デジカメ Watch

【写真展リアルタイレポート】渡部まなぶ写真展「都市再生 千フィート今昔」

~空からの定点観測で痛感する写真の記録性
Reported by 市井 康延

自作の4×5カメラを手にした渡部まなぶさん。後ろに見える作品は新東京国際空港だ
 渡部まなぶさんは、数少ない航空写真家の1人だ。そのキャリアは約40年を越し、これまでの飛行時間はゆうに3,000時間を下らない。文字通り、日本全国を飛び回り、上空から都市の変化を見続けてきたのだ。

 ここでは日本の都市約30カ所を記録した2枚の写真を対比して見せる。1枚は1970~80年代の姿で、もう1枚は昨年9月から今年にかけて撮影したものだ。

 高度成長を経て、都市の近代化が叫ばれた時代も、今になれば「古きよき時代の懐かしい風景」になった。では、どこがどう変わったのか。普段見ることのできない数十年の時をまたいだ都市のポートレートは、多くの発見と示唆を与えてくれるはずだ。

 「都市再生 千フィート今昔」は5月18~24日まで、富士フォトサロンで開催される。会期中無休。開場時間は10~20時(最終日は14時まで)。入場無料。


横浜はかつて造船の街だったんだ

 百聞は一見にしかず。一例をあげて、この写真展の見どころを紹介しよう。下の2枚はご存知、現在の横浜みなとみらい地区だ。1978年に撮影した写真の、中央に見える三菱重工業横浜造船所は、この翌年、操業を止めている。


1978年1月に撮影した横浜の造船所。現在では「みなとみらい21」と呼ばれる地区
左と同じ場所を2006年12月に撮影。まったく同じ場所から写せばいいわけではないところが、航空撮影のポイントのひとつ。日本丸が見えるように、少し西から撮影した

 ぱっと見ただけでは、まったく違う街にも思えてしまう写真だが、よく見ていくと斜めに海を渡る道と橋、海岸線の形など、変わっていない部分が眼に入ってくる。1978年の写真の中央左にあったドックが、日本丸メモリアルパークになっているのもわかる。

 以前の撮影位置からだと、日本丸がビルの陰になってしまうため、少し西から撮影したという。1978年の写真では中央下にある赤レンガ造りの帝蚕倉庫が、新しい写真では右手上に移動しており、そこで撮影位置の違いも感じられるだろう。

 この2枚の写真で気づいたことは、かつて横浜は造船の街だったという事実だ。そしてそれが30年弱の時間の中で、すっかり街の性格を変えてしまっている。これは街を俯瞰して見るからこそわかる、街の顔だろう。そして1978年の写真にもある海岸通団地(新しく建てられた横浜第二庁舎のビルの陰に見える8棟の建物)も、現在、建て替え事業が進められている。

 「都市の再生は終わることなく、延々と繰り返されています。1人の写真家ができるのは、その一時期を記録することだけですが、その姿を残す義務がある。その想いから今回の写真展と写真集を企画しました」と、渡部さんは話す。


水道橋駅北側の後楽園球場と競輪場。1972年12月撮影
最近の都市の写真は全体的に白っぽく見える。2006年10月撮影

 渡部さんがフリーになった1960年代は、百科辞典のブームだった。写真もモノクロからカラーに切り替わる時期で、学習研究社がプロジェクトチームを組んで、日本地理の撮影をスタートさせた。そのメンバーに渡部さんは選ばれ、全国の撮影を始めたのだ。

 「当時は臨海工業地帯、コンビナートを撮ることが多かった。この被写体は地上から撮るのは難しい。大きすぎて捉え切れないんですよね。それで上にあがるようになった」。

 そのとき、撮影に使ったのはセスナ機。当時で1時間の使用料は2万円ほど。ヘリコプターだと、その4倍近くかかる。現在だとセスナは8万円、ヘリは30数万円が相場であり、このコストの高さが今も昔も航空写真のネックだ。「初めてセスナに乗ったときは見事に失敗しました。身体にかかる重力(G)に慣れずに、撮影にならなかったのです」。

