デジカメ Watch

【写真展リアルタイムレポート】浅井慎平写真展「hello good-bye」

~自分が納得できるポートレートがこれだ
Reported by 市井 康延

浅井愼平さんが考える写真家の能力のひとつは「瞬発力」。「スナップを撮るとき、いろいろな判断をするんだけど、すべてを見て決めているわけじゃない。感じるんだよ」
 浅井愼平さんは文句なくカッコいい写真家の1人だろう。外見ももちろんそうだが、その立ち位置や振る舞いなどが、いつの時代でもちょっとオシャレなのだ。

 浅井さんは言う。「時代のほうがやるべきことを教えてくれる」と。そして「写真家はほかの人より感じる力が強いんだと思う」とも。

 今回、写真展と写真集で発表されたポートレート・シリーズは、1960年代から70年代にかけて撮影されたものだ。時代の空気に突き動かされて撮影された写真たちが、いま、改めて時代の雰囲気によって押し出されてきた。会場に立つと、それがわかるはずだ。

 浅井慎平写真展「hello good-bye」の会場はギャラリー冬青(東京都中野区中央5-18-20)。東京メトロ・丸の内線の新中野駅から徒歩6分。JR/東西線の中野駅からは徒歩12分。会期は2008年4月1日~30日。日曜、月曜、祝日休館。開館時間は11~19時。最終日は14時まで。入場無料。


表通りから細い道を入った住宅街の一角にギャラリー冬青はある
門を入ると、住宅街とまた違う静けさに包まれる

ほとんどは60~70年代に撮った

 写真集のタイトルは「good-bye Shimpei Asai 1966-1989」。浅井さんの友人や知人のポートレートに、街のスナップを時折、はさみこんでいる。写真はすべてモノクロだ。「ポートレートだけだと単調になる。室内で撮ったものばかりだから、時折、見る人を外に連れ出したくってね」。

 会場のメインスペースに展示したのは、写真集から選んだ20点のポートレートだ。入口入ってすぐのエントランススペースには、パルコの宣伝で話題を呼んだチャック・ベリーを撮った1点と、スナップなどが並ぶ。

 ポートレートはオリジナルプリントの販売をしていないが、購入できるプリントを用意するという、ギャラリー側と来場者へのファン・サービスでもある。「タイトルは1989年までになっているけど、ほとんどは60~70年代に撮ったものです。発表することはまったく考えず、ちゃんとしたポートレートが撮りたい思いで、仕事の合間に撮っていました」。


伊丹十三じゃなく池内義弘を撮りたかった

このポートレートシリーズで初めて撮ったのが、当時最も仲の良かった伊丹十三さん
(c)Shimpei Asai
 「生意気な言い方になりますが、感心しないポートレート写真が世の中にたくさんあったからです」。撮り始めた理由の1つをそう説明する。そのころはメイクや衣装、背景の小道具、セットなどで飾り立てたポートレートばかりが流通されていた。「だから何も演出を加えず、その人そのままを撮ろうと決めた。人がどう思うかは考えていなかったけど、別な意味で気合いが入っていたね。自分が納得できる写真を撮ろうと思っていたから」。

 現場に遊びにきた友人を撮ったり、仕事の写真を撮った後で相手に「プライベートでの撮影ですが……」と断って撮ったりした。それはケースバイケースだ。

 最初に撮ったのは、故・伊丹十三さん。当時、最も仲の良い仲間で、毎晩、一緒に飲み歩いていたから、現場に遊びにきたときに撮ったのだろうと振り返る。「伊丹さんは本名が池内義弘っていうんだ。伊丹十三じゃなく、池内義弘を撮りたかった」。


この撮影で指示はまったくしていない

 この撮影では何の指示も出していない。ただ「そちらへどうぞ」と立つ位置を示すか、用意したテーブルと椅子を指して「そちらにお座りください」というだけだ。そして三脚につけた6×6のカメラで撮る。「この撮影では、あまり枚数は撮っていない。多くて3本(ブローニーフィルムなので36カット)、少ないと1本。大体、いい波は2回しかこないから、それ以上粘ってもダメなんだ」。

 渥美清さんは仕事の撮影の後に撮った。「渥美さんは本名が田所康雄って言うんだよ」と浅井さん。テレビやスクリーンなどでは、つねに喜劇俳優として流布されていたイメージを大切にしていたという渥美清さんだが、この1枚はそれまでに見たことのない表情を覗かせてる。「ぎりぎりのところで、僕へサービスをしてくれているんだよね」。

