きっと面白い写真を撮るんじゃないかな」


「LANDSCAPER」より

田村俊介
1980年 東京生まれ
2002年 日本写真芸術専門学校卒業

2001年 コニカ フォト・プレミオ写真展「RUN ACROSS」(特別賞)コニカプラザ
2004年 フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」、「父さん そのジャージ、僕のです。」ガーディアン・ガーデン
2004年 ニコンサロンJuna21「LANDSCAPER」ニコンサロン(東京・大阪)
2004年 第23回写真ひとつぼ展入選「dolls」ガーディアン・ガーデン

コレクション 清里フォトアートミュージアム(2001、2003、2004)

「TAMURA'S PHOTOS」
http://homepage.mac.com/shunsuketamura/

※特記したもの以外、文中の写真はすべて田村俊介氏の撮影による作品です。


田村俊介さん(撮影:内原恭彦)
田村さんのサイト「TAMURA'S PHOTOS」

--田村さんはある意味もっとも「Web写真界隈」的な人だと思うんですよ。Webを通り一遍ではない独自の使い方をしているという点で……

田村 Web写真界隈ってそこに属している人と属していない人という風に分かれるんですか?

--いや、Web写真界隈という団体があるわけじゃないんで、属しているとか属していないとかっていうことはないですよ。でもこの連載に登場することによって「田村はWeb写真界隈の一員だ」って思われてしまうかもしれませんね。迷惑でしたか?(笑)

田村 どう思われようが気にしていないので、まったく構いません。

--田村さんはWebに限らずギャラリーでの展覧会も行なっていますが、特に2004年には「父さん、そのジャージ 僕のです。」(ガーディアン・ガーデン)、「LANDSCAPER」(新宿ニコンサロン)、「dolls」(ガーディアン・ガーデン)と3回も行なっています。はたから見ていても矢継ぎ早に精力的にやっている印象を受けたんですけど、それはなんか理由があったんでしょうか?

田村 そのころ、キリンアートアワード(新人発掘を目的とした現代美術の公募展)という展覧会を見て、とても感銘を受けたんですね。とにかくアイデアに満ち溢れているし面白い。冗談抜きで展示会場で土下座しました。これまで自分が発表してきた写真は、これにくらべると過去のものだと感じました。はたして写真でこれくらい面白いことってできるのかと、自問しました。マジで写真やめようかとすら思った。だからといって現代美術をやろうとは思いませんでした。でも何か、これまでとは違ったことをやりたい。そのために、ひとまず自分の持っている写真のアイデアを全部放出してしまおうと思ったのです。

--個人的には、そんなに現代美術が面白いとは思わないけど、それは置いといて、田村さんの展覧会は1回ごとにまったく異なるコンセプトで作品を作っていますね。そういったアイデアというかコンセプトを常に暖めているんでしょうか?

田村 アイデアは常時10個ぐらいあるのかな? 寝ていてふっと思いつくものがあったり、でもそれをいちいちメモするわけでもなく忘れてしまったり。

--「DIGITAL PAPAS」という作品は、ぼくは田村さんの代表作だと思いますが、この作品について説明してください。

田村 2003年に定年退職した父と団地で二人暮しをしていたのですが、毎日デジタルカメラで父の写真を撮って、ほぼ毎日Webに1枚づつアップしたものです。今年の2月に父が亡くなるまで、2年半続けました。


「DIGITAL PAPAS」より

--お父さんは写真を撮られていることは知っていても、Webに自分の写真がアップされているとは知らなかったんですよね。

田村 そうですね。(作品として)撮られているということを意識させたくなかったということもあるけど、知らないで毎日アップされてるっていう方が面白いので。

--お父さんを撮ろうと思ったきっかけは?

