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アルルの町のいたるところに掲げられたフォトフェスティバルのシンボルマーク
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毎年夏に、フランスアルルで国際的な写真のフェスティバルをやっているというのは、以前から知っていた。日本からも写真家が招待されているという記事を読んだことがある。しかしアルルフォトフェスティバルの名前は知ってはいても、そこでどんなことが行なわれているのかさっぱりわからない。バカンス時期のフランスの避暑地でやるイベントなど、縁遠いものと思っていた。
ところが昨年、事務所に出入りしている若き写真家長田史野がアルルで絶賛を浴び、帰国後海外から仕事が舞いこむようになった。おそらくいま彼女は、日本での仕事よりコンスタントに海外の仕事を請けている。その後も、各国から写真掲載のオファーが届くようになったのだ。
その様子を間近で見ていて、いまどき写真の世界にアメリカンドリームのようなことがあるなんて、とアルルに俄然興味が湧いてきた。
ちょうど同じ月に僕の2冊目の写真集『traverse』(冬青社)が出版される。これをアルルに持って行ってみようと考えた。そしてこの旅には、僕が主催するワークショップのメンバー5人も同行することとなった。
■ パリからアルルへの旅
さて、アルルってどこにあるのだろう。地図で見てみると南仏地中海、スペイン国境に近い。一番わかりやすいアクセスは、パリリヨン駅からTGV(フランスの新幹線のようなもの)でアビニヨン駅まで3時間弱、そこからバスやタクシーで1時間くらいだということがわかった。日に数本はアルル直行のTGVも出ているようだ。
7月1日、まずはパリへと旅立った。この時期のパリは酷暑だと聞いていたが、着いた日のパリ市内の気温は摂氏22度。朝晩は冷え込み、上着が必要だった。シャルルドゴール空港からバスでパリリヨン駅へ、14ユーロ(2,880円。以下は2007年7月1日のレート:1ユーロ=170円で計算)。リヨン駅からホテルまではタクシーで7ユーロ(1,190円)。パリでの夕食は、ビストロで肉料理をワンプレートと、食前酒、コーヒー、デザートで20ユーロ(3,400円)。カフェのコーヒーは2.2ユーロ(374円)だった。ユーロが高いからヨーロッパ旅行は大変だと聞いていたが、さほどではなかった。
翌朝パリリヨン駅からTGVでアビニヨンへ。チケットは日本から購入していた。往復2万9,800円。パリを一歩出ると延々と緑の丘陵地帯が続き、フランスは農業国なんだと改めて気づいた。車窓からの眺めが気持ちよく、3時間はあっという間だった。
アビニヨンからアルルまではバスが出ているが、荷物が多かったので、6人乗りのワゴンタクシーを使った。25kmの道のりでチップ込み85ユーロ(1万4,450円)。延々と続く向日葵畑を車で走ると、1時間弱でアルルの町に到着。突然町並みが出現したような感じだ。
「アルルフォトフェスティバル」のポスターや看板がいたるところに掲げてある。そこには「アルル写真との出会い」(Rencontres d'Arles 2007)という文字があった。狭い石造りの町並みには、中世の建物がそのまま残っている。テーマパークにあるような作り物ではなくて、すべて本物。
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パリリヨン駅からTGVでアビニヨンへ。葡萄畑が果てしなく続く
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アルルにはローマ時代のコロッセオがいまだに残っている。そこでは闘牛が行なわれている
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この時期のヨーロッパは日が暮れるのが遅い。夜10時なってようやく暗くなる
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ゴッホが描いたことで有名な、黄色いテントのカフェ
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僕が泊まったホテルは、アルルの中心地にある「ベストウェスタンアトリウム」。6日間で7万5,000円ほどのリーズナブルな3星ホテルだ。立地がいいため人気が高く、半年前の予約が必要だった。予約が遅れた同行の5人は、それぞれ別々のホテルに宿泊することに。アルルには、2星でも良さそうなホテルはたくさんある。
