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連載バックナンバー
【Case-41】橋詰雅代の場合
[2007/03/19]

【Case-40】廣瀬友香の場合
[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-31】仁藤麻衣子の場合



 東京都内の西部地域で生まれ育った3人兄妹の末っ子です。上は5つと4つ違いで、2人とも兄です。わたし1人だけが女の子だったので、小さい頃はいつも兄たちのプロレス技の練習台にされていたような記憶が……だから兄2人という環境もあって、小さい頃のわたしは今からは想像もつかないと思われるくらいに男勝りで、負けず嫌いな態度でもありました。その事は、小学校の担任の先生が、卒業式の時に生徒1人1人に綴った手紙の中にも書いてあったくらいでした。

 それが尾を引いたのか、中学高校も運動部に所属して毎日汗をかいて顧問の先生に泣かされ、筋肉痛に苦しみ……。普通だったらそこで「仲間との友情が……」とか何だか素敵な話がありそうなのに、そんな思い出がひとつも思いつかない。忘れてしまったのか、それともそんな思い出がまったくなかったのか?

 自分はいつまでも負けず嫌いな性格と思いつつも、いつの間にかそんな性格はどこへ行ったのやら。気づいたら周りからは「おっとりしてる」なんていわれるように変貌してしまいました。はじめは「そんなの嘘だって」って自分では思いつつも、まぁ、相手がそう思っているなら自分は「そうなのだろうか?」と思い始めました。周りの人が思っている以上にわたしはけっこう壊れそうなくらい焦っていることもあるんだけれど……。


 2001年、ずっとずっと行きたいと思っていたアメリカに上陸しました。理由は覚えてないけど、中学校の頃くらいからすでに自分は海外に行くもんだと思い込んでました。行きたいと思ったからって簡単に行けるものでもないけど、2001年にとうとうその希望がかなった。行った先はニューヨーク州。ニューヨークなんていうとたいていの人はマンハッタンを思い浮かべるけど(実はわたしもそのひとりだった)、わたしが2年間住んでいた場所はマンハッタンから車で約4時間くらい行ったところで、大都会の方のマンハッタンに次いで犯罪が多いと言われた町だったそうです。

 数字の上ではそんなことになっているし、まぁ、実際ひとりで歩いていてたらちょっと怖いかもって感じたことは何度かはあったけど、わたしを含め同じ留学仲間の誰も危険な事件に巻き込まれることなく済んだので良かった。

 今のわたし自身を語るとしたら、大げさに言ったら私の人格を形成する上で欠かせないのが、このアメリカ留学時代であるのは間違いないと思われます。留学前に比べての大きな違いは、良い意味で「ちょっと適当な性格」になったこと。これは仕事にも通じることだけど、たとえば、無理に「その瞬間」という枠にはめなくてもいいんだって思えるようになったことでしょう。

 日常の生活の中で起こりうることでいったら、前までは待ち合わせの時間には必ず間に合うように、むしろ5分前行動は当たり前。今は、遅れることが悪いと思わないわけじゃないけど、以前よりも力が抜けたかな。はじめは学校でアメリカ人の生徒が当たり前のように授業の途中で入ってきたり、トイレに行きたいから途中で抜ける、とか言う行動が許せなくて、逆に気に障って集中できなかったけど、自分がする、しないに関係なく、「あぁ、そういうもんか」と納得してしまえばいいのか、という風に思えてからは、それまで気に掛かっていたいろんなことに対して気が楽になってきました。



 その留学から、2004年に日本へ帰ってきました。何もないわたしが選んだ道は派遣社員という道でした。わたしは初めて会う人に自分をアピールすることはとても苦手で、何度か会社の面接も受けたことがあるけれど、いつも終わった後に「あー失敗! アレ言い忘れた!」なんて反省するばかり。派遣っていう制度は1度登録をしておけば、自分の希望する仕事スタイルや自分の能力にあった仕事を紹介してくれるし、面接でも派遣会社のスタッフも一緒にいて(必要なときは)フォローも入れてくれる。この派遣会社の人はどうしてわたしのことをそんなに知っているの!? と思えるほど今までの派遣先(今のところで3社目)は面白い人に恵まれてきました。何だかわたしの性格やノリがバレているようで、毎日笑いがないと辛いわたしにとっては最高に嬉しい出来事なのです。

 今の派遣先は大手メーカーで、働き始めて7カ月くらいです。わたしの仕事は、海外のとある1カ国を担当している人のアシスタント業務。その国の国民性なのか、締め切りを平気で遅れたり、毎日のコレポン(コレスポンデンス:仕事上の対応分析などのやりとり)のトピックを無視してきたりとか、ちょっとクセのある国で対応していて腹立たしいことももちろんあるけど、かわいらしい一面があって面白い。小さな国で、わたしの操作ひとつで彼らのオーダーを入れたりするのって実感はないけれど責任重大だし、ワクワクして楽しい。

 楽しいと言えば、仕事だけじゃなくて、職場の同じグループのメンバー。これまでのアルバイトでもそうだったけど、今まで経験してきたいろんな職場の人たちにはとても恵まれていると思う。どこへいっても面白い人揃いで、毎日を笑いながら仕事が出来ること、コレは本当にラッキーだと思っています。今までのわたしは運と勘(感)だけで生きてきたようなものなので、これからもきっとそうなんだと思います。


 すごくお酒が強くて、とても優しい話し方をする女性だというのが第一印象の彼女。確かに麻衣子ちゃんは「おとなしい性格」なのか「負けず嫌い」なのかわからない人だ。おそらくその『どちらでもある』のだろう。おとなしい人=弱い人、では決してないから、性格と態度は必ずしも一致するとは限らないのだと思う。ある意味、自由本望に生きていくことが自然体なのではないだろうか?

 今回は単体レンズに混じって、久しぶりの長玉ズームの登場だった。このところ単焦点が多かったために、F2.8のズームレンズの重さには肉体的に参ってしまった。身体を鍛えなければ! と心に誓った。いや、誓いたい、誓わねば、と思った……。


使用機材
Canon EOS 5D
EF 24mm F1.4L USM
EF 35mm F1.4L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 85mm F1.8 USM
EF 135mm F2L USM
EF 70~200mm F2.8L IS USM
Sandisk Extreme III



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/



HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。
http://www.harukiphoto.com/

2006/11/27 00:00
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