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【写真展リアルタイムレポート】
吉永マサユキ「新宿ID」

~新宿の工事現場が写真展に
Reported by 市井 康延

南口を出ると、そこからすぐに展示は始まる。初めて見た人は結構、驚きそうだ
 東京 JR新宿駅南口の工事現場沿いに、6月20日より特大のポートレート写真が展示されている。展示作品は計74点、91名。すべて新宿駅を中心にした新宿区内の路上、もしくは店内で撮影されたものだ。何人か著名人が混じっているが、大部分は撮影した写真家が新宿を歩き、声をかけて撮影した一般の人たちだ。

 その前を通る通行人の反応はさまざま。足早に歩きながら目は写真を見続けている人や、写真の前で足を止める人、一緒にいる人に話しかけながら写真を指差す人、はたまたわき目もふらず歩き続ける人……。その光景もまた新宿らしい。

 これを撮影した写真家は国内だけでなく、海外からも注目されている若手写真家の吉永マサユキさん。このプロジェクトのため、初めてデジタル一眼レフを使ったという。吉永さんに制作のエピソードやデジタルの使用感、写真表現について話を聞いた。


この撮影ができるのは彼しかいない

撮影した写真家の吉永マサユキさん
 まずお断りしておくと、この展示は写真展ではない。吉永さんが自らのテーマに沿って、ポートレート作品を制作し展示しているわけではないからだ。主催者は、新宿駅南口にかかる新宿跨線橋の架替工事を行なう国土交通省東京国道事務所で、工事への理解と関心を深めるために「新宿サザンビートプロジェクト2006」として行なっているものだ。吉永さんが同事務所から受けた依頼は、新宿エリアのなかでできるだけ多くの場所で出会った人を撮り、その人たちを通して現在の新宿の街を見せてゆくことだった。

 そうはいっても、結果的には、これが面白い写真展空間として成立してしまっていることも事実だ。偶然、ここを通った多くの人の目を引き、何らかのインパクトを与えていて、十二分に写真展としての役割を果たしている。それが写真のパワーであり、写真が持つあいまいな面白さなのだ。フォトギャラリーという空間だけで行なうのが写真展ではないというささやかなメッセージを込めて、今回、敢えてこの展示を取り上げた。

 工事現場の仮囲いは全長約300mあり、ここを6月20日、8月初旬、9月末の計3回に分けて、吉永さんが撮ったポートレート作品で埋め尽くす。8月初旬の第2弾では顔をアップにした作品を追加展示し、9月末の第3弾では一般公募した人たちのポートレートを展示する。公募概要はデジカメWatch7月7日のニュースを参照されたい( http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2006/07/07/4167.html )。


今後、第2弾、第3弾と、いま空いているスペースも埋められていく
中の様子が分かるように、途中にのぞき穴が作られている

 当初、想定していた撮影人数は約150人。かなりの数だ。そしてこの撮影は国土交通省の主催で行なうものであり、写真を新宿南口駅前に展示するほか、公式サイト( http://www.shinjuku-ss.jp )でも公開することが前提。だからこの撮影には、モデルになってくれる人に対し、撮影趣旨を説明したうえで、撮影と写真を展示する同意書にサインをもらうという作業が加わっているのだ。

 「この撮影ができるのは彼しかいない」という判断で、吉永さんに白羽の矢がたった。「街で歩いている人を撮るのは、仕事としては久しぶりだったのと、大きなプリントで見せることに興味を持った」と、吉永さんはこの仕事を引き受けた理由を説明している。吉永さんは写真家の吉村則人さんのアシスタントなどを務め、暴走族の少年たちを被写体にした「族」を発表し、国内外から注目を集めている写真家だ。

 この作品のインパクトが強いことで、吉永さんイコール暴走族の写真家というイメージを持つ人が多いが、実際はさまざまな人を撮影してきている。雑誌「ダイム」では1997年から2000年まで、街で面白い服装をしている人たちをテーマにした「StreetQuest」という連載を行なったほか、「東京人」でも同様の連載をしてきた。

 現在は雑誌「漫画ナックルズ」で、集合写真をテーマとした「若き日本人の肖像」という連載を行なっている。それらの仕事が評価されて、今回の依頼となったわけだ。


コストの問題でデジタルを採用

 吉永さんはこれまで、ポートレートの仕事はすべて6×7以上の大判カメラを使い、ネガカラーで撮影している。今回も最初はネガカラーで撮影する予定だったが、約150人を大判プリントにするためのスキャン費用だけで120万円の制作費がかかってしまう。「デジタルカメラで撮影できないかという希望が主催者からあったので、それではとEOS 5Dを使うことにしました」。

 企画の話が出たのが昨年11月で、撮影開始は今年3月から。撮影に関しては、スムーズに行なえたという。「撮影は1日10人程度、多いときで20人撮影しました。もちろん声をかけたのはその倍以上ですが、撮影の趣旨が明確なので、自分の作品を撮るときよりも撮影は楽でしたよ」と事も無げだ。

 表面上のモチーフは人だが、新宿の街自体にメインテーマがあることで、被写体のセレクトは人よりも、場所に置いたという。だから撮影は場所に取りこぼしがないように、場所を先に決め、そこにいた人を撮影した。「写真家の森山大道さんや沢渡朔さん、白夜書房の末井昭さんなど、お付き合いのある方の中で、新宿にゆかりの深い人も撮らせていただきましたけどね。そのときはプライベートでお会いしたときや、事務所にうかがったり、ケースバイケースです」俳優の永瀬正敏さんもその1人だ。