田村 退職してからは、毎日ビールを飲んで部屋でうたた寝しているんですよ。ぼくが仕事場に出かける前も帰ってきてからもほぼ変化がなくて、この光景を写真に撮りつづけたら同じ写真が延々と続いて面白いんじゃないか、などと思ったのもきっかけのひとつでしょうか

--もしそうなれば、一種のミニマルアートですね。

田村 一見変化の無い日常も撮りつづけてみると、それなりに変化があるということが、数年分を通して見てみるとわかります。それは毎日記録していかないと見えない変化だと思います。

 もうひとつのきっかけとしては、自分にしかできない作品を作ろうと思ったことです。あたりまえのことですが、親父を毎日撮れるのはぼくだけですから。毎日写真を撮ってそれをリアルタイムで呈示していくということはWebでしかできません。そういった意味では、この作品はWebという媒体の必然性に根ざしたものだと思います。

--「DIGITAL PAPAS」が面白いのは、お父さんのキャラクターによるところも大きいですね。現実には会ったことはないけれど、Webで毎日見ているから他人という感じはしないし、時々田村さんが日記などで親父さんのエピソードや言動をぽろっと書くわけで、なんとなく知っている人のような気もする。でもほんとうはどういう人かはわからない。「DIGITAL PAPAS」を見ていた人の多くは、みなそういった曖昧で不思議な関係をお父さんと結んでいたんじゃないでしょうか。

田村 「DIGITAL PAPAS」の更新が2、3日途切れると、安否を気遣うメールが送られてきたりもしましたね。



--ただ、すべての人が肯定的に見てくれるとはかぎりませんよね。ぼくの知り合いの女の子は「DIGITAL PAPAS」は無残な感じがすると言っていました。初老といっていい年齢のお父さんが、裸で入浴している写真なんかがあるからでしょうか。ぼくはそういった感想は持ちませんが、写真に対してはほんとうに人それぞれさまざまな見方や感想があるものですね。

田村 写真とは関係のない仕事をしている高校時代の友人を、LOGOS(渋谷パルコにある美術書や写真集専門の本屋)に連れて行って、いろんな写真集を見せたことがあります。写真をやっていない人は、写真を見てどういう風に感じるのか知りたかったのです。

 ところが、写真集を何冊も見ながらいろいろ聞いてみたのですが、一向に彼の好きな傾向すら見えてこない。ぼくにとっては主題みたいなものが判りやすいと思う写真集でも、それの面白さがわからないと言う。ダイアン・アーバスの写真集を1冊丸々見ても、それがフリークスを被写体にしていることにすら気がつかなかった。

 ぼくが作品を作る大きな目的のひとつは、他人に見せること、そして何らかのリアクションを引き起こすことにあります。それまで、わかりやすい作品を作れば、写真をやっていない人の興味を引くことはできると思っていたのだけど、実際のところ、思っていた以上に写真というのは理解されにくいんだ、と実感しました。ぼくの友人がそうであるように、一般の人が写真や作品を見て理解できなかったり、何の興味も持たないということにはいろいろな理由があると思います。

 ひとつは「作品」ということで身構えてしまったり、先入観を持って見るからではないかと思います。偏見の無い「澄んだ目」で見れば表現としての写真も理解できるはずだと思うのですが……。

 もうひとつの理由は、作者の側が、最初から一部の人間にしかわからなくてよい、あるいはわざとわかりにくいものを作っているという、そういう作品もあると思います。特に写真の世界は、写真をやっている者にしかわからない構図のわずかな違いや微妙なトーンなどによって「いい写真」とそうでないものが分けられてしまい、それをごく狭い世界の中でありがたがる風潮といった毒々しさがありますね。

--田村さんのWeb上での作品についてお聞きしたいと思います。特に印象的なのは「ぷるぷる立体画像」ですね。

田村 わずかに視点をずらして撮影した複数枚の写真を、高速で交互に表示しているGIFアニメーションです。視差によって人間が立体感を感じる仕組みを利用しているのだと思います。このアイデアはWeekly Teinou 蜂 Woman( http://homepage3.nifty.com/wtbw/ 面白い写真サイトなどを紹介するネタ系サイト)経由で知りました。GIFアニメというのは昔からある手法で、とくにエロサイトのバナーなんかによく使われてましたよね。今ではFLASHが主流ですけど、そういったなつかしくて古くさい手法で面白いものを作ってみたかったのです。