アトリウムホテルの部屋は広くはないが清潔だった。部屋にネット回線は通っていない。ロビーに1台、自由に使えるパソコンが置いてある。日本語のページは読めるが、メール送信の場合はローマ字入力か、日本語変換サイトでローマ字を日本語に変換する必要があった。ノートパソコンを持っていけば、街中に有料無線LANが通じているので、その場でクレジットカード契約して、ホテルの部屋でもネットに繋げることができる。
また、日本から持っていったNTTの携帯電話は繋がらなかった。ヨーロッパ対応機種だったのだが、アルルは別だったようだ。成田で借りられる海外対応機種は大丈夫。ソフトバンクも繋がった。
■ 38年目を迎えるフェスティバルは写真好きの「特別な場所」
アルル国際フォトフェスティバルは、2007年で38年目を迎える。毎年7月の第1週から9月の終わりまで、アルルは写真の町になる。オープニングから1週間は、写真展のほかに、ワークショップやセミナー、サイン会、スライドショー、古書店など、各種イベントが用意されていて、この1週間に欧州の写真関係者がアルルに集まる。
端から端まで歩いても20分たらずの狭い町のいたるところに写真が展示してある。今年のテーマは「インド」と「ファインディングフォト(古い写真の再発見)」。
28ユーロ(4,760円)払うと、企画展示の17会場を、期間中何度でも見ることができる。チケットセンターで今回の招待作家写真展の総合図録46ユーロ(7,820円)と、どういうわけかフェスティバルのポスターがプリントされた「扇子」5ユーロ(850円)を売っていた。
アパートの地下倉庫でやっている写真展を覗いてみたら、招待作家ではなく、個人が自主的に展示を行なっている場所のようだった。ワインセラーのような地下空間に、質の高いモノクロ作品が並んでいた。奥ではスライドショーが上映されている。そんなところがいたるところにある。
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地下倉庫の空間を利用した写真展
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町から10分ほど離れた工場跡地を使った、巨大写真の展示風景
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展示会場のほとんどは、町の中心から歩いて5分もかからない。車の往来もほとんどないから歩きやすい。日差しは強いが、湿度がないためしのぎやすい。暑ければ日陰や建物の中に入ればひんやりする。カフェも多い。すぐに馴染みの店ができる。
夜は、町中いたるところでスライドショーのイベントをやっていた。あちこちで自由参加のパーティをやっていて、まるで夜祭のような賑わいだった。アルルの夜7時などまだ太陽がしっかり残っていて、本当に日が暮れるのは夜の10時すぎ。そのため、10時過ぎから行なわれるイベントも多い。
夜歩いていても治安に不安を感じなかったが、初日の夜には同行者のひとりが路上でカバンを2人組に強奪されてしまう事件もあった。
写真展を見る以外にも、昼食時に隣り合った人に写真を見せたり見せてもらったりと、町中に写真が溢れている。写真を撮ったり見たりすることが大好きな者にとってアルルは特別な場所なのだと感じた。
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アルルでは写真だけではなくムービー作品の展示もある
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ゴッホ広場と呼ばれているところでは、写真集の古書市や屋外写真展示もあった
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アルルで驚いたのが、ライカM8を持っている人が多いこと。この3人もM8を持って撮影していた
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写真を持っている人を見つけると、すぐさま「見せて」
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■ いざ「フォトフォリオレビュー」
アルルフォトフェスティバルの目玉のひとつが「フォトフォリオレビュー」。世界中から集まったキュレーター、編集者、評論家、コレクターが写真を評価してくれる。アルルのレビューで世に出た写真家は多い。
