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第2回 山田大輔
「やはり写真家の武器は、飢えた心、ただ飢えた心のみである、と思う」


撮影:内原恭彦

 山田大輔さんに初めて会ったのは数年前のあるパーティでのことだった。タバコの煙ごしに、スキンヘッドの巨漢がスピリッツのグラスを前に葉巻をくゆらせているのが見えた。その迫力のある光景に、初対面にもかかわらず声をかけて写真を撮らせてもらった。それが山田大輔さんだった。

 山田さんの名前は以前から知っていたし、「山田伝説」とでもいうべき数々のエピソードをネット上で目にしてもいた。文字通り万巻の書(哲学書からマンガまで)とDVDとビデオとCDに埋め尽くされた部屋で、PCに向かってフィルムをスキャニングしながらその待ち時間にダンベルを手に筋肉トレーニングにいそしんでいる男。写真学校における山田ゼミでは、ワルター・ベンヤミンや岡崎京子を引用しつつ熱を帯びながらも軽妙な語り口調は、まるでアジ演説のように学生の心を魅了する。

 こう言っては失礼かもしれないが、ぼくにとってなによりもまず山田さん自体が写真を撮りたくてたまらなくなる被写体であって、それから時おり会って写真を撮らせてもらっている。いつも礼儀正しくソフトな人となりである。もっともテロリストはだいたいが紳士的に見えるものかもしれないが。

 山田さんのビデオによる近作「犬死にしなかった猫背の小男」では、危篤の昭和天皇の病状を伝えるニュースと、中野重治の「雨の降る品川駅」という詩における想像されたテロリストに関するテキストによって作られている。このビデオ作品には、通常の意味での映像は含まれておらず、テキストと音声によって構成されている。


山田大輔
1966年生
早稲田大学第一文学部除籍
東京綜合写真専門学校研究科修了

1998年 第12回写真「3.3展」入選
2000年 第22回「写真新世紀」優秀賞
2000年「写真新世紀2000」審査員特別賞
2002年 「VOCA2002」参加

http://www1.odn.ne.jp/~caa31720/index.html

※以下の記事中の写真はすべて山田大輔氏の作品です


-- 山田さんの作品には言葉が重要な要素として使われています。「言葉たちと獰猛な世界」というビデオ作品では、さまざまな書物や広告から引用されたテキストがPCの音声読み上げソフトによって無個性な声で語られるのをバックに、多くの写真がスライドショウ的に現れては消えていくのですが、それらの写真にも路上の広告やチラシ、山田さんが読んでいる本のページやそこへの書き込みといった「被写体」としての言葉を多く見ることができます。山田さんと言葉のかかわりについて教えてください。

山田 梅棹忠夫の「知的生産の技術」をはじめて読んだ高校生くらいのときから、本を読んでは線を引いたり書き込みをしたり書き写したりという生活を、ずっと続けているんです。採集自体が学問である、というようなやり方です。酒を飲んで暴れたり生活上のさまざまなゴタゴタをくぐりぬけながらも、片時も休まず。「言葉ありき」の人間であると言われたら、その通りでしょう。

-- 小説や評論といった言葉による表現ではなくて、なぜ写真だったのでしょうか?

山田 大学で漫研に所属して漫画を描いていたり、これは今でもそうですが映画をたくさん見まくったりしていて「絵」にかかわりたいという欲求がずっとあったんですよ。家庭の事情で文系大学に進みましたが、そもそもは美術をやりたかったという気持もあります。

-- どういうきっかけで写真を始めたのでしょうか?

山田 24歳ごろ川崎市民ミュージアムで資料整理のバイトをしながら、写真部門やそこのスタッフである評論家の平木収さんや深川雅文さんを横目でみていた時期がありました。写真部門というのはまったく理解不能だったんだけど、それがかえってぼくの関心をひいたということはあるかもしれません。そこのバイト代でなぜかNIKON F3を買ってしまったのが、きっかけといえばきっかけでしょう。

-- 山田さんは「写真を愛していない」「写真に興味はない」と公言していますが、ぼくは山田さんが撮る写真は実に美しいと思います。どのように写真を撮っていますか?