「ぷるぷる立体画像」

--QTVRも作られていますね。

田村 QTVRもWebでしか成立しない表現ですよね。Webをやる以上、Webでしかできないことをやろうと思いました。たとえば風景なんかを撮る時、その場を全部丸ごと撮りたいという欲求は、よくあることじゃないでしょうか。写真を見るときにしても、フレームの外も見てみたいというような欲求。QTVRはフレームの外もずるっと引っ張って来て見る事ができたり、ズームしたりすることもできます。「ドラえもん」に登場した道具で「お好みフォトプリンター」というのがあって、それを使えば1枚の写真をどのようなアングルからでも覗き込んだりズームしたりすることができるのです。たとえば下から覗けばしずかちゃんのパンチラを見る事ができたり……。これは、写真撮影というのは実はひとつの世界を丸ごと記録している、というような壮大な虚構なんですが、どこか人の写真に対する欲求に根ざしたところがあると思います。QTVRの面白さもそういうところにある気がします。

--ギャラリーページに「つまらない写真」という分類項目がありますよね(笑)。これはどういう意図なんでしょうか?

田村 その名のとおり、つまらない写真、あるいは面白くはない写真ということですね。2003年ごろから、デジタルカメラで身のまわりをノーファインダーっぽく撮ってWebにアップする人たちがけっこう出てきたんですが、それらの写真がとてもつまらなかったんですね。友人の写真家にそういった写真サイトを見せてみると、Webをやっていないその人は「どれも同じじゃねえか!」としきりに言ってました。ぼくはそういったWeb写真はつまらないし、同じに見えるんだけど、ひとつの時代の傾向を示すものではあると思って、試しに自分もやってみることにしてみたんです。しかしどうやってみてもつまらない写真はつまらないんです。だからぼくはそれとは違った作品を作ろうと思って、いろいろやっているわけです。もちろん毎日写真は撮っていて、つまらない写真が撮れたらそこに載せています。

--「面白い」とか「つまらない」という感覚は人によってかなり違いますよね。

田村 もちろんその通りです。写真を撮る時にそういった感覚が問われ、それはとても重要な事だと思います。たとえば直方平ひろとさん( http://www.interq.or.jp/neptune/oan88/ 「峠の茶屋」実験室)ているじゃないですか。あの人は国分寺近辺の路上の塀や道路わきの電柱のようなものを、延々と撮りつづけてますよね。ぼくたちは見馴れたものだから面白くは感じないけれど、あれは外国人が見たらきっと面白いと思うんです。


--なるほど。

田村 あるいは直片平さんがインドかどっかの町に行って、同じように道路の脇ばかり撮ってWebにアップすれば、きっと面白いと思いますし、ありがちな風景写真にはならないはずです。Web写真界隈の人たちがイラクに行くと、報道写真よりも面白い写真が撮れると思うし、むしろそれがほんとうの報道写真と言えるんじゃないでしょうか?

 Web写真界隈の人たちって夜中に路上を歩いて落ちているモノを撮ったりしてますけど、ああいう写真は50年後に見れば面白く感じると思います。

--そうですね、逆に50年前にそういうことをやった写真があれば、それはきっと面白いでしょうね。まあぼくが撮っているような川原や畑や地面の写真なんかは、100年経っても変わんないでしょうけど。

田村 ぼくがこれまで見た中で一番面白いと思った写真は、自分の両親が若いころの写真ですね。両親はどちらも他界してしまったのですが、センチメンタリズムで言うのではなく、全部を残しておきたい、すべてを記憶しておきたいという気持があって、それは写真の本質にもつながっているんじゃないでしょうか。





内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/05/25 01:18
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