また、20人ほどいるレビュワーが認めた作品は、アルルの会場で展示されることになっている。レビュワーは各自4枚の写真を選ぶことができる。ひとりの写真家に対して選べるのは最大3枚。しかし選ばなくてもいいようだ。展示される作品は本人がCDに焼いて持参した写真データから大伸ばしされる。さらに、選ばれた者は、24枚の写真を編集したアルル特製ブックレットを作ってもらえる。
2006年からはフォトフォリオレビューが本格的になり、事前予約をネットから行なえるようになった。ネット決済で250ユーロを支払うと、自分が見てほしい10人のレビュワーをリストから選ぶことができるのだ。
昨年、長田が評価を受けたのもこのレビューだ。彼女は各国のレビュワーの中で、特にドイツ、オランダから絶賛され、イギリスのクオリティ雑誌『ウォールペーパー』からは、即座にデザイナーの「アルマーニ氏」の撮影依頼を受けアルルからミラノへ行ったそうだ。
そこで僕も、今年のレビューに参加するため、日本から公式サイトにアクセスしてみたのだが、これが曲者だった。基本的にサイトの情報はフランス語。予約の締切10日前になって、ようやく英語サイトが整ったようだが、あちこち不備だらけ。エントリー情報をサイトへ送信するもエラーが続き、予約金250ユーロをクレジットカード決済しようとするがこれまたエラー。
メールでやり取りの末、250ユーロは日本の銀行から国際送金することになった。クレジットカード決済なら手数料がかからないが、国際送金の場合は手数料4,000円が余分にかかる。250ユーロと合わせると、日本円で4万5,000円が必要になる。しかしこれが目的で行くわけだからしかたがない。ただ、送金はしたものの、日本を発つまでにアルルからは「送金確認」のメールは戻ってこなかった。
そこでアルルに着くと、すぐに事務局を訪ね、送金とエントリーがうまくいったかを調べた。事務局では東京からメールでやりとりしていたアガサさんが出てきた。とてもキュートな女性だった。彼女は「いろいろと申し訳なかった。でもすべてOK。問題はない。これがあなたのレビュースケジュール」と言い、1枚のリストを渡された。そこには10人のレビュワーを訪ねるための、タイムスケジュールが載っていた。僕は2日目、3日目、4日目の3日間の予定が組まれてあった
■ アルル展示第1号は同行者から
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レビュー会場。企業の合同就職説明会に雰囲気が良く似ている
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初日は同行者のひとり、出口こずえのレビューの日だった。午前中から立て続けに4本入っている。ひとりあたりの持ち時間は20分。そこで英語を使い、アピールしなければならない。僕のレビューの日ではなかったが、どんな場所でレビューが行なわれるか、下見がてら彼女について行った。
会場は講堂のような大きな会場で、蛍光灯の照明がセットされた長机が並んでいた。最初にレビューを受ける者は、受付で自分の写真のデータが入ったCDを渡す。レビューリストをざっと見ると、軽く200人を越す参加があるようだ。日本人の名前も我々のほかに2人ほど確認できた。
会場に日本人らしき女性の姿が見えた。声をかけてみるとやはり日本人。「レビューに参加するのですか?」と聞いてみたら「イタリア人の夫が参加するのでついてきました」との答え。彼女たちはイタリアジェノバに住んでいるグイード夫妻。奥様のお名前は誠子さん。グイード氏は普段コマーシャルの写真を撮っているカメラマンだった。
彼と握手をし「写真見る?」と挨拶代わりに僕の写真集を差し出す。そして彼の作品も見せてもらう。彼の写真は奥さんの実家である静岡を撮ったものだった。彼の作品を、会場内で使っていない机に並べると、あっというまに数人の輪ができた。写真は8×10のネガで撮影し、スキャナーで取り込んだ後、Photoshopで色を調整し、ドイツの紙にインクジェットでプリントしていると言っていた。
輪の中にいたフランス人の写真家の作品も見せてもらう。その後、そこにいた全員でお茶を飲みに外へ。お茶を飲んでいるとレビューを受けていた出口こずえから電話があった。「写真選ばれちゃいました。展示が決まりました。第1号です」。彼女はオランダのレビュワーに気に入られ、彼の持ち票から満票の3枚を出口こずえに使ったのだった。
ほかのレビュワーからは日本のキュレーターへ紹介状を書いてもらうことになり、とても大きな評価を受けることができたようだ。