山田 美しいものはめざしていないし、写真技術的な事柄にもいっさい興味はないです。F3に50mmF1.4をつけてネガで撮って、フィルムスキャナーでスキャニングするだけです。構図とかもど真ん中に入れるだけだし。ぼくは「写真を撮りに行ったり」はしないんですよ。自宅と仕事場と飲み屋を往復する日常生活の折々にシャッターを押しているだけで。路上スナップ写真とも違います。ぼくはあまり枚数は撮りません。どちらかというとフィールドワークに近い。梅棹忠夫が「フィールドワークに出るとつい撮る愉しさにひかれて沢山撮っちゃうけど、僕は撮らないようにこころがけている」と言っています。あとで整理することを考えてなんでしょうけど。



-- 山田さんの写真は見ようによっては「広告写真」にも通じるような、見る人に一瞬で何かを伝える強さがあったり、宝島が出しているVOW(路上のヘンな広告やオブジェを読者が投稿したもの)のようなキッチュなものに対する志向も感じます。「死ね、学校来るな」という落書きは、ぼくの周囲でも話題になってみんな強い印象を受けるようです。これはイジメなんだけど陰惨さよりも、むしろ笑いを誘われてしまいます。「死ね」だけならありがちなんだけど、「学校来るな」というところにリアルさを感じるんですね。今の小学生の生活や心の世界が落書きからかいま見られる。「イジメはよくない」と機械的に唱えているだけでは見えてこないリアルさが見えるのだけど、ほんとうにリアルなものってユーモラスなんじゃないかと感じました。山田さんの作品におけるユーモアについて教えてください。

山田 一般的にリアリズムのものとされる暗さとかみじめさとか真面目さとか嫌いなんですよ。でもファンタジーって信用できないし、リアルなものにだけ惹かれます。それが出てるんでしょうねえ。「真面目」と「貧乏」へ抗いながらもリアルに固執しようとするとじめじめしない、からっとした「笑い」にすがることになるのかもしれません。

 夏目漱石とかマルクスの著作に見られる「笑い」が好きなんです。彼らの実生活は過酷な闘いの連続で、にもかかわらずあきらめることなくあれだけの仕事をなしとげたというのは「笑い」の力が大きかったんじゃないかと思います。

-- 山田さんとネットのかかわりについて教えてください。

山田 ネットにつないだのは1997年ごろかな。MoMA(ニューヨーク近代美術館)のホームページを見たら、金村修の阿佐ヶ谷を撮った写真がでてきて「なんで?」と思った記憶があります。99年ごろから自分のサイトを始めたんですけど、よく「写真が重い」と文句言われましたが、ファイルサイズを縮小したりはしなかったですね。

 当時にくらべるとネットの環境もずいぶん変わりましたね。最初は「ワシントンポスト」のニュースサイトを見て、ジャーナリストじゃないと触れられない情報に素早く接する事ができるのを単純に面白がっていました。

 いっぽうでは、ネットでは何の情報もあがっていない「ネパールにおけるマオイスト主導のゼネスト」について、仕事場のネパール人の同僚から教えられたりといったことから、ネットはかならずしも開かれていないという実感も持ち始めました。



-- 山田さんの個人サイトである「工事現場から」は、それ自体作品という意識はありますか?

山田 それはないですね。あれはネタ帳。あるいはゲルハルト・リヒターの「アトラス」(4,500点以上にのぼる絵画作品のモチーフや資料としての写真やエスキースをスクラップブックにまとめたもの)に近いかもしれませんけど。ぼくの作品はひとつつくるのに何年もかかります。たとえば「言葉たちと獰猛な世界」は、撮影に1年、編集に1年かかっています。ぼくは大きな作品を完成させるのをあきらめられないんですよ。もの書きはひとつの作品に5、6年かけるわけだから、別に普通かな、と。ただ、できあがるまでに時間がかかるので、いろいろたまってくるものがあって、スキャニングしながら「どうだこれは面白いだろ!」と我慢できなくなるとWebに載せている感じですかね。エスキースというか抜き書きというか。最近は主にmixiのほうに載せていますけど。

-- 一口にネットの世界といっても、mixiのようなSNSが流行ったり、blogが普及したりと、いろいろと変遷があります。それについてはどう考えていますか?

