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【写真展リアルタイムレポート】本橋成一「写真と映画と」

~写真は手間ひまかけることで伝わる思いが膨らむ
Reported by 市井 康延

映画を撮った理由のひとつは、音を表現したかったからだと本橋さんは言う
 リクルートは東京 銀座に「ガーディアン・ガーデン」(以降、GGと表記)と「クリエイションギャラリーG8」(以降、G8と表記)というふたつのギャラリースペースを持ち、写真とグラフィックアート作品の企画展を行なっている。その両ギャラリーを使い、毎年2回、定期的に行なっているのが、第一線で活躍する写真家のデビュー前後から現在までをたどる「タイムトンネルシリーズ」だ。

 今回、タイムトンネルシリーズで採りあげたのは、写真家であり映画監督である本橋成一さん。本橋さんの代表作はチェルノブイリ原発事故後の被災地で生きる人々をモチーフにした写真集と映画「ナージャの村」や「アレクセイと泉」だ。

 本展では、このシリーズを中心に据えながら、本橋さんの全体像を紹介していく。タイムトンネルシリーズの醍醐味は、個々の作品世界に触れられると同時に、写真家がなぜその作品を撮るに至ったか、その動機までかいま見られるところにあるのだ。

 「写真と映画と」は5月7日~6月1日まで。土曜、日曜休館。開館時間は11~19時(水曜日は20時30分)まで。入場無料。

 5月16日には「ナージャの村」と「アレクセイと泉」のフィルム上映会を行なう。1作鑑賞は800円、2作鑑賞は本橋さんのインタビュー小冊子付きで1,500円。

 さらに写真家とゲストのトークショーも実施され、5月15日はブックデザイナーの鈴木一誌さん、5月23日は写真批評家の竹内万里子さんを招いて行なう。こちらは参加無料で、要予約。詳細はギャラリーのホームページを参照のこと。


タイムトンネルシリーズが面白い理由

 タイムトンネルシリーズは今回で24回目、採りあげた写真家は11名となる。そのすべてを見てきたわけではないが、筆者が足を運んだときには一度もハズレはない。採りあげられた写真家の活動ジャンルはさまざまだが、この展示ではいつも新しい発見と感動を与えてくれる。

 今回の本橋成一作品展もこれまで同様、見応えのある展示を見せてくれている。そして、このレポートのため、写真家とギャラリーに話を聞き、「タイムトンネルシリーズが面白い理由」を発見した。それはこの作品展の作り方にあった。


ギャラリー側は壁面ごとに作品を入れ込んだイメージ図を作り、写真家と話し合っていく。これは展示用の最終完成図
この図面をもとに壁に特殊な糸を張り、作品の水平をあわせながら展示を進めていく

 採りあげる写真家が決まると、ギャラリースタッフは、これまでのその写真家の作品を可能な範囲で調べ上げる。そうやって展示の大枠を作ったうえで、写真家と具体的に展示内容を決めていく。

 その作業で、重要な役割を果たすのが、写真家へのインタビューだ。このシリーズでは作品展にあわせて、作者が半生を語った小冊子を制作しており、展示準備とともに、その聞き取りも進められる。「ここでは代表作を紹介するだけでなく、写真家が悩んできたその浮き沈みや、考え方の変化を見せたいと考えています。だからインタビューをしていて、面白い話が出てくれば、展示プランに組み入れていきます」と、GGのチーフディレクターである菅沼さんはいう。

 今回も俳優の小沢昭一さんと一緒に雑誌「太陽」で連載した「諸國藝能旅鞄」の作品や、雑誌「Mr. & Mrs.」の表紙や、料理写真なども、本橋さんの事務所で現物を見せられ、即、展示に組み入れることにしたものだ。「写真集になっているものはライブラリーで調べられますが、雑誌に発表しただけの作品はなかなかピックアップしづらいんです」と菅沼さん。

 この空間は、採りあげられた写真家の作品世界を見せる場であると同時に、ギャラリー側が発見した写真家の知られざる側面を見せる場にもなっている。この二重構造が、タイムトンネルシリーズに見応えをもたらしているのだ。