翌日、彼女の作品は、回廊のある中庭がとても美しい会場に展示してあった。80×150cmの大きさに3枚の写真が並んでいる。第1号ということでまだ彼女の作品しかなかったが、会期が進むにつれ、作品が増えていくことになる。会場には、アルルで作ってもらったブックも合わせて展示してあった。週末に見に行った時は、8名の写真家の写真が展示してあった。出口こずえ以外はひとり2点ずつの展示だった。しかしそのクオリティは、さすがに相当高い。なるほど選ばれるのも当然というものばかりだった。
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レビュー初日、会場で知り合ったイタリア人写真家グイードの作品を見せてもらう
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展示第1号となった出口こずえ。オランダ人の写真家ケッセルス氏が選出した
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■ 厳しい評価に「レビューを受ける意味」を知る
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レビュー初日、最初からこてんぱんにやられた
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翌日は僕の番だった。午前中にふたり、午後にひとりのレビューを受ける。早めに会場に着くと、昨日知り合ったグイード夫妻もいた。彼も今日のレビューを受けることになっている。だんだんと緊張してくるのが自分でもわかった。日本で緊張するような場面は近頃なかっただけに、上ずりを止めることができない。周りが心配するくらいだった。言葉が通じないこの場所で写真を見てもらい評価を受けるのは、緊張を通り越して怖いとすら感じる。
午前10時半、最初のレビューが始まった。レビュワーの資料を読むと、ジャーナリストのようだ。挨拶を交わし、握手をすると、写真集『traverse』と自家製本した『TOKYO LANDSCAPE』を差し出した。英語で説明する能力を欠いているため、日本で作っておいたプロフィールと、写真説明を書いたプレゼンテーションペーパーを見せる。
僕の資料に目を通すと『traverse』をめくり始めた。ゆっくり見るというよりパラパラと飛ばすように見ていく。
次に『TOKYO LANDSCAPE』を見始めた。見終わると、『TOKYO LANDSCAPE』はなぜこの形で持ってきたのか。もっと適切な見せ方があるように思える、と言われる。もっと量が必要だということだったので、以前作った、写真100枚を並べた『TOKYO LANDSCAPE』を見せる。こっちのほうが「マッチベターだ」と言われるも、そこから会話にならない。
ノートを差し出し「重要だと思われることを書いてください」とお願いする。書き終わったところで規定の20分が終了。疲れた、ぐったりだ。全てにいい評価を期待していたわけではないが「なぜこの見せ方なのか」という当たり前にしてもっとも重要な問いに答えられなかったことが悔しい。
2番目のレビュワーはアルルフォトフェスティバルを主催する女性キュレーターだった。彼女は『traverse』をじっくり見てくれて、その中に広がる世界観がいいと言ってくれた。ただし『TOKYO LANDSCAPE』を見せるならもっと大きなサイズであるべきだと、ひとり目のレビュワーと同じことを言われてしまう。厳しい言葉が並ぶ。それに対しての反論の言葉が浮かんでこない。何もできぬまま時間は終了した。
アルルに写真を持っていこうとした時、簡単に運べるという理由だけで新作写真集と手作り製本のものを持っていこうと思った。それで十分な気がしていたのは事実だ。しかしアルルはそんなに甘くはなかった。「その写真にあった見せ方を」いつも自分が言ったり書いたりしていることを、自分ができていなかったことに気がついた。
午後5時半に本日最後のレビュー。会場に向かう足取りが重い。しかし「アルルに来たのは何か意味があるはずだ」と自分を鼓舞する。レビュワーはイタリアの大学教授。彼は今までの誰よりもゆっくり写真集を見てくれて、ゆっくりとした言葉で感想を語ってくれた。「しきりにヨーロッパでは見せたことがあるのか」と聞いてくる。「ない」と答えると、彼は何度も「ヨーロッパで見せろ、Should be go west」と繰り返した。
ドイツのブックフェアに持って行くことを薦める、とも言ってくれた。なんだか前向きな話に嬉しくなる。『TOKYO LANDSCAPE』を繰り返し見てくれているうちに終了時間の合図があった。今回は笑顔で握手を交わし、ネームカードが欲しいと言われたので日本から持っていったアドレス入りの「手ぬぐい」を「日本のタオルだ」と言って手渡した。
