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第4回 滝口浩史
「『狭間』という写真はひとつの使命を終えたとはいえるけど、
でも撮り続けるしかない、と思っています」



 2004年度の写真新世紀で荒木経惟選によって受賞した滝口浩史さんの「狭間」という2枚組の写真を見た人は、きっと忘れがたい強い印象を受けたことだろう。そこに写っているのは危篤の病床にある母と娘の、最後の別れの光景である。その2日後に母親はこの世を去り、後に娘はその写真を撮った恋人と結婚し、その写真の撮影者である滝口さんは写真家となった。

 この2枚の写真には、生と死、涙と笑顔、別離と抱擁という相反する要素が緊密に組み合わさりつつ、まるで映画における2つのカットのように劇的な瞬間を感じさせる。ぼくはこの写真を見て、痛切さを感じつつも作品としての巧みさに舌を巻いた。この写真の選者である荒木経惟がそうであるように、写真の力を最大限に発揮したもっとも写真的といいうる作品であると思った。

 ただ、ぼくにとっては滝口さんの写真はあまりにも純粋で求道的に感じられ、どこか縁遠いものであったのも事実だ。そのような感想が変わったのは、滝口さんのWebサイト「猫のつめとぎ」http://www.k4.dion.ne.jp/~ponta-ko/date/を見てからだった。毎日アップされるデジタルカメラによるスナップ写真は、型にはまらない自由な魅力にあふれている。

滝口浩史
1977年生まれ
ニューヨーク大学映画学科短期留学
東京芸術大学デザイン科卒業
2001年 「グループ現代主催 映像公募」大賞受賞
2003年 Tokyo Wonder Wall入選
2004年 キヤノン写真新世紀年間準グランプリ受賞
2005年 東京都写真美術館にて個展「つづれおり」開催

ホームページ「猫のつめとぎ」
http://www.k4.dion.ne.jp/~ponta-ko/

※特記したもの以外、文中の写真はすべて滝口氏の撮影による作品です。


滝口氏のサイト「猫のつめとぎ」 滝口浩史氏(撮影:内原恭彦)

--「狭間」を撮った時は、まだ滝口さんは写真家というわけではなかったんですよね? どのような経歴なんですか?

滝口 芸大を卒業してから映像制作の会社で働いていたんですけど、過労で倒れてしまって、こういう仕事を一生続けることはできないと思い、モノを作りつづけるのなら作家として絵画や映像を作っていきたいと思いました。そのころは写真をもとに絵を描いて展覧会などで発表していましたのですが、結婚する前の妻にカメラを借りて、あくまでも絵の素材として写真を撮り始めました。

 それらの写真はまったく作品という意識は無かったし、むしろ作品として成立するような写真をもとに絵を描いても面白くならないんです。写真としてのかかわりはこのように始まりました。

--昨年の個展ではキャンバスにアクリル絵具で描いたまったくの絵画作品も発表していましたが、絵画と写真にはどういう関係があるのでしょうか?

滝口 最初に言ったように、もともと絵を描く素材として写真を撮ることから始めたのです。そのころ現代美術の世界でよく行なわれていた写真を元に絵を描くという方法に影響されたということもあります。たとえば風景をそのまま絵に描くのではなく、写真に撮ってワンクッションを置いて、その写真を見ながら絵を描く。そうすることでどこか思いがけないズレのようなものが入り込んでくる。当時「写真から絵に」という二人展を行なったのですが、それは自分が撮った写真を相手が絵に描き、相手が撮った写真をもとに自分が絵を描くという一種のコラボレーションでした。

 今も絵は描きつづけているのですが、最近では自分が撮った写真を元に描くことはしません。なぜなら写真として面白いものをもとに絵を描いても面白くならないんです。むしろ失敗した写真を絵にしたほうが面白いものができます。

--滝口さんの写真は「映像的」な感じがします。「狭間」の2枚の写真も、極端に言えば2カットのアニメーションとも言えるのではないかと思いました。写真と映像の関係についてどう考えていますか?

