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第1回 内原恭彦 「Web写真界隈とは何か?」
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今さら言うまでもないことだけど、昨今ではWebで写真を発表する人が非常に増えてきている。プロ、アマを問わず個人の写真サイトは数え切れないほどあり、FlickrやFotologといったネット上で写真を共有するサービスも次々と登場している。その原因は主にブロードバンド接続とデジタルカメラの普及によるもので、それ自体はごくあたりまえの変化として当初から予想されていた事態でもある。ネットやデジタルカメラの発展が続くかぎりこの傾向はとどまる事はないだろう。
ただ、ここにおよんでWeb写真というものの量的な変化が質的な変化を生んでいるのではないかという気がしてならない。「質的な変化」というのが何であるかを言葉で説明するのは難しいのだが、Webとデジタルカメラによって形作られた写真に対するある種の新しい価値観のようなものである。
ぼく自身はおおげさに言えばネット中毒気味なところがあって、毎日さまざまなWebを見たり自分のWebを更新することに多くの時間を費やしている。そこで感じるのは、ほんとうに多くの写真家がいて、その作品も多種多様であるということだ。これらのWeb写真を目の前にすると、ひとつの理念でそれらを単純に説明したり分析することは正しい事ではないという気がする。
また、ぼくが誰かのWebを見ているのと同様に、その誰かもまたぼくのWebを見ているという気配も感じられる。アクセスログのリファラやトラックバックや公開されたブックマークなどがそのことを示している。良い写真を見るとそれに影響されたり、あるいは影響されないように反発したり、他人より良い写真を撮ろうと競い合ったり、逆にこの程度でいいやという馴れ合いの気分が生じたり、良い意味でも悪い意味でも相互に影響を与え合っている様がはっきりと見て取れるのもWebならではである。
Webというのは本来は物理的な場所を持っていないが、そのような視線の交錯がなされおのずと人が集まっていく様は、やはりひとつの「場所」としか呼びようのないものである。それはたとえばYahooなどのカテゴリーによる分類のようなはっきりとしたリンク集でもないし、mixiのような明確に閉ざされた内輪のコミュニティでもない。そこに行くと誰かしら知り合いに出くわす、さほど広くはない通り抜け自由な通り、すなわち「界隈」のようなものとして写真サイトを見ることができるのではないだろうか。ぼくはこうした「Web写真界隈」に今日性を感じるのだけど、ある意味実体のないWebにおける写真というのは、まだまだ理解されにくいところもあると思う。そこでこれから数回にわたっていくつかの注目すべき写真サイトを紹介していきたいと思う。
まずは第1回目として、筆者みずからのWebを1人2役のインタビュー形式で紹介してみたい。
内原恭彦
1965年生
東京造形大学デザイン科中退
絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞
2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催
2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞
2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/
※特記したもの以外、文中の写真はすべて内原氏の撮影による作品です。
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内原氏のサイト「Son of a BIT」
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内原恭彦氏(撮影:藤田ユミ)
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-- いつからWebをやっていますか?
内原 多くの人と同様プロバイダ料金が大幅に安くなった1997年ごろからネットに接続してすぐに「ホームページ」を作りました。当時はWeb上にアップロードされる写真は圧縮率の高い小さな寸法の画像が主で、ガチガチに減色されたGIFすら平気で使われていました。
-- 1997年から現在までずっとWebを続けているのですか?
内原 現在残っているもっとも古いページは2001年の1月1日ですね。それから現在にいたる5年分のページはサーバに残っています。ぼくのWebページは日記のような作りになっていてクリックすると過去にさかのぼっていくことができます。今、確かめたのですがだいたい1,635ページほどあるようです。
1997年から2000年の間のページはサーバの容量の関係で削除しました。
-- なぜ毎日更新するのでしょうか?
内原 はじめてWebを作った時に、その「速報性」のようなものに感銘を受けました。絵を描いていた時は、一枚完成させるのに数ヶ月かかったり、それを発表するのにはさらに時間がかかったりしました。それにくらべてWebというのはその気になれば毎日でも作品を発表できる可能性があるわけです。そのスピード感はあきらかに他のメディアにはないものだと思いました。ぼくは最初からWebそれ自体を自分の作品だと考えていたので、Webという作品を作る以上もっともWebらしい特長を生かすべきだと思いました。つまり毎日更新するということがもっともWebの特長を生かすやり方だと考えました。
-- そのスピード感というのは写真の特徴のひとつでもありますね。
内原 そうですね。ぼくは1999年にデジタルカメラを使い始めたのだけど、当時は1日にメモリいっぱいで50枚の写真が撮れました。それは言い換えると1日に50枚の作品が作れるということであって、その「多産性」に興奮しました。というか、自分はほんとうはこれだけのハイペースでじゃんじゃん作品を作りたかったのだと思いました。かつて画家の大竹伸朗は「100号の大作を3分で描いたっていいじゃないか」という発言をして、ぼくらのまわりでは名セリフとして語り継がれていました。どう考えても100号のキャンバスには3分で絵は描けないわけで、大竹の言葉は不可能なことを逆説的に語る一種のジョークのようにぼくたちは考えていたわけです。でも写真だったらそれも不可能じゃない、と気がつきました。
-- 写真を発表する手段は、展覧会、雑誌、写真集、などいろいろありますが、それらは使わないのですか?