 1人の撮影時間は3分~5分。カット数は数枚。撮影中はあまり会話はしないという。「相手にあまり情報を与えると、その人の個性をつぶしてしまうことになるんです。だから指示するのは立ち位置ぐらい。バックにあの建物をいれたいから、ここに立ってくださいとかね。ぎこちなくても、それでいいんです。本人が一番わかっていますから」。相手が緊張しているときにかける言葉は「緊張していますよ」ではなく、「それでいいんですよ」という肯定の言葉だ。そのほうが相手は良い方向にリラックスできる。


永瀬正敏さんも参加
新宿ゴールデン街での写真家森山大道さん。現在、吉永さんと森山さんは作家を目指す人を対象にしたワークショップを開講中

 撮り始めて気づいたデジタルカメラとフィルムカメラの違いは、デジタルは暗いシーンには強いが、輝度差のあるシーンに弱いことと、手ブレしやすいことだ。「カメラのモニターでは荒れが見えるが、プリントにするとそこは出てこない。デジタル一眼レフはISO800でもいけるという人もいるが、今回の作品展示では大きく伸ばすため、僕は荒れが目立ちすぎて使えないと思った」。

 被写体のバックに、ネオンなど、明るい部分が多くなると、バックが飛ぶか、被写体がつぶれてしまう。それはフィルムの場合、表現される範囲だという。「デジタルはラチチュードが狭い。後ろに白い壁などがあると、シャドー部分の黒のしまりがなくなる。メーターを使ってみたが、カメラの数値とメーターの数値の中間ぐらいがちょうどいい」。

 手ブレについては、ブレるはずのないカットで、いくつかブレがみつかった。「カメラとレンズのバランスの問題かな」と吉永さんはいう。ホールディングにより注意するようにしたが、すっきりと解決していない。「第2弾で展示する作品は、顔のアップも入れて、前回より自由に撮ってくださいという話だった。ブレも気になっていたので、第1弾よりも1人あたりの撮影枚数は増えましたね」。


デジタルプリントでも吉永カラー

 吉永さんの写真の魅力は、被写体自体の個性もあるが、被写体の個性、存在感が強力に立ち上がってくることがまずあげられる。今回、展示した作品も、見た人から「ひとめ見て、吉永さんの作品だってわかる色だ。撮られている人が厚く見えるし、撮り手が被写体にこびていないのが伝わってくる」という感想が出てきているそうだ。

 が、吉永さんから見ると、「デジタルプリントは、写真が本来持つ空気感が薄れる。形は同じように写っているのだけれど、何か『置き換えられたもの』になってしまって、見ていても心の中がざわざわっとしてこないんだよね」。それでも見る人には、吉永さんの色だと感じさせてしまう。「プリントがあがってくると、もちろんすべてチェックしますよね。そこで自分の色でなければ、自分の色になるように焼きなおしてもらいます。それは撮影したときの色ではなく、自分が感じる色、こうしたいという色なんです」。

 ちなみに今回のプリントは、屋外での展示のため、フィルムベースの支持体にインクジェットで出力したものにした。デジタル銀塩プリントにラミネート加工した方法とも比べたそうだが、「直接、プリントを見せる」ことを重視して、インクジェットプリントを選んだ。

 最後に吉永さんにとってのポートレート写真とはと聞くと「写真よりも、まずは人とのつながりだと思う。僕は写真をやっているから、その過程の中で、写真がからんでくるけど、相手と1人の人間としていい付き合いをしていくことが自分にとっては一番大事なんです」。吉永さんの写真に写っている人の存在感は、見る人に対して、伝えたい何か、守りたい大切なものが自分の中にあるかを問いかけてくる、その質問の重さなのかもしれない


工事の狙いは新宿の街をよくすること。そのメッセージを発信する狙いがこのポートレート展示だ
写真では敢えて人を外したが、当然、通行量の多い通りだ

 吉永さんは現在、イギリスの出版社からの依頼で、日本の「ゴシック アンド ロリータ」たちを撮影している。こちらはちょうど今回のプロジェクトがスタートしてから、デジタルカメラで撮影してほしいといわれた企画だという。また7月22日~10月9日まで水戸芸術館で開かれる「ライフ」展にも出品している。同展は、生命に対するリアリティが希薄になっている現代において、生命力を喚起させる作品制作を行っている作家13名の作品を展示するものだ。写真のほか、平面、マンガ、立体など、さまざまなアート作品が展示される。



URL
  新宿サザンビートプロジェクト
  http://www.shinjuku-ss.jp/
  水戸芸術館
  http://www.arttowermito.or.jp/life/lifej.html

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市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。久しぶりにギャラリーめぐりに1日を使った。これまでのように自由にギャラリーに足を運べないので、見たい写真展を効率よく回れる日を選ぶ。通常より早く終わる最終日は要チェックだ。良い写真展を見るには事前の情報収集が不可欠。ということで、写真展情報を掲載したホームページ( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp )を作りましたので、一度、ご覧ください。

2006/07/25 00:59
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