山田 最初にWebに触れた時にハイパーリンクの便利さに感動しました。註の多い「資本論」なんかはこれで作ってくれよ、みたいな。また、海外ではテキストの多くがデータベース化されてWebから参照できるのがうらやましかった。トマス・ホッブズのリヴァイアサンとかネットで読めるんですよ。日本では青空文庫とかありますが、まだまだテキストのデータベースは質、量的に不充分ですね。最近ではWikipediaをよく使いますが、あれはすばらしいですね。寄付したいくらい。

-- 今おっしゃったようにテキストベースのWebの重要性は非常に増していると思いますが、Webにおける写真や映像は今後どうなっていくでしょうか?

山田 どうなっていくんでしょう。ポール・ヴィリリオ(高度情報化社会における人間その他の変容を論じた思想家)は映像が主流になっていくというようなことを言っていますが、たとえば回線速度の問題もあるしPCの性能の問題もある。それらがどれだけ普及しても、たとえば今若い人はネットを見るためには主に携帯電話を使っていて、むしろWeb離れを起こしていると言えなくもない。すべての人がWebを見ることができるわけではないと思います。また、テキストと違って映像は検索することが難しいという問題もあります。

-- Webを持つ写真家がとても増えてきていて、彼らが毎日お互いのWebを見ていて影響を与えあうという状況があるように思うのですが、Webがかつての「学校」や「ワークショップ」の代わりとなる可能性はないでしょうか?

山田 浅田彰が言っていたのですが「学校とゲームセンターを入れ替えるべきである。ゲームのようにモニターに向かうほうが学習としては効率が良い。逆に学校では対面して遊びながらオーラル(音声的)かつ暴力的なコミュニケーションを学べばよい」と思います。そういった意味では学校というものはまだまだ存在価値がある。



-- 作品を発表するやり方についてお聞きしたいのですが

山田 今ある作品は、ほとんど複数のモニターを前提としたビデオ作品ばかりです。基本的にプリントはしません。写真新世紀展に出したものもデータを渡してキヤノンにプリントしてもらったものだし……。プリントしないのはあまりにも手間と金がかかりすぎるからです。工芸品として仕上げられて高値で取引されるファインプリントには何の関心もありません。

 発表の場としてはやはり個展が一番だと思っています。ただ場所の問題がある。作家から金を取る貸しギャラリーというのは日本にしかないシステムです。自費出版による写真集ビジネスというのもどういう仕組みで出版/流通されてるのかも闇の中ですよね? ほんとうに「結婚詐欺」や「リフォーム詐欺」のようなシステムとは違うと確信できたら、ぜひ出版してみたいですね。

 Webの問題は、認知度が低いというかそんなに多くの人が見てくれるわけではない、ということがあります。ぜんぜんワールドワイドじゃないです。世界を相手にするならせめて英語で発信する必要があるでしょう。



-- 山田さんはデジタルカメラは使わないのですか?

山田 もはや現実として4×5以上のフォーマットでないかぎりフィルムの優位性がないことも承知しています。仰々しい機能がついていなくて、戦場に持っていけるくらい頑丈なカメラがあれば使ってもいいのですが……。

-- 「やはり写真家の武器は、飢えた心、ただ飢えた心のみである、と思う」という言葉をWebに書かれていて、とても印象的だったのですが、この言葉について説明してください。

山田 もともとは中上健次の言葉である「小説家の武器は、飢えた心と、想像力である、と思う」を写真家に置き換えて考えてみたのです。かつては、芸術家はなんらかの大きな目的(=夢)を達成するために、「想像力」を駆使してなにがしかの「芸術作品」を作ろうと希求する「飢えた心」をもっていたわけですが、今ではそういった「夢の力」は力を失うとともに、素朴な考えとみなされています。「文学」の衰微に象徴的なように確かにそれらの「力」は消え去ってしまったのだと思います。原因は、衣食住の充足かもしれませんし管理教育の勝利なのかもしれません。でもなにか残っているだろう。

 そう、「飢えた心」は残っている。写真は絵を描いたり文章を書くような創作といった意味での「想像力」は使いません。ただカメラによって現実を写しとるだけです。でもだからこそ「想像力」をあてにできない今日において、写真に可能性があるのだと思います。「文学」のような支配的なメディアになることはかなわないであろう「写真」という実践にあっても「飢えた心」だけは残っている。そこからのみ「夢」へ、夢見ることへ、そして「はじまり」へ、と続くなにかがあるのではないか、ということでしょうか?

※次回は西村美智子さんと田福敏史さんにインタビューします。





内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/04/13 01:31
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