雑誌「太陽」に連載した「ユーラシア大陸思索行」も、全カット約8,000点をギャラリースタッフと見直して選んだという
本橋さんの事務所で発見した雑誌「Mr. & Mrs.」の表紙を展示中

写真家としての姿勢はデビュー作で作られた

卒業制作として撮り始め、太陽賞を受賞したデビュー作「炭鉱<ヤマ>」から
 GGでは学生時代の習作から、1988年に発表した「魚河岸・ひとの町」までを展示し、G8ではチェルノブイリ3部作と新作の「バオバブ」までを紹介している。作者の変遷ぶりは実際の作品を見て感じてほしいが、本橋さんの写真家としての基本的な部分はデビュー作となった「炭鉱<ヤマ>」で作られたようだ。

 この作品は、本橋さんが大学を卒業してから通っていた東京綜合写真専門学校の卒業制作として撮り始めたという。2年次の1964年に初めて筑豊を訪れ、写真集を出版したのは1968年だから、およそ5年越しの作業になっている。「実家は東京の東中野で本屋をやっていたので、その手伝いをしたり、結婚式場でスナップ撮影のアルバイトをしたりしていました。その合間に筑豊に通いました。回数は忘れてしまったけど、何度も行き来しました。1回の滞在は長くて2週間ぐらいでした」。

 土門拳が「筑豊の子どもたち」を出版して約4年後。その影響で、現地にはプロ、アマ問わずカメラを持った人がたくさん押しかけていたという。かくいう本橋さんもその1人だったのだが。「あと記録文学者の上野英信さんが書いた『追われゆく坑夫たち』を読みました。その本に感銘を受けて、筑豊に住んでいた上野さんを訪ねて行ったのです。最初の何日かは近所の旅館に宿をとり、あとは上野さんのところに泊めてもらいました」。

 「現実の筑豊の子どもたちはカメラを見ると、われ先に逃げ出すんです。当時の雑誌は筑豊の貧しさや悲惨さばかりを取り上げていたので、出稼ぎ先の筑豊の人たちにしたら、そうした記事は嫌ですよね。手紙で『写真を撮られるな』って子どもたちに伝えていたのです。この経験から、撮られる人に嫌がられる写真は撮りたくないとつくづく思いました」

 悲惨な事実を記録し、伝える写真も大切なんですがねともいう。なぜ、子どもたちがカメラから逃げるのかは、現地に何度も通い、地元の人々と深く付き合ったからわかりえた事実であり、そこから生まれた視点なのだ。だが1992年に刊行された写真集「炭鉱<ヤマ>」第2版では、撮影した少年の1人が後年、自ら命を絶ってしまったことを伝えている。「撮ることは、相手の不幸も含めて付き合うことなんです」


1人称の記録を作りたいから

 その後、日本のサーカスを記録した写真集「サーカスの時間」(1980年刊)は足掛け5年、写真集「上野駅の幕間」(1983年刊)も3年かけてまとめている。それだけ時間がかかるのは「写真を撮る作業は相手に信用してもらわないとできない。気づかれずに撮るやり方もあるが、僕はじっくり付き合って撮りたい」からだ。

 たとえば「上野駅の幕間」では構内で宴会する人、電車を待つ人、送る人、送られる人が写されている。さらにページを繰ると、皇太子(現天皇陛下)の姿や駅長室や駅職員の送別会まで写されている。「この撮影の話は、まず国鉄(現JR)本社に取材申請をしました。本来、取材は1回ずつ申請を出さないといけないのですが、多ければ毎週、少なくても駅の行事ごとに足を運んでいたので、僕は上野駅の駅長さんの了承を得るだけで動いていました」。

 上野駅では、盆暮れの繁忙期には「お礼参り」という行事があり、OBたちが休みを取って手伝いにくる。駅職員と深く付き合うことで、こうしたエピソードが付け加えられ、それがさらに次の物語を生んでいくのだ。

 こうして多くの人と出会い、話をしてきた本橋さんだが、元来、そう話が得意なほうではないと言う。「写真を撮ること、カメラを持っているからできているんだと思う。そうして時間をかけて、話を聞いているのは、自分のなかにもうひとつの世界、この写真集であれば僕の上野駅を作りたいから。あるがままの姿を記録することも大切だろうけど、僕は自分の目を通した1人称の記録を作りたいんだ」。