 重力がかかると、内臓が押しつぶされそうな痛みがあるという。失敗した1度目のフライトは経費で支払ったが、2度目のリベンジ飛行は身銭でチャーターした。その写真家の気概が重力の壁を吹き飛ばし、撮影は無事行なえたという。

 その後は、継続的に全国を空から撮影していった。一時は、中日本航空と年間100時間のフライト契約を結んでいたそうだ。「学研の仕事のほか、個人のライブラリー事業も始めました。出版社や文部科学省はいつも最新の写真を要求してくるので、撮影は頻繁にやっていましたね」。

 撮影エリアは全国で、移動は自動車を使うため、自然と日本国内の地理の知識は蓄えられていく。それが、次に撮る場所や撮影ポイントの選定にも生きてくる。


機上では身体でブレを吸収して撮影

 セスナでの撮影は操縦席の後ろの席で行なう。膝を座席に付けて、脇を締めてカメラをホールディングし、身体でブレを吸収しながら撮影するのだ。「パイロットも撮影飛行のプロですから、乗るとまず『今日のレンズは何mmですか』と聞いきます。撮影場所に行き、どう撮りたいかをパイロットに伝えると、それにあわせたコースを飛んでくれる。撮影ポイントに近づき、それをパイロットに知らせると、減速してくれるんです。機首を上げて、主翼で抵抗を作るんですね。減速の仕方と、撮影ポイントを伝えたときの反応の具合がパイロットによって違いがあるので、その癖を知ることも大事です」。

 撮影は一貫して4×5のフィルムカメラを使ってきた。35mmではカメラを握った感じが頼りないため、使わない。

 空撮での敵の一つは風圧だ。カメラを機外に出して撮影するため、蛇腹のあるカメラは風圧で変形してしまう。その風は、装填したフィルムの片側を浮かせてしまうほどなのだ。「リンホフは僕の腕力では重過ぎる。それでパーツを組み合わせて自分でカメラを作りました」。

 ボディは軽くて柔らかいバルサ材を使い、表面にガラス繊維とFRPという素材でコーティングした。FRPは漁船の船体に使うもので、この重層塗布により金槌で叩いても壊れない強度が出るという。

 それに150mmのフジノンレンズ、マミヤプレスのグリップ、ホースマンプレスのファインダー、トヨビューのホルダーを付けた。レンズ部は2mm厚のアルミ板で保護している。
 機上ではタフな使われ方をするカメラだが、故障することなく、渡部さんの撮影をサポートし続けている。


写真展会場で、自作の愛機を取り出し、空撮の魅力を熱く語る渡部さん
レンズ部の保護はアルミ板、ボディはバルサ材に特殊加工を施し強度を上げている

飛ぶときの条件のひとつは視程40km以上

写真展では、写真集から選んだ約30カ所を全紙サイズで展示。その迫力を楽しみ、細部まで眼をこらして見てみよう
 航空撮影で重要なのは、何よりも天候だ。クリアに遠くまで撮影することが大前提だから、曇り、雨は論外。それと大敵なのはスモッグ。

 飛行場にはパイロットに風速、雲の種類と高さなどを知らせる空港測候所がある。そこで発表する数字で、渡部さんが重視しているのが「視程」と呼ぶ数字だ。「水平に見たときに何km先まで見通せるかを示す数字で、これが40km以上ないと飛びません」。

 写る範囲が広い航空写真の場合、視程40km以下では写真の上の部分がスモッグに隠れてしまう。東京から富士山までが約100kmなので、ごくまれに都内から富士山が見えるときは「視程100km」ということになる。


大阪南港かもめ埠頭。かなたに見えるのが生駒山で、街と山稜の間に白くあるのがスモッグ。視程25kmで捉えた1枚がこれだ
 「今、最も撮りにくいのは大阪です。黄砂だけでなく、中国からの汚れた空気が流れてきて、地形上、大阪にたまるんです。大阪では49日間、天候待ちした記録がありますよ」。

 今回、写真集にまとめるため、これまで撮影した都市の中から52カ所をピックアップし、昨年9月から最新版の撮影を始めた。その撮影が今年2月までかかってしまったのだが、それは天候待ちが予想以上にあったからだ。大阪はぎりぎりまで待ち続けたが、時間切れで、1日だけ視程が25kmまで回復した日に飛んだという。それでも、後日、大阪の航空会社に聞くと、その日以降、視程が25kmまでになった日はなかったという。

