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[2008/04/10]


2007年

2006年

第5回 大西みつぐ
「下町というボーダー(境界)の無い場所に生まれ育って」


「路上の温度計」より 2006 ニコン D200

 ぼくは写真に関心を持つようになったのが遅かったせいもあって、他の写真家、特に長いキャリアを持つ人たちの過去の仕事をあまり知らない。過去の写真展などはリアルタイムで見ていないかぎりそれっきりだからである。「Webで作品を発表してくれていれば、今でも見ることができるのに……」とも思うけど仕方がない。

 だから残念ながらぼくは大西みつぐさんの展覧会や作品のごく一部しか知らないのだが、そのわずかな経験からも「大西さんは他の写真家とちょっと違うぞ」という“匂い”のようなものを感じていた。

 個人的な話だが、墨田区京島というおそらく東京でもっとも古い町並みを偶然発見して夢中で通いつめて写真を撮っていたころ、その京島の一軒屋で大西さんが写真展を行なった。展示も面白かったが、なによりも京島という町で写真展をやってしまうという発想にやられた。こういうのをほんとうにコンセプチュアルって言うんじゃないかと思った。デジタルカメラに関しても声高にその革新性を唱えはしないが、ごく自然に使いこなしていることに共感した。こういっては何だが、どこか自分と似た匂いを感じていたのかもしれない。

 大西さんは自分のWebを持ち、写真や文章を頻繁に更新している。ぼくはそれを愛読している。そこではいっさいの衒(てら)いや大仰さのない、淡々とした日常の言葉で身の回りの出来事が語られているばかりだが、あまりにあたり前すぎて、かえって誰にも語れないような鋭い批評となっている気がする。

大西みつぐ
1952年 東京都深川生まれ
1974年 東京綜合写真専門学校 卒業
1978年 「第1回 東京ビデオフェスティバル」入賞
1985年 「河口の町」で「第22回 太陽賞」受賞
1993年 「遠い夏」、「周縁の町から」他で「第18回 木村伊兵衛写真賞」受賞
個展、グループ展多数。
東京綜合写真専門学校、武蔵野美術大学講師

「Wonderland0505」
http://www8.plala.or.jp/newcoast/

※特記したもの以外、文中の写真はすべて大西みつぐ氏の撮影による作品です。


大西みつぐ氏(撮影:内原恭彦) 大西氏のサイト「Wonderland0505」

--「下町純情カメラ」という著作もある大西さんは「下町」という言葉を冠されて語られる事が多いのですが、一言で言うと「下町」とはなんでしょう?

大西 そういう質問の仕方、よく新聞記者とかがするんだよね。「一言で言って」ったって言えるわけないよ(笑)。

-- すみません(笑)

大西 下町というのはなによりも、自分が生まれ育った場所ということが大きいですね。ぼくが生まれ育った深川というのは、江戸時代から歴史的に「無宿人」と呼ばれるような労働者が流れ着く場所で、ぼくが子どものころ住んでいたのも「ドヤ街」と呼ばれるような労働者の簡易宿泊所が立ち並ぶ街の一画だった。そこはぼくの父親がそうであるように、戦災にあって流れ着いた労働者が、昭和30~40年代の高度経済成長期にともなう建築ラッシュによってその数をふくれあがらせていたんですね。

 ぼくの幼児体験も、長屋の窓から外の通りを眺めると着飾った色っぽい「お姉さん」たちが歩いていたり、木刀でケンカして血を流している人がいたりといった強烈なものだった。つまり雑多な人々のバイタリティやエネルギーにあふれる街だったんだよ。それは深川の一部だったんだけど、そこがぼくのスタートの地点だと思う。それらは70年安保の時代以降、面影を無くしていったんだけどね。

-- なぜ「下町」について質問したかというと、大西さんの写真はいわゆるよくありがちな「下町趣味」とは全然違うと思うからです。人情とやさしさに満ちた古きよき下町情緒をテーマとした「下町写真」を撮る人は多いのですが、そういった写真はまったく面白くないしリアルじゃないんですね。