核汚染された村を「生きる」ことから捉え直す

 チェルノブイリと関わるきっかけは、友人たちから撮影の依頼を受けたことによる。その友人たちが中心になって立ち上げたNGOが医療支援を行ない、そのパンフレットやニュースレターのための写真が必要だったのだ。

 「現地の病院で子どもたちを見舞ったのですが、彼らの辛い姿だけ撮ることはしたくなかった。ただ仕事なので、そこでは最低限、必要なカットだけ撮影しました。そのあと、事故現場から170km離れたベラルーシのチェチェルスク地方の村を訪れたとき、自分の視点を発見したのです」。


映画は脚本があって制作されたように見えるが、目の前で起きた事実を撮っていっただけだという。写真集と映画「ナージャの村」(1998年)から
「ナージャの村」の撮影は春夏秋冬に30日間ずつ撮影に行った。行けば何かが起こり、途中でも帰りが決まっているので帰らざるを得なかった。「無限抱擁」の展示より

 映画で映し出されるその村は、ただただ美しく、静かな時間が流れている。それまでは放射能、核汚染といった視点からしかこの現実を見ていなかったが、ここで「生きる」ことから捉えなおせることに気づいたのだ。

 本橋さんの映画や写真を見ると、この村に核汚染の痕跡は、どこにも存在しないかに思える。事実、「悲惨な事実を覆い隠す表現だ」と批判されたこともあったという。「村の外に住む息子に、父親がその村で採れたジャガイモを送るシーンがあるのですが、映画評論家のおすぎさんは『汚染されたジャガイモしか送ることのできない父親の悲しさを想像できない人は悲しすぎるわね』という指摘をしてくれたんです」。

 たとえば今回、会場に展示した1枚の写真には、1人の微笑をたたえたおばあさんが写されている。指は節くれ立ち、履いている長靴は穴だらけで、片足は紐で足に結びつけている。この土地が放射能で汚染され、住む人の命を蝕んでいる事実に思いをはせ、見つめなおしたとき、その写真は何を問いかけてくるだろうか。


デジタルカメラは怠け者の僕にぴったりだから……

バオバブは30年前から撮影を始め、ようやく写真の一部を発表。映画の製作を開始するという
 本橋さんは10数年前、デジタルカメラを使うかどうか迷った末、使わないことに決めたという。デジタル音痴であることと、デジタルカメラはより簡単に写真が撮れるようになりそうだから、「怠け者の僕にはぴったりすぎると思ったのでやめた」のだ。

 以来、キヤノン New F1とライカ M6を使いわけている。「一眼レフはファインダーで見えたままが撮れてしまいそうで、無意識のうちに絵を作ってしまい面白味に欠ける」という。

 写真は現実を記録する装置だが、実際のプリントは写真にしなければ気づかない何かを見せてくれる。それが写真の楽しさであり、それをじっくり味わうために暗室作業があると本橋さんは信じている。「キザっぽく言えば、暗室は思想の時間なんです。プリントしながら、いろいろなことを考える。写真はカメラが機械的に写してしまうものだから、その前後の作業は手間ひまかけたほうがいい。時間をかけるほど、思いは強くなるし、それは写真に現れると思います」。

 その思いの詰まったプリントを味わうには、展示空間に足を運ぶ以外にない。これからのデジタル時代に、写真家の思いを込めたプリントを作り出すためにも、ぜひ見ておきたい作品展だ。


ガーディアン・ガーデンは地下1階にある
クリエイションギャラリーG8は新橋駅から近いリクルートGINZA8ビルの1階


URL
  本橋成一
  http://www.ne.jp/asahi/polepole/times/
  ガーディアン・ガーデン/クリエイションギャラリーG8
  http://rcc.recruit.co.jp/



市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。灯台下暗しを実感する今日この頃。なぜって、新宿のブランドショップBEAMS JAPANをご存知ですよね。この6階にギャラリーがあり、コンスタントに写真展を開いているのです。それもオープンは8年前。ということで情報のチェックは大切です。写真展めぐりの前には東京フォト散歩( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp/ )をご覧ください。開催情報もお気軽にお寄せください。

2007/05/08 00:47
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