滝口 ぼくの作品が「映像的」というのはよく言われることですね。今巡回展を行なっている個展「つづれおり」では、古い写真をもとにAdobe AfterEffectsで作った映像作品も上映しています。写真でも映像でもないような作品を作りたかったのです。「映像的」な写真というのは、写真としての弱さにつながるおそれもあります。個展を見てくれたアラーキーにも「組み作品に頼りすぎている」と指摘されました。

 逆に、写真家が映像の世界に行くという世の風潮は、なんかイヤですね。ぼく自身は映像を作るとき、昔いた場所にもどるような気持でやっています。写真を経由することで映像の質を高めるという役割を果たすのでなければ、映像を作る意味はないと思います。


--滝口さんの写真は人物を被写体にしたものが多いですが、それはなぜですか?

滝口 人というのは変化をするので、そこに興味を感じます。撮る側も人間ですから内面は変化するし、撮られる側も変化するし、人間関係も変化します。同じ人間が変化する瞬間を発見するのが興味深いので人間を撮っているのだと思います。たとえば、自分の家族に生じる変化というのが写真を撮るひとつのきっかけとなっています。それは死であったり誕生であったり結婚なども大きな変化ですね。

 ただし、家族というのはとてもプライベートなもので本来は外部からはうかがえない領域です。それをあばきたてたり、あからさまに見せることで、ショッキングな写真を撮るのはむしろ安易なことだと思います。たとえば出産の光景を血とともに写真に撮るというようなことは、ぼくはしたくない。

--家族の方が滝口さんの作品を見るとどのような感想を持たれるのでしょうか?

滝口 「狭間」という作品をぼくの祖父母が見たとき、涙しながら自分たちよりも若くして亡くなった義母の命について語り合っていました。その時、90歳近い祖父母たちの写真を撮りながら、なんだか生命の不確かさのようなものを感じて不思議な気持になりました。また、祖父母たちが若いころの自分たちの写真を見ながら「あの人は死んだ、この人はどうしたかね~」という風に淡々と話し合っているのを見ていると、自分とは異なる死生観にある種のズレを感じて、祖父母をテーマにした作品を作りたいという欲求が生じました。

--作品に対する家族の反応が、新たな作品を作る動機に結びついたわけですね。それが今巡回展示されている「つづれおり」となったわけですが、それについて説明してください。

滝口 現在の祖父母の写真と、戦時中に20代だった祖父母が迫り来る死に直面していたころの写真を、再撮影して映像化したものをあわせて展示しています。当時の祖父母を、映像によって追体験するものが作りたかった。ところがこの映像を見ても、祖父母たちは特に反応を示さなかったのです。これも思いがけないことだったのですが、この映像作品はやはり、ぼくの幻影の中で作り出された作品だったのかもしれないと思いました。



--滝口さんはネットやWebをいつから始めたのですか?

滝口 ネット自体は2、3年前から始めました。自分のWebサイトを作り始めたのは3カ月ほど前からです。

--奥さんはWebデザイナーをされていますが、その影響はありますか?

滝口 いろいろ教えてもらっています。ネット上でさまざまなWebサイトを見ていると、ゲームというほどではないけれどインタラクティブ性を持った遊べるサイトが面白くて、そういうのを作れないだろうか、と相談したら、「それはプログラムの領域になるから個人ではムリ」と言われたり(笑)、コンテンツのサイズを小さくしないと重くなってしまい、誰も見てくれないとか、ある程度更新頻度がないとリピーターはつかないとか、基本的なアドバイスを受けました。ぼくのWebサイトの基本的な枠組みとかテンプレートも、彼女が作ってくれたものです。

--写真新世紀に応募したのも、奥さんのすすめだと聞きました。奥さんは滝口さんにとって、アドバイザー的役割をもっているのでしょうか?