 大西さんは下町も撮りますが、それ以外に港町も撮るし北関東のさびれた街も撮るし、お台場のようなごく最近作られた人工的なショッピングモールも撮ってしまうわけです。つまり下町というキーワードだけで単純にくくってしまえないと思います。にもかかわらず下町という場所が大西さんにとってとても重要であることは間違いないということが再確認できました。


大西 江戸下町趣味ではないんです。そもそも下町というのはいろんな人やモノが流れ着いてできた場所なので、ひとつの価値観や趣味でくくられるものではない。一見矛盾するようなさまざまなものが、泥臭くせめぎあっている場所としての下町がおもしろいんです。


-- 大西さん独特の「場所感覚」のようなものに興味があります。たとえば銭湯や旧家の土蔵で写真展をやったり、路上で写真を撮りながら立ち食いをしたり、といったような。ぼくたちは知らず知らずのうちに、屋内、屋外というふうに区別したり、展覧会をやる場所といえばギャラリーや美術館といった閉じた場所を当然と考えたりしがちなんですが、大西さんにとって場所というのは境界によって区別されないものなんじゃないでしょうか?

大西 ぼくが小さいころの下町なんて特にそうだけど、路上は煮炊きする調理の場であり、子どもたちの遊び場であり、町内の人が気軽におたがいの家を行き来したりといったボーダー(境界)のない世界でしたね。浅草の花やしきの上のほうに上って見下ろすと、遊園地と住居が混じり合うように建ち並んで、どこからどこまでが遊園地なのかもわからない景色が広がっているんだけど、ああいうのが面白いね。

 展覧会に関して言うと、ぼくの最初の展示って、深川の縁日でお寺の参道でやったのが最初なんだよ。木彫りをやっている人が参道のわきにアトリエを構えていたんだけど、その人にお願いして縁日の1日だけぼくの写真を展示させてもらったことがあります。

 2002年に京島の民家を借りて展覧会をやった時は、近所の住人が見に来たり写真を持ってきてくれたりした。アサヒグラフかなんかに載っていた京島を撮った写真の切り抜きを、自分たちが住んでいる町の写真ということで持ってきて、ほれこんな写真もあるよ、って見せに来てくれるんだよ。

 北千住の銭湯で展覧会をやった時は、昔千住にあった「お化け煙突」(東京電力千住火力発電所の4本の煙突が、眺める位置によって1本から4本まで見え方を変えたことを言う)というのを撮った写真を近所の人が持ってきてくれたりしたんだけど、それがまたいいんだよね。そういった「ご当地写真展」をやってますね。


「はるか北千住」より 2004 ニコン D70

-- ぼくも京島の写真展は見に行きました。大西さんがこういう「ご当地写真展」を、美術館やギャラリー以外の場所で行なわれているのはなぜなんですか?

大西 ぼくは東京の東側に生まれ育って、そこで生活し写真を撮ったりしているわけだけど、そういう風にかかわっている以上、その地域や町に写真家としての責任があると思うんです。勝手に写真を撮っておしまいというのではなくて、写真によって何かをお返ししたい。それは端的に言うと、学生や写真家以外の人々に「写真を発見してもらいたい」ということです。

 銭湯で写真展をやると近所の人たちがお風呂に入りに来て、展示している写真にも目を向けるんだけど「上手いねえ」なんて誰も言いませんよ。それより「へー、こんなものも撮るんだ」って言うね。こんなものも撮っていいんだ、これも写真なんだ、というのが「写真を発見する」ということでもあると思うんだよ。

 もうひとつの理由としては、真白に塗られたホワイトキューブ的なギャラリーへの抵抗ということもあります。ある時期から「作品」あるいは「現代美術」として写真が扱われはじめ、そういったギャラリーが出て来た。そういうギャラリーに足を運んだ時、ギャラリストが「作家さん」と言うのを耳にしてすごい違和感を感じたわけ。「作家さん」てヘンな言葉だよね(笑)。