緊張の1日目はこうして終了。まったくといっていいほど手ごたえは感じられない。英語でまくし立てられると、途中から何を言われているのかわからなくなる。もっと要点を絞って話してもらわないと、レビューを受ける意味がなくなると感じた。よく聞かれるのが「ところで、君は僕に何を言って欲しいんだい?」という質問。日本では聞かれたことがないだけに戸惑った。この答えには、たとえばヨーロッパで写真展をやりたい、雑誌を紹介して欲しい、この写真は仕事に繋がると思うか、と直接的な返答でいい。
会場はもっと楽しい雰囲気なのかと思っていたら、いざレビューが始まるとビリビリとした緊張感が漂っていた。息抜きで外に出たところで参加者とちょっと話すくらいで、会場内では皆、視線を合わせようとしない。ただの「写真を見てもらう場所」というのではないことが初日でわかった。ここは、EU圏の写真家が仕事をもらいに来ている場所だ。参加者に年配の人が多いのには驚いた。
■ イタリアのレビュワーから認められた『traverse』
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ポートフォリオレビュー会場前にはソニーαのデモカーが
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レビュー2日目の朝。シャワーを浴びていると、顎下に伸ばしている髭が気になった。昨日の気分を一新するためにすべて剃り落とす。さっぱりした。朝ごはんをしっかり食べ会場に向かう。午前中に3本の予定だ。
会場には出口こずえやグイード夫妻の顔も見える。皆でレビュワーの情報を交換しながら順番を待つ。僕の1番目のレビュワーは、「ヨーロピアンベストフォトエディター」を受賞しているジョバンナだ。エントリーするときにプロフィールを見て一番気になった人だ。
挨拶を交わし握手をすると、彼女に対し「申し訳ないが自分は英語が苦手です。ゆっくりとわかりやすい言葉で話してください。そしてあなたが僕に対して重要だと思われることは、このノートに書いていただけますか。それでは最初に、今回の写真のキャプションを読んでください」と伝えた。
彼女は頷くとキャプションに目を通し、ゆっくりと『traverse』を見始めた。途中何も語らず、丁寧に目を通している。なにやら呟いている。何を言っているのか耳を近づけると、それに気づいた彼女は「ごめんなさい。とても素晴らしいものだから」彼女は何度も「エクセレント」と言ってくれた。
見終わると『TOKYO LANDSCAPE』には目を通そうともせず、なにやらノートに書き付けている。ノートは細かい文字でびっしり埋まっている。熱心に書き付けた後、話しかけようとしてくれたが、僕の顔を見ると、込み入った英語は通じないと思ったのか、差し出してあったノートに書こうとした。そのときグイードの奥さんが慌てて飛んできて「もしかしてあなたはイタリアの方ですか。私はイタリア語がわかるので彼の通訳をします」と言ってくれた。
重かった雰囲気が一気に和み、レビュワーは一気に話し始めた。彼女が通訳してくれる内容は、自分にとって信じがたいものだった。
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traverseの表紙
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「この写真集は素晴らしい。ひとりの人間が生まれた場所を離れて都会に出て、そして海外へ行く。何度も故郷と東京と海外往復し、最後にはまた生まれた場所に戻るセレクションはとても共感が持てる。モノクロからカラーに、そしてまたモノクロへと繋がるグラデーションも素晴らしい。なにより本自体のつくりが最高だ。特に表紙は素晴らしい。物として私はこの本が大好きだ」と言ってくれた。
僕は思わず顔を手で覆ってしまった。そうしないと涙がこぼれそうだった。自分が作った本を理解してくれた人が、海外にいた。しかも編集のプロが認めてくれた。体中がザワザワと痺れるような感覚におちいった。
そして続けざまに「私は今、日本の写真家を探している人物を知っている。彼は日本の上田義彦や田原桂一をヨーロッパに紹介した人だ。あなたを彼に紹介したいと思う」と言ってくれた。彼女のノートに連絡先を書いてくれとノートを渡された。アルルにいるときに連絡がつくかと言われ、電話番号を教える。資料として『traverse』を2冊彼女に渡した。いつのまにか予定の時間を過ぎていた。次の人が後ろで待っている。両手で彼女の手を包み込むように握手をして別れた。