内原 それらすべての手段に興味はあります。さまざまなやり方で写真を発表していきたいし、もしかしたら今あげた以外の発表手段もあるかもしれません。たとえば写真をDVDに焼いたものであるとか、Tシャツにプリントしたりとか、ステッカーの形にしたりとか、極端に言えば路上にこっそりと貼り出したいとすら思います。視覚芸術はなんでもそうかもしれませんが、特に写真は「他人に見せるもの」という意識がぼくには強いです。それもできるだけ多くの人に、作者が誰でどういう意図で作ったかなどという説明抜きで、放り出すように見せたい。ぼくにとってWebというのはある意味、展覧会のようでもあり、雑誌のようでもあり、写真集のようでもある、と思います。
-- Webというのは「世界にむけて開けている」と言われますが、実際には個人サイトへのアクセスというのは少ないのでは?
内原 ぼくのWebはだいたい1日に200から300人ほどのアクセスです。はてなダイアリー(BLOG)のほうはもう少し多くて400人くらいでしょうか。写真家の藤原新也さんのWebは1日に数千人単位の人が見ているそうなので、それにくらべるとぜんぜん少ないですね。写真を載せているメインのページよりもはてなダイアリーのほうがアクセスが多いというのは考えさせられます。やはり言葉というかネタのほうが人の興味をひきつけるのかもしれません。ただ、アクセス数ということからいうと、これくらいの数字が現実的であるかもしれないと思います。たとえば銀座のギャラリーで展覧会をやっても1週間で200人の集客がなかったりすることも珍しくありません。アートに関心のある人というのはそもそもそんなに沢山いるわけではないのです。
-- Son of a BITはindexページもメニューもない非常にシンプルな作りですが、それはなぜですか?
内原 かつては個人のWebページというのはどこも似たような作りになっていて、たとえばプロフィール、ギャラリー、日記、リンク、BBSといった定番のメニューが並んでいました。
それとは違ったWebを作りたいというのが、現在の極端にシンプルなデザインにしようと思った動機です。
ただ、自分には高度なWebデザインの技術はなかったので、逆に「デザインしないデザイン」にしようと考えました。いわばWebのミニマリズムのようなものです。Webページにおいてはいかに簡単にすばやく目的のコンテンツにたどりつけるかということのほうが、装飾性よりも重要です。ぼくのWebの目的は、「写真を見せること」だったので、アクセスして最初に開くトップページにいきなり写真を置きました。ボタンの数も少ないほうがいいと思ったので、写真をクリックすると直接ページを移動できるようにしました。また頻繁に更新する以上できるだけ更新に手間がかからない作りにもしたかった。このデザインははからずも今で言うblogに近いものになりました。
もっともユーザビリティ(使いやすさ)の観点から見ると完全なものではないと思っています。
-- 他の写真サイトを見ていますか?
内原 はっきり言ってかなり見ています。やっぱり他人がやっていることには興味があるので。毎日のようにブックマークが増えていく状態です。それらのWebをどうやって見つけるかというと、たとえばリファラから発見したり、はてなアンテナのような公開されたリンク集から発見したり、さまざまなWebにおけるリンクから発見したりとさまざまです。
写真サイトをやっている人は学生だったりバイトしながら作家活動をしている人であったり、仕事をしながらワークショップに通っている人であったり、趣味でやっている人であったり、とさまざまです。いわゆる名の通った作家はむしろ自分で運営するWebを持っていないことが多いですね。それらの写真サイトすべてが質が高いというわけではありませんが、1枚1枚の写真がどうこうというよりは、それらのWebの総体が反映している時代性や世界の多様性が興味深いのです。
-- かつては「カメラ雑誌」という媒体が、プロ、アマ、作家を含めた写真活動や発表の中心的な場となった時代があるのですが、Webもそうなるのでしょうか?
内原 先のことはわからないですが、Webで写真を発表するという事自体は増えつづけていくと思います。写真活動の場としてWebが盛り上がるかどうかについてはいくつかの条件があると思います。
ひとつはディスプレイの高画質化やネット環境のさらなる向上といった技術的な進歩が必要で、それはおそらく実現されるでしょう。
もうひとつは、見る人の意識の変化です。Web上の写真をそれ自体で自立した作品と見なす考え方が根付く必要があると思います。
Webというのは、誰もが自分の写真を自由に大量にすばやく発表することができるという利点に加えて、どこからでも簡単に頻繁に見ることも容易です。またコメントやトラックバックによって意見を交わすこともできるわけで、可能性としては理想的な発表の場になりうると思っています。
-- Webというのは海外に向けても開かれているものですが、海外とのかかわりはどうですか?