滝口 そうですね。Webデザイナーという職業柄なのか、アートやデザインや広告業界の動向についてやけにくわしいんですよ。今どういったギャラリーが勢いがあるとか、こういう人が注目されているとか、どういった出版社がいい写真集を出しているとか、この広告はどういうデザイナーが作ったとか、なんで? って思うくらい細かいことまでよく知っています。ぼくはモノ作りに没頭する人間なのでそのような情報にはまったく疎く、彼女のアドバイスというのはとても役に立っています。ぼくの作品についても客観的な意見を言ってくれます。時にはぼくの作品の狙いを真っ向から否定することもあるんですけど、そういう時も対立するのではなく妥協もせず、対話しながらよりいいものにしていければと思っています。

--滝口さんのWebの写真を見て、写真新世紀展や個展における写真とずいぶん印象が違って、ぼくはとても共感をおぼえました。Webサイトを始めてみてどうですか?

滝口 Webサイトを始めてから3カ月なんですが、毎日スナップ写真を撮って、毎日アップするようにしています。最近ようやくWeb写真というのがつかめてきたような気がします。とにかくぼくにとってはWebというのはスピード感が心地良い。

--ホームページのタイトルである「猫のつめとぎ」とはどういう意味ですか?

滝口 猫にとって爪を研ぐという行為は、狩りにそなえて古くなった爪の表皮を取り除くためであったり、単なるストレス発散であったりします。いずれにしても猫にとって爪研ぎというのは、やらずにはいられない本能的な行為なんです。自分にとって日々のトレーニングであるとともに、楽しみでもあるスナップ写真撮影は、言ってみれば「猫のつめとぎ」のようなものだな、ということでつけました。


--Webをやることによって、写真に変化は生じましたか?

滝口 最近子どもが生まれたり仕事が忙しかったりして、写真を撮る機会といえば子どもを抱いて近所をぐるっとまわったり、仕事場への行き帰りくらいしかないんですよ。そういったありきたりでで見慣れた場所でも、写真が撮れるようになってきました。これまでは見過ごしていたなんでもない風景に眼が反応するようになってきたせいでしょうか。

 スナップ写真は、ぼくにとってクロッキーのような面白さを感じます。クロッキーというのは、とにかくできるだけ短い時間で、少ない手数で対象を写しとる技法ですけど、クロッキーの1本の線には油絵なんかとは違った魅力があります。クロッキーは、描き続けることによって、それまでの自分には描けなかった線や形が描けるようになるのですが、スナップ写真も撮りつづけることによって、自分のものではないような写真が撮れる瞬間があります。じっくりと構えていろいろ考えながら撮るのではなく、ノーファインダーで瞬間的に撮っても、作品として成立する写真が撮れるようになった気がします。

 また、毎日写真を選んでWebにアップすることは、写真を編集する訓練にもなるような気がします。昔撮った写真を見返したところ、かつてとは違ったセレクションができるようになっているのに気づきました。


--Webにおける写真と、展覧会などで発表する写真を区別していますか?

滝口 率直に言うと違ったものとして考えていますが、区別するというよりは多様な作品を作りたいと思った結果、こうなったという感じですね。スタイルの違う作品は、発表するための最適な手段がそれぞれ異なると思います。Webサイトではそれにふさわしい作品を載せていきたい。たとえばデジタル写真というのは、発光体であるモニターディスプレイで見せるのが最適ではないかと思います。プリントを展示する場合は、中判カメラで撮影することもあります。

 Webサイトには毎日何枚もの写真を載せているんですが、それは組み作品というわけではないし、順番があるわけでもありません。それぞれある瞬間をとらえた独立した写真で、このような見せ方はこれまではできませんでした。どうしても映像的というか、順番に見ることで成立する組み作品になってしまっていたのですが、Webで写真を見せることによってそれまでとは違った写真の見せ方ができるようになりました。

--Webに載せている写真は、澄んだ色合いがきれいなんですが、色にはこだわっているのですか?