 そういった制度としての美術の世界も否定はしないけど、しょせん狭い世界だと思う。ぼくはもっと違った「層」を獲得したいと思ってる。「作家さん」なんて呼ばれるような連中はもちろんのこと、学生や写真家とも違った、それ以外の匿名の人々とかかわりたい。


-- 人とのかかわりということでいうと、ネット上の交流というのはいかがでしょうか? 大西さんは早くからWebサイトを作られていて、頻繁に更新しています。

大西 ぼくはWebサイトを始めたのは早かったよ。確か1997年ごろには自分で苦心してHTML書いてたもの。そのころは写真を載せなくてもいいから、とにかくメッセージを発信したいという気持があったな。今ではもう自分で一からHTMLを手書きするつもりはなくて、Web作成ソフトのテンプレートを利用して手軽に作って更新するようにしてますけどね。

 ネット上での交流というのは、可能性は感じるけど、匿名掲示板なんかでの悪口とかプライバシーにかかわる書き込みを初めてされた時は、寝耳に水で嫌な感じだったな。こういう発言をするとまたなんか書かれそうだけど(笑) 今はもう平気になったけど、ネット特有の匿名性をかさに着て言葉が暴走する感じはこわいというかうっとうしさを感じたな。

 mixiもやってるけど、あれはわけがわかんないね(笑)。田中長徳さん経由ですごくいっぱい人が来るけど……。

-- 大西さんが主宰されている「町方さんぽ写真同盟」という活動は、上手くBBSを利用してやっている感じがしますけど。

大西 町方さんぽ写真同盟というのは別にさだまった団体というわけでもないし、ワークショップのように定期的になにかやっているわけでもない。各自が自由にゆるくつながっているだけで、入れ替わりもあるしね。そういった関係はWeb上のリンク集やBBSによるやり取りといった形態にふさわしいのかもね。


「PARIS ROMA DIGITAL SKIPS」より 2005 ニコン COOLPIX5000

-- 若い写真家にとってWebが自分の写真を発表する大きな手段のひとつとなっていて、Webサイトの数もどんどん増えているのですが、そういったWebサイトをご覧になりますか?

大西 ある程度は見ているけど、そもそもあらゆるWebサイトをくまなく見ることなんてできないし、今言ったように次々と登場してくるものを全部目を通しているとは言えないね。

-- この連載のタイトルでもある「Web写真界隈」という言葉は、ひとつひとつのサイトはさておき、非常に多数の写真サイトの総体が持つ、テイストというか時代的な雰囲気のようなものがあるのではないか、ということなんですね。かならずしも全部の写真サイトを見なくとも感じ取られるような、今の写真サイトの特徴みたいなものはありませんか?

大西 うーん……みんな字が小さいね(笑) なんでどれもこれも字が小さいんだろう? 見た目のデザインに凝っているんだろうけど、読みづらいだけだよ。ただ、若い人と場を共有したい気持はありますよ。昔から金にもならないのにダラダラと写真をやっている感じは嫌いじゃないので、そういった雰囲気がWebにあるのはいい事だと思う。

-- 大西さんはデジタルカメラを使うことにまったく身構えるところがなく、自然体で接していることがその写真から感じられるのですが、デジタルカメラというのは大西さんにとって数多い写真を写す道具のひとつにすぎないのではないでしょうか?

大西 そうだね。ぼくはピンホールカメラもポラロイドも645も、もちろん35mmも使ってきたからね。さらにさかのぼるとぼくは、70年代はビデオ作品を作っていたからね。知らなかったでしょう?(笑)


-- それは知りませんでした(笑)

大西 ぼくは東京綜合写真専門学校を卒業したあと助手として働いていたんだけど、当時多摩美出身の中島興さんという映像作家が「幻想」という実験映画を作る授業をやっていてそれの手伝いをしてたんです。「幻想」っていう名前がすごいでしょ(笑)。

 でも、これはいい授業だったんだよ。当時はハーフインチのオープンリールのビデオテープを使ってパフォーマンス的な作品を作っていたんだけど、とてもおもしろかった。写真と映像を融合させようなどとは考えていなくてビデオはビデオとしての独自のおもしろさがあって夢中になっていた。