戻っても興奮は冷めなかった。誰かに認めてもらえるのがこんなにも嬉しいものだとは。アルルに来てよかった。『traverse』は大丈夫なんだ。通訳をしてくれた誠子さんに感謝だった。2日前に出会ったばかりなのにこんなに助けてもらえるなんて。彼女は「だってすごく緊張しているのがわかるんだもの。それに何も喋っていないみたいだったし」と笑っていた。でももう大丈夫。もう怖くない。自信を持ってレビューに臨むことができる。
その後2人のレビューでは、ただ聞いているだけではなくて、反論することもできた。「私はこう思う。こう作った」。それに対してレビュワーは「でも私にはこう見える。写真家の仕事としてこうあるべきではないか」と言ってくる。つたない英語でしかないがその時間は楽しかった。ひとりが認めてくれただけで自分の中に『traverse』に対する確信が生まれたのだ。
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毎夜、自由参加のパーティが中央広場である。各国写真関係者の交流の場所だ
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パーティではムービーやスライドーが上映される
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■ 高評価は即、パリのビエンナーレ出展へとつながった
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ビエンナーレの展示関係者との打ち合わせ
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レビュー3日目。会場に行くと昨日評価してくれたイタリア人レビュワー、ジョバンナが「今日11時半に合わせたい人物がいる」と言ってきた。レビューを受けながら待っていると、大柄なフランス人男性がやってきて「ジョバンナから話は聞いている。写真集を見せてもらった。10月から始まるパリフォト期間中、美術館が主催するビエンナーレに参加してくれる日本人写真家を探している。しばらくアルルにいるのか」と聞かれた。明後日には帰ることを伝えると彼は電話をかけ始めた。「ちょうど今、パリフォトの関係者がアルルにいた。13時に広場に行ってくれ」。
広場に現れたのは、年配の女性と男性のふたりだった。先ほど会場で会った男性も一緒に来てくれた。カフェのイスに座り、すぐに本題へと入っていく。10月末から11月末までの1カ月間、世界中の写真家を集めてエキシビションを行う。会場はセーヌ川沿いのオープンスペース。展示する枚数は、ひとり12枚程度。私たちはちょうど日本人の写真家を探していた」ということだった。
ふたりに『traverse』を渡し写真を見てもらう。どんな印象を持っているか気になってふたりの顔を見てしまう。彼らは見終わると「とてもいい仕事だ。是非エキシビションに参加して欲しい。出展してもらう写真はこの写真集からセレクトするから連絡先を教えてくれ。詳しい契約内容は月曜日にメールを出す」。アルルの一番賑やかなゴッホカフェ前広場で、3人のフラン人からエキシビションの依頼を受けるなんて。初日の沈みようが嘘のようだ。
会場に戻りレビューの続きを受けると今度は「今ここで確約はできないが、私は韓国で開かれるエキシビションのオーガナイザーをしている。おそらく、としか言えないが参加してもらいたい。連絡先と資料が欲しい」と言われ写真集を渡した。パリフォト参加依頼の後だっただけに、続けざまの幸運に驚いた。
午後6時、最後のレビュワーはパリで写真ギャラリーを開いている人だった。彼は「昨日ジョバンナから写真集を見せてもらっていました。写真の中にとても好きなイメージはあります。特にモノクロームの仕事は素晴らしいと感じます。でも僕にとってこの写真集の構成はストレンジです。ディフィカルトに感じます」。
それに対し僕は、なぜ場所によってフォーマットやカラーとモノクロを使い分けるのかを説明した。僕にとって場所が変われば見え方が変わる。同じフォーマットで撮るほうが自分にとって不自然なのだ。今回はバラバラなものをあえて組み合わせてみた。これは僕にとってのチャレンジなのだと伝えた。最後は和やかに雑談までできた。10月にパリフォトに参加したときにはギャラリーに行くことを約束して別れた。こうして3日間10人のレビューは終了した。
■ レビュワーと写真家の「真剣勝負」で道は開ける