 浅井さんが撮った1人1人を見ていくと、それまでと違うイメージを発見するはずだ。「ある人に、僕に撮られるのはイヤだって言われたことがあるよ。そういえば、秋吉久美子さんはこの写真を嫌がっていたね」と笑う。


ポーズも本人任せだ
(c)Shimpei Asai
ガラス面に展示されているのは三木のり平さん。スリッパで木箱の上に載っているのだが、本人はそこまで写されてしまうのを知らない。「そのギャップがのり平さんらしくて面白い」と浅井さん

ビートルズの撮影は感じるままに撮っていた

ビートルズのみ展示はカラー。写真集ではモノクロで掲載され、それもまたいい感じだ
 会場にはビートルズの4人を撮った4点もある。展示はカラーだが、写真集はモノクロで掲載している。「繰り返しになるのがイヤだったのがひとつ。あと、この写真集は過去であることを意識してやってみようと思った」。

 このときの撮影では、何もかもが不確定なことばかりで、正しい方法論など見出せるはずはなかった。ただその中で感じ、自ら判断して行動した。「ステージでは露出すらわからない中で、トバし気味に撮ろうという意図で撮り、ホテルではビートルズが見たであろう視線をイメージして撮っていた。そのときに感じたものに反応して撮っていたから、この写真が今のような形で残っているんじゃないかと思っています」。

 ビートルズが来日したとき、最初に彼らの音楽を認めたのはティーンエイジの女の子だった。「作曲家の中村八大さんが『わからないが、何か魅力があることは感じる』とおっしゃっていた。横尾忠則さんも当時は『わからない』と言っていた」と浅井さんは証言する。音楽が時代の流れを作ってきていたのだ。ある時までは。「ミュージシャンが意識してやっていたのではなく、彼らは装置として機能していた」。

 彼らは感じ、表現していたのだ。浅井さんはレゲエを日本に紹介した人なのだが、それはロンドンのブティックで耳にしたという。すぐにジャマイカに渡り、レコードを買い集めてきた。「日本に受け入れられるまでに3年ぐらいかかったね」という。今でも海外に行くと、浅井さんは最初にラジオを聴くという。その国のいまが感じられるからだ。


もう一度、ポートレートが撮りたくなってきた

エントランススペースにはチャック・ベリーとスナップ写真が並ぶ
 今回の写真展の発端は、四谷のポートレートギャラリーで2006年1月に開かれた写真展「銀塩肖像 1966-1977」だった。ギャラリーから展示の依頼があったとき、ギャラリー名を聞いて、ポートレート写真を出さなければいけないと浅井さんは思い込んだ。「実際は、ギャラリーでは僕がポートレートを撮っていることなんて知らなかった。偶然が作用しているんだね。銀塩写真の良さを改めて見てもらいたいと思っていたときだったので、喜んでやらせてもらった」。

 その展示が今回の写真展と写真集につながった。「思ったり、願ったりすることって、結構実現するもんだよ。実はずっとポートレートは撮っていなかったけど、今回、これをまとめてみてもう1度、ポートレートを撮ってみたい気になっているんだ」。

 魅力的な人がいなくなったと思っていたが、以前、撮れなかった人もいるし、撮りたい人がいないわけではない。感じる力と、瞬間の判断力を磨くためには、つねにちゃんとモノを見ていることだと浅井さんは教えてくれた。その力を楽しみながら鍛えられる空間がここに用意されている。



URL
  ギャラリー冬青
  http://www.tosei-sha.jp/



市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。灯台下暗しを実感する今日この頃。なぜって、新宿のブランドショップBEAMS JAPANをご存知ですよね。この6階にギャラリーがあり、コンスタントに写真展を開いているのです。それもオープンは8年前。ということで情報のチェックは大切です。写真展めぐりの前には東京フォト散歩( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp/ )をご覧ください。開催情報もお気軽にお寄せください。

2008/04/07 15:47
デジカメ Watch ホームページ
・記事の情報は執筆時または掲載時のものであり、現状では異なる可能性があります。
・記事の内容につき、個別にご回答することはいたしかねます。
・記事、写真、図表などの著作権は著作者に帰属します。無断転用・転載は著作権法違反となります。必要な場合はこのページ自身にリンクをお張りください。業務関係でご利用の場合は別途お問い合わせください。

Copyright (c) 2008 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.