 そのスモッグを払ってくれるために、風はある程度、吹いていることが必要らしい。風速では15~16ノット(8m)ぐらいがベストという。「強風は別に怖くありません。安定して吹いていれば対処できます。怖いのは突風です」。

 航空大学校を出たある若いパイロットと飛んだとき、横浜の撮影で雲が出てきたため、富士山に向かうことにした。「そのとき彼は一直線に富士山に向かってしまったため、押さえ込みの風(強い向かい風)に入ってしまったんだね。操縦不能になってしまい、彼は真っ青な顔をして『ダメだ、ダメだ』ってパニックを起していた。『機首を下げて、逃げるんだ』って大声で教えて、回避できたけど、そのままだったら墜落していたよ」。富士山に向かうときは通常、その風を避けるため、南西から入るのが常識だという。


一部のフィルムはすでに褪色、その展示も

 渡部さんが、都市の変貌のスピードの速さをとみに実感したのは、新宿副都心の開発が進み始めてからだという。2~3カ月で街が変わってしまうのだ。

 「昔、撮ったフィルムを見ると、褪色して、真っ赤になっているものがいくつもあった。それを見て、一層、この都市の記録をちゃんと後世に残さなきゃいけないと思いました」。今回、褪色したフィルムはデジタル画像処理で色を復元し、デジタルプリントで出力した。新しく撮影したものや褪色していないカットは、フィルムからのダイレクトプリントだ。「実はずいぶん前に、褪色したフィルムを捨てたことがある。デジタル技術がこんなに進歩するとは思わなかったからね。もったいないことをしたよ」。

 今回、その褪色したフィルムを会場に展示して、どこまで画像処理で色がよみがえったかも見てもらうという。


デジタルカメラの勉強も始めた

 今後も渡部さんは都市の記録は撮り続けていくわけだが、その撮影はやはり4×5カメラを使い、フィルムに残すそうだ。デジタルカメラを使うことはまったく考えていないのか、再度、問いかけると、実は勉強は始めたんだと苦笑いしながら教えてくれた。

 「キヤノンのEOS Kiss Digital Xを買った。友人からは『もっとちゃんとしたカメラを揃えろ』といわれるけれど、技術の進歩が速いから、まずは一番手ごろなところでいいんだよ。解説書を読んで、ペットのシーズーとチワワを撮り始めたばかり。まだ空撮では使っていない。撮影した画像は厚みにかける感じはあるけど、犬の毛の1本1本がきれいに出る。ああ、こうやってみんな、デジタルカメラに移行していくんだなって実感しているところだよ」。

 新宿副都心をはじめ、東京駅周辺、有楽町、さいたま副都心、幕張……身近な街だが、空から見た都市の表情の変化は新鮮で見応えがある。またこの素晴らしいお手本を見ながら、自分で捉えられる都市再生の定点観測のアイディアを練るのもいいかもしれない。まず最初の1枚を撮らなければ何も始まらないのだ。



URL
  渡部まなぶ
  http://www.geogra.net/
  都市再生 千フィート今昔
  http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/0705t.html#watanabe
  富士フォトサロン
  http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/



市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。灯台下暗しを実感する今日この頃。なぜって、新宿のブランドショップBEAMS JAPANをご存知ですよね。この6階にギャラリーがあり、コンスタントに写真展を開いているのです。それもオープンは8年前。ということで情報のチェックは大切です。写真展めぐりの前には東京フォト散歩( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp/ )をご覧ください。開催情報もお気軽にお寄せください。

2007/05/18 19:32
デジカメ Watch ホームページ
・記事の情報は執筆時または掲載時のものであり、現状では異なる可能性があります。
・記事の内容につき、個別にご回答することはいたしかねます。
・記事、写真、図表などの著作権は著作者に帰属します。無断転用・転載は著作権法違反となります。必要な場合はこのページ自身にリンクをお張りください。業務関係でご利用の場合は別途お問い合わせください。

Copyright (c) 2007 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.