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土曜日の夜は、深夜までいたるところでイベントが続く。このモニターマンは人気者だった
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アルルに来る前、東京で「どうせ英語で話されてもなにもわかんないから、ちょっとでもお世辞を言ってくれたら『traverse』アルルで大絶賛、ということにしておくよ」とうそぶいていた。
でも実際はそんなに甘いものではなかった。見てくれるレビュワーは全員真剣だ。見せるほうも真剣に自分の写真を説明しなくてはならない。「なぜ、なぜ、なぜ」との問いかけに自分の持つボキャブラリーをもって相手に伝えなければならない。セレクトのちょっとした緩みや甘さは確実についてくる。そして「なぜこれをセレクトするのか」と問われる。
ひとつ僕が間違っていたのは、アルルのフォトレビューは、ただ写真を見てもらう所ではなくて、レビュワーが自分と合う写真家を探している場所だったのだ。入社時の面接にとても似ている。自分を売り込み買ってもらうのだ。履歴書の代わりが写真だ。しかしこれまでの経歴や、まして学歴など一切聞かれない。目の前にある写真をレビュワーが気に入るかどうかだ。だから「この写真はいいとは思うが、自分にとっては興味がない。悪いが自分のところでは扱えない。ほかをあたってくれ」という言われ方もする。逆に気に入ってもらえれば今回のようにすぐに物事が動く。
この時期のアルルにはヨーロッパ中の写真関係者が集まってくる。だから話が早いのだ。普段ならアポイントを取るのが大変なメンバーが電話1本で繋がってしまう。
結局日本から参加したのは我々だけだった。名簿に載っていた日本人名は、海外在住者だった。今回僕がラッキーだったと思えるのは、日本人がアルルではマイノリティだったことだ。日本の写真家を探している人に対して、とてもアピールしやすかったわけだ。
今回アルルに来てレビューを受けるためにかかった費用は、飛行機代と宿泊代を合わせて約40万円。高いと思われるが、これはちょうど日本で写真展を開く費用と同じぐらいだ。
もしかすると、日本で写真展を開かずに、アルルに見せにくるのもひとつの有効な手段かもしれない。なによりも、10人のレビュワーに見てもらうのは意義がある。10人のうち、ひとりでも認めてくれれば先が開ける。そこがアルルに人が集まってくる理由なのだ。同行者のふたりが同じことを呟いた。「まるで戦いですね」。そのくらいの気持ちが必要な場所だった。
なお、28日まで、写真展「traverse」を、東京 中野のギャラリー冬青で開催しています。
【お知らせ】7月20日(金)19時30分より、東京 中野の「ギャラリー冬青」にて、渡部氏がアルルでの体験を語るトークショウを開催します。本稿では語られていないこと、掲載されていない写真も公開されます。
トークショウには写真集「traverse」を購入された方のみ参加可能で、当日会場で写真集を購入することもできます。事前予約制なので、ギャラリー冬青までお申し込みください。定員は35名です。
なお、7月28日まで同ギャラリーで写真展「traverse」を開催中です。
ギャラリー冬青 http://www.tosei-sha.jp/gallery-top.htm
■ URL
渡部さとる
http://www.satorw.com/
Rencontres d'Arles 2007
http://www.rencontres-arles.com/
アルル観光局
http://www.tourisme.ville-arles.fr/jp/index_jp.php
渡部氏と同行した川上氏のブログのアルル関連エントリ
http://iq3.cocolog-nifty.com/kagami/road_to_arles/index.html
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渡部 さとる (わたなべ さとる) 1961年山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポ-ツ新聞社に入社。スポーツ、報道写真を経験。同社退職後、フリーランスとして、雑誌、写真集などでポートレートを中心に活動。 著書に「旅するカメラ」などがある。
http://www.satorw.com/ |
2007/07/17 13:46
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