滝口 撮られているもの自体に興味があるので、色やトーンにそんなにこだわっているわけではないです。やはりスピード感を一番重視しています。JPEGで撮ってPhotoshopのトーンカーブで調整していますが、ディスプレイで見てパッとトーンをいじって確認してそれでよければOKみたいな、1枚のレタッチに要する時間はせいぜい10秒程度ですね。



--デザインもシンプルだけどとても見やすいですね。

滝口 Webサイトを見に来てくれた人が楽しめるように、頻繁に写真を更新することを心がけています。ほぼ毎日更新しています。アクセスしてきた人の目にすぐ止まるように、更新された新たな写真はトップに置くようにしています。

 ただ、1カ月分の写真しかWebサイトには掲載していません。つまり1カ月より以前の写真は削除していっています。なぜそうするかというと、瞬間的で一過性である写真という特徴を際立たせるためです。一般的にデジタル写真やWebにおける写真は、記録として蓄積されていくものと見なされがちですが、「いつでも見ることができるもの」という考えを否定したいのです。変化しつづける写真として呈示したい。

--滝口さんのBlogを読むと、音楽の話題が多いですね。ハンパじゃないほど大量の音楽を聞いているようですが、音楽について話してください。

滝口 時代やジャンルに限定せず、中古レコード屋を回っては買い集めたレコードが1,000枚ほどあります。音楽というのは実験音楽、ポピュラー音楽、子どもが聴くもの、民族音楽などのようにとても幅広いものですよね。また次々と新しい音楽が登場する一方で過去のレコードがCD化されたり復刻されたりして再登場してきたりします。

 そういった音楽の多様性や自由さというのは、美術や写真にも共通する基本的な考えだと思うし、自分の制作への刺激にもなります。スナップ写真を撮る時はだいたい音楽を聞いていますね。特に好きな1枚を挙げるとするとビーチボーイズの「ペット・サウンズ」かな……(内原註:サーフミュージックとして一般に知られるビーチボーイズの他のレコードとは全く異質な、きわめて実験的で時代を先取りした傑作。ブライアン・ウィルソンがほぼ1人でスタジオにこもって作り上げた)。



--ぼくは滝口さんが写真新世紀で受賞した「狭間」という作品を見て心を動かされましたが、失礼な言い方かもしれませんが「この人は生涯これを越える写真を撮る事はできないのではないか?」とも思いました。

滝口 同じ事をアラーキーにも言われました。あの写真を撮った時は、ぼくは写真家になろうとは思ってもいなかったし、作品としてあの写真を撮ったわけでもありません。余命がわずかとなった彼女のお母さんと彼女の、生きている2人の最後の写真を残したいという気持だけで撮ったのです。あの写真を撮ってよかったと思うし、彼女や家族はあの写真を見て喜んでくれました。ぼくは結局、人が喜ぶ写真を撮りたいのです。あの写真を撮る事でその使命は果たしたと思います。

 その写真を作品として公にしたのも妻のすすめなんですが、あの写真を作品として発表したのは、「見えている以上の何かが宿っている」と思ったからです。

--「見えている以上の何か」というのは何でしょうか?

滝口 ……(しばし沈黙して)うーん、言葉では言えないですね。言葉が見つからないけど、やはり「愛」としか言えないようなものですね。

--いわゆる「やりきった」という状態ですね。作品制作においては「やりきった」というところまで行って初めて次の作品を作ることができると思うし、現にWebもそうですが、新たな作品を手がけていらっしゃいますね。

滝口 「狭間」という写真はひとつの使命を終えたとはいえるけど、でも撮り続けるしかない、と思っています。

--今後はどのような活動をしていこうと考えていますか?

滝口 やりたいことはたくさんあります。これまでと同様に絵画や映像といった多様な作品を作り続けて行きたいし、仕事としての写真もやっていこうと思っています。ぼくは写真作家になろうとしたのではなく、あくまでも人を楽しませるところから始まっているのです。それでも「狭間」のような本質的な写真も撮れると思っています。ぼくにとっては「仕事」と「作品」というのは、対立するものではありませんから。

※次回は大西みつぐさんが登場します。


Web写真界隈トークイベントvol.1「写真世紀末、を越えて」

■日時 2006年5月13日(土曜日)16:00より2時間程度の予定
■場所 ビジュアルアーツギャラリー東京(新宿区西早稲田3-14-3早稲田安達ビル)
 http://www.tva.ac.jp/gallery/images/map.gif
■出演者 山田大輔(写真家)高橋淳子(キヤノン)内原恭彦(司会進行)
■入場無料 メールにて要予約 yuchihara@yahoo.co.jp
■お問い合わせ yuchihara@yahoo.co.jp




内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/04/27 01:01
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