 その後ぼくは太陽賞を受賞したんだけど、その賞金をつぎこんでSONYの8mmビデオやディジタイザや編集機などシステム一式そろえて作品を作ってた。ただ、世間的にだんだんビデオカメラが普及してきて、子どもの運動会なんかに行くとお父さんがみんなビデオカメラ構えて撮影しているのを見て、かえってだんだん熱が冷めてきちゃったんだよ。

 そのあと一時、MSXという8bit PCを使ってBASICのプログラムで絵を描いたりしてた。だからPC自体にはまったく抵抗はないね。

 最初に使ったデジタルカメラはAppleのQuickTake 100( http://www.ipm.jp/ipmj/day/day19/day.html )。雑誌のモニターに応募して当てた。このデジカメはフラットなデザインでかっこよかったねえ。VGA(640×480ピクセル)くらいで16枚くらいしか撮れなかった。当時、誌上で田中長徳さんと「デジタル対決」と銘打って、QuickTakeを使ってスナップ写真を撮ったんだけど、長徳さんに「まるで8×10みたいだね。1枚1枚ていねいに撮らないといけないから」なんて言われた。もっと言うと、デジタルじゃないんだけどキヤノンが出してた「Q-PIC」という電子スチルカメラも使ってたんだよ。フロッピーディスクに記録するやつ。これを使って写真の展覧会をやったこともあるよ。

 その後はデジタルカメラの普及にともなっていろいろな機種を使ってきたけど、一番使い込んだのはニコンのCOOLPIXシリーズかな。今はD200も使ってはいるけど、どちらかというとデジタルカメラはコンパクトのほうがおもしろいね。


「日々のつぶやき」より 1994年 (アップル QuickTake 100)

-- デジタルと銀塩の対立というのがそもそも意味をなさないくらい、道具(ツール)に関してボーダーレスですね。好奇心がおもむくまま自由にどんなものでも使ってしまうというところに、とても共感します。写真に対する型にはまらない接し方というのは、展覧会のやり方なんかにも通じるところがありますね。そういう大西さんにあえて愚問と承知の上でお聞きしたいのですが、大西さんにとってデジタル写真ってどういうものですか?

大西 デジタル写真というか、モニターディスプレイは好きだね。発光体としてのモニターそのものが。だいたいぼくはビデオをやっていたし、ネオンも好きだし、スライドショウも好きなんだよね。どれもこれも発光するものでしょ。そういったものが好きなんだと思う。

-- プリントとモニターディスプレイで見る写真のどちらが好きですか?

大西 ぼくはプリントよりもモニターディスプレイのほうが好きです。

-- そこまではっきりと断言する人にはじめてお目にかかりました。

大西 ぼくもこういう質問されたのは初めてだよ(笑)。

-- 6月に墨田区の倉庫でおこなわれる「墨東写真」という写真のグループ展について教えてください。

大西 東京の東側をこれまでよく撮ってきた写真家たち(長野重一さん、故春日昌昭さん、須田一政さん、飯田鉄さん、中里和人さん、兼平雄樹さん、佐藤信太郎さん)によるグループ展なんですが、期間中にはさまざまな催しものも行なうイベントです。今日もここに来る前に両国の相撲甚句(力士によって唄い継がれてきた、哀愁ある独特の節回しの唄)の会にうかがって、今度のイベントへの出演依頼のお願いをしてきたんだよ。このあとは深川の材木屋さんにいって展示スペースの施工用の素材を見に行かなきゃいけない。

 主催はあるNPOで企業からの協賛もあるのだけど、ほとんど手弁当でやってます。自分で動かないと誰もやってくれないからね。自分の手作りでこういうイベントをやるのは、ひとつは写真の地位を向上させたいという気持もあるし、最初に言ったように地域になにか恩返ししたいという気持もある。まあ、自分が面白いからやっているということもあるし、こういう町内会的な人とのかかわりが、ぼくにとって安住の場所なのかもしれないね。


「近所論・鳥類園にて」より 2005 ニコン COOLPIX S1

※次回は川鍋はるなさんが登場します。




内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/05/11 00:28
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