内原 最近中国からのアクセスが増えてきています。今中国では写真やアートがとても盛り上がっています。リファラをたどると中国人による写真blogに行き当たったりします。やっていることは同じだな、という同時代性を強く感じます。
MetaFilter( http://www.metafilter.com/ )というアメリカのblogコミュニティ(誰でも自由に記事をエントリーしたりコメントをつけることのできるblog。スラッシュドットや2chをも思わせる)にぼくのページがリンクされた時は、一時的にアクセス数が跳ね上がりました。英文によるコメントを読んでみると「このサイトはJPEG圧縮スキルがなさすぎ」「重い」「ぶっちゃけ何が面白いのか誰か解説してくれ」といった煽り的な書き込みがある一方、「これは面白い」という好意的な書き込みもあって、まさに2chのスレッドのようで、そこにも日本やアメリカといった国の違いを越えた同質性を感じました。
実際には外国からのアクセスは全体の1割に満たない程度なのですが、ぼくのWebを見たオーストラリアのPHOTOFILEという雑誌から取材を受けたことがあります。メールでのやり取り、FTPによる掲載写真のやり取りなど、すべてネットでおこなったのですが、先方の編集者にとってはそれが当たり前のやり方で、ネットを使っていることや取材先が海外だからといって特別視していないという感じを受けました。
-- Webをやることで写真は変わりましたか?
内原 ぼくの場合、Webを始める以前には写真を撮っていなかったので、Webと写真というのは完全に同時進行です。だからWebによって写真がどう変化したかということは言えませんが、ひとつ確実なのはWebをやっていなかったらきっと写真は撮り続けていなかっただろうな、ということです。撮った写真をWebに載せることが楽しかったから写真を撮りつづけてきたし、それによってより写真の質を高めていこうという熱意を持つ事につながりました。
-- Webは見る人の環境によって色合いやガンマが異なってしまったりしますが、それについてはどう考えていますか?
内原 以前よりはずいぶんましになってきましたが、原理的にすべての人がまったく同一の環境でWebページを見ることは不可能です。OSもブラウザもグラフィックドライバも、経年劣化したモニターも見る人によってすべてが違うわけですから。
ただしぼく自身は自分の写真に唯一無比の絶対的なトーンや完成形態をそもそも求めていません。現像するたびにトーンもホワイトバランスも違うし、プリントするたびに異なった作品が仕上がります。いい加減にやっているつもりはないけれど、写真は完成したものというより常に流動していて常に模索すべきものと考えています。たまにマンガ喫茶で自分のWebページを見ると、違った見え方だったりするけどそれも許容範囲です。モロッコのネットカフェでグリーンのチャンネルが死んだ真っ赤なモニターでWebを見たときはさすがに呆れましたけど……。
トーンや色合いに気を使った写真はどんなモニターで見てもそんなにおかしく見えないものです。良い写真は多少ガンマが違っていても良い写真には違いありません。
-- 他のWebからどのような影響を受けますか?
内原 影響を受けるというよりも、他の写真家に似てしまわないようにしたいと思います。それもまたある意味では影響を受けているということかもしれませんが。
-- Webの問題点、デメリットについて
内原 出版や美術のビジネスの世界においてはプロとしての編集者やギャラリストやキュレーターが、良い写真と悪い写真というのを弁別するフィルターとなっています。そういった強制力としてのフィルターがある意味では質の低い写真をふるい落としてきたわけです。誰もが自由に写真を発表できるWebにおいては、それまでは日の目を見なかった質の低い写真というのも盛大に垂れ流されているのは事実です。
ただ、質が高いとか低いという評価も絶対的な基準は無く流動的であるとぼくは考えています。要するにかつては評価されなかった写真が新たな時代において評価されるということもありうると思っています。いずれにしても作品に対する正当な評価とは、誰か特定の個人がおこなうのではなく、とても大きな総体としての社会によって長い時間をかけて自然に定まってくるものではないでしょうか。だからWebにおける写真というものの評価が定まるのには時間がかかるかもしれません。
また、現状ではほとんどの個人サイトがノンプロフィットでやっており、金銭的な報酬と無縁であるというのも問題のひとつであると思います。もちろんノンプロフィットにはそれなりの良さはあるのだけど、健全な作家活動を続けていくためには「Webは金にならない」と最初からあきらめてしまうのも正しい態度とは言えない気がします。現実的には個人の写真サイトをビジネスに結びつけるのは限りなく難しいだろうけど、いろいろ考え続けることを放棄すべきではないと思います。
※次回は山田大輔氏にインタビューします。
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内原 恭彦 (うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/ |
2006/04/06 01:13
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